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TODAY'S CELEBRATION 【Oct 19, 2014】

UPしました。

●タイトル:血により義とする霊の務め
●聖書箇所:2コリント3:6-11;ヘブル10章

日々キリストのうちに

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ニール・アンダーソンによる黙想

あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるため-エペソ4:5.。キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。-ガラテヤ5:1

 クリスチャンとしての勝利実り豊かさを決定する要素にはふたつあります。第一に成熟です。パウロは書いています:ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するため・・・あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです(エペソ4:15;13)。神は私たちにいのちと敬虔に必要なものはすべて備えて下さいました(2ペテロ1:3)。しかしサタンは私たちの成熟を阻害し、キリストにある私たちを実現することを妨げ、キリストにあって所有している嗣業から遠ざけるためには、何でもなします。私たちは、まことの成熟に至るために、まず闇の領域に対して勝利する必要があるのです。
 クリスチャン生活の成功を達成する第二の鍵は自由です。パウロは宣言します:キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい(ガラテヤ5:1)。この節は、神が私たちの自由を願っておられることばかりでなく、二度と律法の束縛に落ち込むことがないことも願っておられることを確証しています。
 キリストを受ける入れる以前、私たちは罪の奴隷でした。しかし十字架におけるキリストのみ業のゆえ、私たちに対する罪の力は打ち破られたのです。サタンは私たちに対してなんらの所有権も権威も有していないのです。サタンは敗北した敵ですが、それを理解することを妨げようとするのです。自分が過去の産物以外の何者でもなく、罪に隷属し、失敗へと方向づけられ、自分の習慣によって振り回される者である、とあなたに信じ込ませることができれば、クリスチャンとしてのあなたの有用性を簡単に損なうことができることをサタンは知っています。サタンはあなたを混乱させ、その嘘によってあなたを盲目状態に置き続ける限り、かつて自分を束縛していた縄目がすでに断ち切られていることを見えないようにできるのです。あなたはキリストにあって自由です。しかし悪魔があなたにそうではないと信じ込ませるならば、あなたの嗣業である自由を経験することができません。私は即時の成熟などは信じませんが、即時の自由は信じます。そして何千もの人々が真理によって解き放たれるのを見ています。人が一度自由にされるならば、きわめて速やかに成長することに驚くことでしょう!

 主よ、私を自由にするために来て下さったのは、私の自由のためであることに喜びます。あなたの自由の中に生きることを、今日という日に思い起こさせてください。


一応護教論を

前回のメッセを聞かれた方から異議申し立てを受けた。いわく、「Dr.Lukeは奉仕も献金も徹夜祈祷も何もかもやらなくていいと教えている、けしからん」と。ふう、まあ、ニッポンキリスト教からこんなお言葉が出ることは想定内ではあるが、一応ご回答を・・・。

私が述べているのは、神によって罪(sins)を赦され、受け入れていただくためには、血潮に頼る以外、何もしなくてイイ、と申し上げている次第。根拠はただ一度イエスが流された血潮のみ。これで神は100%満足されているから。このことを知り、真に、オツムの知識によるだけではなく、心の底から赦されたことを実感すれば自ずと奉仕や献金や徹夜祈祷もしたくなるのがクリスチャンなのだ。

ところがこの順序を誤るのがニッポンキリスト教徒(=クルシチャン)だ。自分を神に売り込み、また人にアピールし、自分で自分のアイデンティティーを獲得しようとする。これで延々と自作自演の苦労物語に落ちるのだ。そしてその割礼の傷を誇る。あるいは、什一献金はカルト教会だとか、「与えよ、そうすれば与えられ、持っている者はますます豊かに、持たない者は・・・」に対しては、「繁栄の神学のカルトの教えだ、異端だ」とブツブツ言い出すわけ。嗚呼、まことに愚かなものだ。それは御言葉であり、主イエスのお言葉だ。これを自ら拒絶すれば自ずと貧困と悲惨を刈り取ることであろう、ということは一応指摘しておく。

私たちは神に赦され、受け入れられている(完了形)ゆえに、大いに捧げ、奉仕し、仕えるのだ。それは喜びだから。極私的な証をすると、30を越えた頃から年収二千万ちかく稼いでいたが、稼げば稼ぐほど不安が増し、常に攻め苛まれた時期があった。しかし、あるときチャレンジを受け、きっちりと什一献金を始めたところ*1、心が解放され、喜びに満ち、不安とか心配がまったく消えたのだ。ローンも、何度も書いているが、30そこそこで五千数百万抱えたが、これがまったく重くなくなった。その後、バブル崩壊でサンディエゴのオフィスビルがポシャったりもしたが、この時もまったく不安とか心配はなかった。そしてここまで生きてきている。これは実に不思議な経験だ。神はまことに真実な方。与えよ、そうすれば与えられる。これは真理である。ニッポンキリスト教徒よ、この真理を拒絶するならばご自由にどうぞ*2。かくして

おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。-Matt 13:12

私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。-2Cor 9:6

賛美も、証も、奉仕も、伝道も、みな同じ原則だ。徹夜祈祷も私も何度もしたことがあるが、それは大きな祝福であり、油塗りを受ける。イエスのことを証しすればするほどうれしくなる。かくしてクリスチャンはいつの間にか自分の肉体の生命すら捧げきってしまうのだ、ウォッチマン・ニーのように。彼は歯を食いしばっていたわけではない。あの20年間は主と彼の間の秘められた宝石のような時間なのだ。誰も入り込めない、まさに主にのみ捧げられ、聖別された年月。ゆえにそこから芳しい香りが漂い、私たちの飢え乾きを癒してくれる。まことの豊かさを味わうコツは与えること、捧げること。誰かが言っていた、クリスチャンの豊かさはどれだけ所有したかによらず、どれだけ手放したかによる、と。

こうして、あなたがたはすべてのことに豊かになって、惜しみなく施し、その施しはわたしたちの手によって行われ、神に感謝するに至るのである。-2Cor 9:11

*1:什一献金はMUSTではない。マラキ書は「神を試せ」とチャレンジしている。前にも言ったが、すべては心の動機の問題。1/100でも1/1000でも各自が心に決めたとおり、惜しみなく与えること、これが鍵(2Cor 9:6-7)。
*2:神のみ言葉を意識的に拒絶することは神を偽り者とすること。恐るべき罪だ。

法王、ローマカトリックのみが救いを与える唯一の教会

すでにクリスチャンがローマカトリックから離れて一人で勝手に主と交わったり祈ることは危険である、とフランシスが説教したことは紹介した。しかし、さらに進んで、ローマカトリックのみが唯一の教会であって、カトリック教会を離れて人はクリスチャンになることはできないと宣言している。

We venerate this Church [of Rome] as one,… Therefore, of the one and only Church there is one body and one head, not two heads like a monster; that is, Christ and the Vicar of Christ, Peter and the successor of Peter, [the Pope]… For since the Apostle said: “There is no power except from God and the things that are, are ordained of God” [Rom 13:1-2],…

神の立てた正統なペテロの継承者である霊的権威は法王のみであり、彼に反対することは神に反逆することであるとも・・・。

Hence we must recognize the more clearly that spiritual power surpasses in dignity and in nobility any temporal power whatever, as spiritual things surpass the temporal…This authority, however, (though it has been given to man and is exercised by man), is not human but rather divine,granted to Peter by a divine word and reaffirmed to him (Peter) and his successors by the One Whom Peter confessed, the Lord saying to Peter himself, ‘Whatsoever you shall bind on earth, shall be bound also in Heaven’ etc., [Mt 16:19].

Therefore whoever resists this power thus ordained by God, resists the ordinance of God [Rom 13:2],…Furthermore, we declare, we proclaim, we define that it is absolutely necessary for salvation that every human creature be subject to the Roman Pontiff.

ローマカトリックの権威を拒絶することはキリストご自身を拒絶することであると。ゆえにカトリックを離れては誰も救われないのだ。

Therefore, the Sacred Council teaches that bishops by divine institution have succeeded to the place of the apostles, (15*) as shepherds of the Church, and he who hears them, hears Christ, and he who rejects them, rejects Christ and Him who sent Christ.

カトリックにせよ、プロテスタントにせよ、キリストの血潮以外による権威と救いを打ち立てようとする霊的力が働くことは普遍的な事実である。なぜならあの者は自らが神になりたいからである。背教の時代、欺かれない者は幸いである。

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き・・・見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行なう者たちも、この女の行ないを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。
また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。・・・しかし、テアテラ*1にいる人たちの中で、この教えを受け入れておらず、彼らの言うサタンの深いところをまだ知っていないあなたがたに言う。わたしはあなたがたに、ほかの重荷を負わせない。-Rev 2:20-24

*1:「テアテラ」とは香の祭事の意味。参考:教会歴史について

日々キリストのうちに

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ニール・アンダーソンによる黙想


 光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。エペソ5:9

 ある朝、私は早くに起きてデボーションをし、家族のために特別な朝食を作り出しました。寝ぼけ眼の息子カールが何事かとかキッチンに来た時、私はマフィンミックスをかき回し、鼻歌を歌いつつ気分も最高でした。彼はシリアルの箱と空のボールを手に取り、テーブルに向かいました。
 「へい、カール、ちょっと待って。今朝シリアルは食べないから。テーブルにみんなでいっしょに座って豪華なマフィンの朝食にするんだよ」。
 「ぼくはマフィンは嫌いだよ、パパ」と彼はごねて、シリアルの箱を開け始めました。
 「ちょっと待って、カール」と言い張りながら、私は困惑しました。「今朝はみんなでいっしょにマフィンを食べるんだよ」。
 「だって、ぼくはマフィンは好きじゃないんだ、パパ」と彼は繰り返しました。
 私はキレました。「カール、みんなで一緒に座ってマフィンの豪華な朝食にするんだよ!」と私は大声で怒鳴りました。カールはシリアルの箱を閉じて、食器棚に投げ込み、自分の部屋にそそくさと戻っていきました。私の偉大なアイデアは突如挫折しました。その後で癇癪を起こしたことをカールに詫びるまで数分間かかりました。
 私のように、あなたもこのように自分の目的が阻害される経験を持っていることと思います。神や教会や家族あるいは友人のために自分の素晴らしいプランを携えたいたことでしょう。ところがあなたのプランは、自分ではコントロールできない日常生活の些細な事件によりひっくり返されてしまうのです。そのような場であなたは議決権を有していないのです。あなたの息子さんはあなたが願っている医者ではなく、ロックバンドのギタリストになると言い出すかもしれません。
 あなたが自分の人生を他人や環境に依存するプランの成功の上に置いているならば、人生は長きに渡る感情的ローラーコースターのようなものとなるでしょう。そのローラーコースターから降りる唯一の方法は、神の言葉の真理に従った信仰による歩みだけなのです。決して人々の協調や好ましい環境に依り頼んではなりません。神があなたに望まれている通りの配偶者、親、指導者、また働き人になることを心に決めてください。それはあなたを他にして、他の誰も妨害することはできないのです。

 天の父よ、あなたが願われる者となることを決意するために、人々や環境に支配されている領域を見せてください。

TODAY'S CELEBRATION 【Oct 05, 2014】

UPしました。

●タイトル:血は真の礼拝を導く
●聖書箇所:ヘブル9章

2014年、しるしの年ゴーイング・オン

イスラエルがアメリカを最も苦い敵とし、イランに対するアメリカの姿勢次第では武力行使をすると予告した。

まことに時代はエルサレムにフォーカスされている。

見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯とする。ユダについてもそうなる。エルサレムの包囲されるときに。
その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。-Zech 12:2-3

追記:伊勢神宮と出雲大社の結婚の儀も「しるし」になるだろうか?

吹き荒れるカインの霊

時代は神に拒絶された者と受け入れらた者、すなわちカインの霊とアベルの霊の相克の時代と言ってきている。世からの拒絶は言わずもがな、ニッポンキリスト教においても真の神の赦しを得ていないキリスト教徒が聖書の御言葉を貶め、聖書をそのままに信じつつ、主にある救いの喜びを証する者たちを、その嫉妬と憎悪により、「原理主義者」とか「バイブルカルト」と断罪している。面白いことに彼らは私たちの「救われた」と証する言葉を嫌悪する。それは彼らが自分の救われていないことを知っているからだ。

彼らの本性とその霊はすでに明らかにされているが、映画『ポセイドン・アドベンチャー』のあの牧師的な神に対する敵意と憎悪が根本に存在する。彼は「神よ、お前はいったい何人の生贄を得たら満足するのだっ!!!」と叫んだ。そして自ら犠牲となり人々を救った。まことにイエスの血の犠牲を拒絶する言葉だ。神はすでにイエスの犠牲により満足されている!

今回カインの霊はこの点をダイレクトに攻撃している。アメリカで「Salvation」とロゴの入ったT-シャツを着ることすら相ならんと!?公立学校においては宗教的に中立であるべきで、憲法に違反する、と。彼らはこの「救い」なる単語にすら反応するのだ。

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時代は煮詰まっている。あちらの霊は自分の末路を知っているだけに、躍起になっているのだ。神の成し遂げられた十字架の事実を無効にすることはできない。ゆえに地上にあるキリストの体-エクレシア-に攻撃を加え、また世の人々の目をくらまし、自分の運命にできるだけ多くの人々を引きずり込むことが彼らの動機なのだ。彼らはその十字架の事実を突きつけられることを嫌悪する。御言葉を語られることを恐れるのだ。故にヒステリックなまでに拒絶し、逆に攻撃する。しかるに、血の花婿に受け入れられ、その御言葉をそのままに信じることができる人は幸いである:

ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。-Rom 3:24-26

キリスト教の呪縛から解かれよ!

今回のセレブである姉妹も証していたが、ニッポンキリスト教においては、こう言う人が多い:ノンクリチャンの頃の方がハツラツとし、人生も楽しく、気力も体力も仕事も充実していた。が、今はみんな世の辛酸を舐めさせられている。生きてくのが辛い・・・。「信じるだけで救われる!」なんて、そんなあまいものではない、と。

典型的クルシチャン状態だ。どこかで欺かれているのだ、キリスト教によって。たとえば、自我を十字架につけて、自我を殺して、主に絶対的に従い、その命じるところを行い、完全に聖別・聖化されよ、云々。嗚呼、前にもウェスレーがそうであると言ったが、強迫神経症だ(→神学の罠人間性疎外)。聴いてるだけでウツになるだろうに。

今回のメッセでは「血の花婿」と題して、すでに成し遂げられたことのうちに生きることを交わった。特に罠となるキリスト教のもっともらしい教えの誤りを指摘した。「キリストが成就されたこと」と「自分の分」を貸借対照表のように右と左に仕分けする必要があるのだ。これが曖昧だとグルグル回りに落ち込む。キリスト教はとにかくビョウキを作り出す。キリスト教の呪縛から解かれよ!*1主は言われたではないか:

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。-Matt 11:28-30

さらに言われる:

これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。-John 16:33

*1:と、言っても、キリスト教を擁護し、その中にとどまりたい方は自己責任でご自由にどうぞ

日々キリストのうちに

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ニール・アンダーソンによる黙想


 神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。-民数記23:19

 成功する人生を送る一つの鍵は神聖なゴールと神聖な願望を区別することです。
 神のゴールとは、あなたの能力やコントロールする権利を超えて、神の目的が人々や環境に依存することなくあなたの人生に特異的に反映することです。誰がそのような能力や権利を持っているのでしょう?ほかならないあなた自身です。神の目的を阻害し、あるいはそれを不確かなものとし、また不可能とするのはあなた自身です。
 それに対して神聖な願望とは、人々の協力やイベントの成功あるいはあなたがコントロールできない環境に依存する特異的な方向付けです。あなたは自分自身の尊厳や個人的成功を自分の願望に、たとえそれがいかに神聖なものであったとしても、基づかせることはできません。なぜならあなたは人々や諸々の環境を完全に制御することはできないからです。
 人々や環境が私たちの目的をブロックするとき、私たちは怒りを覚えます。感知し得るゴールが不確かであるならば、私たちは不安を覚えます。そのゴールが不可能であると見えるならば、私たちは落ち込みます。しかし、神のご目的がブロックされたり、不確かだったり、あるいや不可能であるでしょうか?神が共にいますならば、すべての事は可能であり、私たちを強めて下さるキリストによって私たちは何事もなし得るのです。神が私たちに願われることから私たちを切り離すことは誰もできません。
神がゴールと願望をどのように区別されるかに注意してください。ヨハネは書いています、「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです」(1ヨハネ2:1)。確かに神は私たちが罪を犯さないことを願われます。しかし神の神たる地位また神のご目的は、悔い改めを拒絶する者たちによってもブロックされることはありません。しかし、全ての人ではないにしても、誰もが悔い改めることが神の願いなのです。
 神のゴールは、イエスが「完了した」と言われたとき完成しました。神が定めた事は、神はなさいます。そこで私たちは神が創造されたとおりの私たちになり得るのです。

 主よ、わたしの人生に対するあなたのご目的を見せてください。またそれらをわたしのゴールとすることができるように助けて下さい。

TODAY'S CELEBRATION 【Sep 28, 2014】

UPしました。

●タイトル:血の花婿
●聖書箇所:出エジプト4:24-26;ピリピ3:2-3;ガラテヤ5:6など

※シェミタはレビ記25章にあります。

Worship:More Than Enough






地はゆるぎにゆるぎ、よろめきによろめく

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こののどかな山が・・・・

地上の住民よ。恐れと、落とし穴と、わなとがあなたにかけられ、その恐れの叫びから逃げる者は、その落とし穴に落ち、落とし穴からはい上がる者は、そのわなに捕えられる。天の窓が開かれ、地の基が震えるからだ。
地は裂けに裂け、地はゆるぎにゆるぎ、地はよろめきによろめく。地は酔いどれのように、ふらふら、ふらつき、仮小屋のように揺り動かされる。そのそむきの罪が地の上に重くのしかかり、地は倒れて、再び起き上がれない。-Isa 24:17-20

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富士よ、怒るな・・・

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