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Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 4844-1.jpg

あのドイツの難攻不落と思われた暗号エニグマの解読にチャレンジした数学者アラン・チューリングのドキュメンタリー的作品。戦後50年間国家機密として公開されていなかった真実を描く。『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』。

チューリングは今日のコンピュターの概念「チューリングマシン」を生み出したが*1、人間的にはちょっと規格外で、しかも当時は犯罪とされた同性愛者。かくして有罪判決を受け、ホルモン治療を受ける中で自殺する。天才の栄光と悲劇。しかもその栄光の部分は公開されていなかった。最近、エリザベス女王が名誉回復を行ったのが救いではあるが、彼はすでにいないのだ。

しかし解読のキーを発見するキッカケはきわめて些細なことから。この偶然とも言える場面がなかったらあの戦争の結果はどうなっていたか不明だ。極私的には神の摂理の御手の介入を感じた瞬間だった。

*1:正確には現在のコンピユーターはフォン・ノイマン型。

思い(mind)のパワー

主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。-Gen 11:6

私たちの思い、マインドのパワーはこのバベルの塔の逸話において神が証言している。彼らが「思うこと」はとどめることができないと。だから言葉をバラバラにした。実際、かつての手塚治虫が空想未来漫画で思い描いたモノは、今日、ほとんど実現している。鉄碗アトムの実現も間近であろう。

ところが、いわゆる十字架教徒の人々はしばしば自己疎外に陥っている。いわく、自我を否んで、自己を十字架につけてぇ~と。彼らは、よって、自分のマインドに浮かぶ事柄を恐れるようになる。自分が思うことは肉か、霊か、といつもビクビクするのだ。しかしパウロはこう励ましてくれている。

どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に-Eph 3:20

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。-Phil 4:6

私たちはすでにニュークリエーションとされている!この事実がパウロにとっては確固たるものであったから、ここまで大胆に勧めることができるのだ。主ご自身も

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。-John 15:7

と約束された。ところがこれを素直になかなか受け取れない人がいるのだ。彼らは言う、「何でもの前に条件がついている!]と。すると祈るとき、はたして自分は主の中にとどまり、御言葉がうちにとどまっているのか・・・と自分を見つめる罠に落ちる。かくして祈りに喜びがなくなるのだ。実はこのマインド・セットそのものが肉のもの。肉の思いは神に敵対する。霊の思いはいのちと平安、そして喜びなのだ。

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。-John 15:11

祈りは私たちのマインドと共に進む。マインドは霊と魂の接点だからだ。

すると、どうしたらよいのか。わたしは霊で祈ると共に、知性でも祈ろう。霊でさんびを歌うと共に、知性でも歌おう。-1Cor 14:15

マインドがこれらの御言葉に応答しつつ祈るならば、祈れば祈るほど喜びと力が満ちてくる。神の御心に触れていることが分かる。しかし自分を見つめつつ、自分が条件を満たしているかとか考えるならば、たちまち祈りは消える。十字架教徒になってはならない。なぜなら、私たちはすでに十字架において死に、すでに復活した存在。キリストのうちに置かれたニュークリエーションだからだ。それは完了している!これが霊の思いだ。自分の内面をみて、あれこれほじっても何も出ない。これは私の著書でも強調したところ。

自分がニュークリエーションであるところに立って、大胆に何でも求める。主とわたしの喜びが満たされるために。私も今、大きなサブスタンスにチャレンジているところだ。

孵化

地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。-Gen 1:2

昨日の幻の意味が分かったかもしれない。この節の「おおっていた」とある原語は

ra?chaph, A primitive root; to brood; by implication to be relaxed: - flutter, move, shake.Strong.

雌鶏が卵を孵化させること。神の霊は荒廃した地球を優しく包み、その孵化の時まで守っていたのだ*1。卵の外見は何も起きていないようであるが、内側では着実にいのちの分化が進められている。そして各器官が明確になると卵が割れ、現れる。サブスタンスが分化し、形作られ、語り出されるとき、それは現出する。まさに神の信仰のレーマによって万物は創造されたのだ。

Through faith we understand that the worlds were framed by the word(rhema) of God, so that things which are seen were not made of things which do appear.-Heb 11:3

*1:1節と2節の間にはギャップがある。イザヤ45:18には地を混沌と(むなしく)創造したのではないとある(Isa 45:18)。サタンの反逆がこの間にあった。だからエデンの園にすでに蛇としてサタンはいたのだ。

12月に見た幻

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あまり刺激的ではないものをひとつだけ紹介しよう。映画を見ているように次々に映像が見えたが、その最初のシーン。自分がすーっと天に上げられ、あ、地球が見えると思った。地球が近くなったり遠くなったりしているうちに、神の御手が地球を包んだ。そして神の涙が見えた。ひじょうに深い神の愛を感じたのだ。ちょうどこの写真のような感じだった。

地を従わせよ!

神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」-Gen 1:28

うーむ、「地を従わせよ」・・・この言葉が霊に響いてきた。どういう意味だ?物質界を従わせることか?*1そうであれば、嵐を沈めたり、いちじくを呪ったり、山よ動けと命じることや、魚の口から銀貨が出てくることの根拠となる。生物だけでなく、物質界も人間に委ねられたということか。それとも地はサタンの象徴だから「サタンを治めよ」か?再建主義の富井氏はこのような雰囲気であるが・・・。

神は人間にどこまでを委ねておられるのだろうか?聖書をなんとなく読むと素通りする部分だが、マジ受けするとこれはやばいことかもしれない。

*1:もちろん人類がサイエンスによって治めていることは事実であるが・・・

イエスはポータル

ひと仕事が終わり、内側に実に深い安息が満ちている。なんだろう、この安息は・・・。

わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。-John 10:9-10

an abundant life!!! クリスチャンは「きよく・まずしく・よわよわしく・・・」ではないのだ。豊かないのちと生。神の豊かさに満ち溢れる生活、なぜなら私たちは王だから。すべてを統治する。

わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。-Rev 1:6

あらゆる面でprosperすること。ヨハネの祈り、SO BE IT!!!

愛する者よ、あなたの魂が繁栄しているように、あなたがすべての面で繁栄し、健康であるようにと祈っています。-1John 1:2

イエスは天の門、この霊的真理に入り込むためのポータルだ。とにかく御言葉が3Dになっている

ヨベルの年

今年はヨベルの年*1。耕作地は休耕になり、奴隷は解放され、土地は戻される。大安息の年なのだ。私もすでに人としての責任と義務はすべて果たし、世のもろもろの束縛から解放された。今年は大安息を十分に堪能したいと思っている。同時に主に対する献身と奉仕を新たにしたいと願うところなのだ。これまで以上の祝福を味わうために、主が目を開いてくださり、新しい霊的地平が開かれたことを感謝する次第。今、不思議なまでの解放感と安息を味わっている。

前にも書いているが、人間としての生はもう十分楽しませてもらったのがホンネ。それはちょっと倦んでいた。が、人としての生は終わり、ニュークリチャーとしての側面を生きたいという願いが強くなったのだ。パウロは言っている、「人のように歩いているためではないか。」(1Cor 3:3)。ここに原語では「ただの人」とはなっていない。「人として」と叱責している。つまりクリスチャンは人ではないのだ。新創造がそのアイデンティティー。実にチャレンジングだ。

追記:本の粗原稿ができた。原稿用紙にして300枚ほど。極私的にはいわゆるキリスト教のにおいを脱臭したユニークな福音を語る本だと思う

*1:9月23日から開始される。ヨベルの年の数え方はには異論もある。

解くことと縛ること

そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の門もそれに打ち勝つことはない。
わたしは、あなたに天国のかぎ(複数形)を授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、すでに天でもつながれており、あなたが地上で解くことはすでに天でも解かれているであろう。-Matt 16:18-19

よく聖霊派では「悪霊をしばる」と宣言する。ところが何かを解くことをあまり聞いたことがない。メッセでも語ったが、Bill Johnsonがある裁判に巻き込まれたとき、不正な進行だったので、悪霊をしばった。ところが何も起きない。そこで聖霊に求めると、「正義の霊を解け」と言われ、実践すると裁判の進行は一転、勝訴したとのこと。

ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し-Eph 1:3

私たちはすでに天上で霊のすべての祝福を受けている。だからこのサブスタンスを地上において解くのだ。癒しも、必要の満たしも、富も、権威も、栄光も、すべて原則は同じ。天で成就している事実を地で解くこと。これは最近開かれた霊的実行である。目に見える事柄は見えないものによるのだ。見えない世界こそがリアルなのだから。

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。-2Cor 4:18

どちらに自分のリアル感が置かれているか。これはそれぞれの信仰の歩みのクオリティを決める。

日々キリストにありて

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ニール・アンダーソンによる黙想


 私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません(1コリント10:20)。

 クリスチャンが教会における悪霊的な影響力に疑問を呈するようになりつつある一方、この世では霊的領域に対して無防備に明け渡すようになってきました。西洋社会は世界観に関して重大なパラダイムシフトを経験しているのです。私たちの文化において、その顕著な例は、ニューエイジ運動の隆盛、パラサイコロジーをサイエンスとして受容、スーパーナチュラルな領域に関する興味の増大、サタニズムが目に見える形となっていることなどです。ニューエイジ神秘主義は1960年代に東洋神秘思想の流れと共に台頭してきましたが、1980年代にセレブたちがそれをもてはやすことにより大衆化しました。ラジオやテレビのトークショーでチャネラー(霊媒師)が普通に登場し、自分たちの霊的ガイド(悪霊)について誇るようになしました。
 しかしニューエイジ運動はセレブたちの御用達だけではありません。ニューエイジ思想は全国的にビジネス、教育、宗教にすらも深く侵入しています。最近私のクラスのふたりの学生に対して、私たちの学校から2ブロック離れたニューエイジのカンファレンスに研究のために出席するように促しました。そのドアには費用がひとり65ドルとあり、彼らは帰ろうとしました。しかしふたりの見知らぬ人が近寄ってきて、「私たちはあなたがたにこれらのチケットを上げるように導かれましたから」とチケットをくれたので、ふたりの学生は中に入りました。 
 彼らは私に次のように報告しました。スピーカーはカンファレンス出席者に対してメディテーションを実行するように促しました。彼はみんなに霊的ガイドがそれぞれの脇に来ることを想像するように語りました。最後に、「今、あなたの霊的ガイドを内側に導き入れなさい」と言いました。私はほとんど信じられませんでした。悪魔はバイオラ大学のわずか2ブロック先で祭壇に呼び出されていたのです!
 ニューエイジとオカルトの流布についてあなたは心配し、また恐れますか?その必要はありません。キリストにあってあなたや家族に対する闇のあらゆる脅かしを無効とし、追い出す資源を持っているのですから。神の言葉の真理に固く立ち、キリストにあるあなたのアイデンティティーの光の中に歩んでください。

 主よ、今日、警戒することができますように。悪魔が私の世界に接近する企てに対して。そして御霊の武具によりその要塞を引きずり下ろすことができますように。

■参考:ニューエイジの問題点について

TODAY'S CELEBRATION 【Mar 29, 2015】

UPしました。

タイトルマインドの束縛を解かれよ

聖書箇所:黙示録1:6;イザヤ10:27;ローマ5:17など

4月5日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700
 ・Web:Kingdom Fellowship®

ニューエイジと私たちの信の違い

ニューエイジでは、「願うものを強く念じよ、するとそれが物質化する」と教える。私たちの信は違う。強く念じるのではない。それはマインドの働きであるが、私たちのマインドのトランスフォーメーションは、マインド自体が何かの超能力を得るためのものではない*1。聖書に書かれている神の約束を自分のものとするためなのだ。

つまり先に神の約束というサブスタンスがある。それを自分のものとするのだ。これが立証(proof)。私たちのマインドが御言葉にそうようになり、キリストの思いが反映するようになることなのだ。この時、霊はマインドの抵抗を受けずに、サブスタンスを容易に把握できるようになる。

わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもすでにつながれており、あなたが地上で解くことは天でもすでに解かれるているであろう」。-Matt 16:19

時制に注意して欲しい。天が先行している。御心が天になるとおり、地にもなるように、だから。私たちの信は決して天に先行しない。サブスタンスはすでにあるのだ。主イエスが「私の名によって求めるものはなんでもかなえてあげよう」と言われたから、私たちは求め、何でも得るのだ。決して自分勝手に何かを物質化するわけではない。

*1:マインド自体にある種の超能力があることはあると思っている。

言葉の罠

ニール・アンダーソンの黙想にもあるが、昨今ニューエイジが隆盛をきわめている。私の書いた記事も紹介しているが、その中に、私が最近用いている単語と同じ単語をニューエイジでも用いている。たとえばチャネルとかポータルとか。で、この単語を見るだけで、Dr.Lukeはニューエイジに走ったとか思われる向きもあると思う。

これは邦語訳聖書の問題点でも何度も指摘しているが、たとえば、霊と魂を、思いと心を混同している場合がきわめて多い。日本語で聖書を読んで真理を理解することは困難なのだ。なぜか、これもすでに指摘したが、pistisを「信仰」と訳した時点でアウト。日本語の世界観が入り込むからだ。pistisは「信じて仰ぐ」のではない!聖書は聖書で定義すること。pistisとはサブスタンスとその立証なのだ(Heb 11:1)。

何を言いたいか。私は、要するに「チャネル」とか「ポータル」と言っても、それは普通名詞として用いているだけ。日本語で言えば、単なる「門」、「出入り口」。そもそも聖書で「天の門」、「ハデスの門」と用いているのだ。もっと言えば、サタンは神の物真似をするだけ。ニューエイジが聖書をパクったのだ。表向きの単語に引きずられないように。そもそも霊(spirit)にしてもニューエイジでもオカルトでも用いている。しかし私たちの使う霊は聖書によって定義されている。物事の表層で判断しないようにお願いする次第。

一言付け加えると、ニューエイジの本質的問題点はイエスの十字架と血潮によらず、人間が神的能力を開発する点。あるいはgodsになろうとする試み。私たちはイエスの十字架と血により、ニュー・クリエーションとされている。この真のアイデンティティーはpistisにより私たちにおいて実体化、あるいはフレーム化される。この時に私たちのマインドがトランスフォーメーションされる必要があるのだ。ここに各人の十字架が働く。私たちのマインドは霊(スーパーナチュラル)と魂(ナチュラル)の接点において機能するのだ。

私の言っていること、聖書真理から離れているかな?

追記:もうひとつ指摘しておく。ヤコブの逸話だが、ここで出てきた「天の門」とか「神の家」を例え話と理解する向きがあるようだ。主は「この岩の上にわたしの教会を建てよう。ハデスの門も打ち勝たない」と言われた。これも例え話にするのだ。ノー。現実を見てみよ。地獄の門(ポータル)があちこちに開いているではないか。私たちエクレシアは天の門なのだ。神の国のサブスタンスを現すのだ。それが癒しであり、しるし、不思議の形となる。なぜなら神の国はもともとスーパーナチュラルだから。御言葉を2Dの世界に留めてはならない、神は3Dの世界で実際にわざをされるのだ。実体として。神のサブスタンスであるイエスが目で見え、手に触れたようにだ。

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