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数学者岡潔思想研究会

なるサイトを発見した。いつもの物理の井口博士のBlogに紹介されていた。井口氏も岡潔のファンだそうで、実は私も隠れファンなのだ。

ファイル 3723-1.jpg

この記事でも紹介したが、岡潔は「数学は情緒である」と言っている。それどころか、この研究会のサイトによると、「宇宙の本体も情である」と。いや、これはすごい。ある意味、そのとおりだ。つまり宇宙と地球と人類を創造されて後、「神ははなはだ満足され」(Gen 1:31)、安息に入られたのだから(Gen 2:2)。まさに創造は神の情だ。

岡潔の業績は、ほとんど伝説で、おそらく世界で理解できる人は数名と言われている多変数複素関数論なる領域を開いたのだ。一変数の複素関数は、私ごときでもいちおう理解できる。前にリーマン予想の驚くべき結果を紹介したが、これも複素関数論の解析接続というテクにより導かれたものだ。

で、このサイトをつらつら眺めていると、岡潔氏の人間論があった。どうも進化論を奉じておられるようなのだ。生命の不思議さを指摘しつつも、やはり進化論か・・・。道元についても触れているのだが、ちょっと残念かもしれない。ただし、岡潔は自然科学の過ちを指摘され、このままでは人類は滅びると、すでに50年近く前に警鐘をならされている。この点はまことに慧眼にして、その予言が成就しつつあるのをわれわれは目撃しているのだ。

要するに、岡潔の繊細な感受性が何かを感じ取ったのだろう、論理を超えたところに存在するリアリティをキャッチしたのだ。岡潔の心の理論によると、これは「無差別知(直観)」とされており、4種類あるとのことだ。すなわち、大円鏡智、平等性智、妙観察知、成所作智。四つあるので四智とも言われる。心の構造についてはこちらに図解されている。なかなか面白い。仏教的な色彩が強いが、大いに参考になる。ただ、霊については触れていない点、クリスチャンではない所以だ。

かくして人類の滅亡を防ぐのは、このもっとも深層(10識)にある「真情」に目覚めることによるわけだ。論理に基づく欧米の自然科学的世界観はすでに破綻しつつある。いわゆるキリスト教文明もすでに破綻している。否、いつも言っている通り、キリスト教こそがまことのいのちなる方=キリスト御自身=の狡猾な障害・敵とすら成り果てている。その延長にあるのは滅亡だ。すでにニッポンキリスト教はいわずもがな、世界のキリスト教にもその兆候が現れている。

それを防ぐのは、岡潔によるならば、10識の「真情」に目覚める日本人であると主張されたいようだ。これまでアメリカのポチとして飼い慣らされてきたわが国、4回もの去勢を受けて、すでに自立し得ないこのニッポン。果たして、この国は、日本人は、その深層に横たわる「真情」に覚醒する日が来るのだろうか?あるいは富井氏の言うとおり、日本人の真のルーツに立ち返って、全世界を救いへと導く救世的種族となるのだろうか?極私的には、Twitterとかの情報の垂れ流し状態を見ていると、痴呆の末期症状を呈しているように見えてしまうのだが・・・。

追記:Salt氏のコメントにこうあった。面白い。もっと言えば、真のクリスチャンはキリスト教などは信じていないのだ。

石川達三がエッセイの中で面白いことを言っています。
「高級なクリスチャンは教会の活動を信じていない。それと同様に高級な共産主義者は共産党を信じてはいない」

いや、楽しい時代になったもんだ

本日も熱い・・・。朝一の講義をひとつこなし、午後からまたひとつ。4時半には目が覚めるが、朝は空気が実に気持ちイイ。熟男(うれだん)は朝が勝負。人生を豊かかつ濃厚に味わいかつ愉しむ秘訣は早起きだ。

さて、最近はめぼしいニュースはすべてTwitterに上げているが(個人的ストックの意味もあるのだ)、件のスノーデン氏がUFOに関する機密をリークするとかのニュースをあげておいた。ところが、こちらのABCニュースもかなり面白い。UFOがなにやらポッドを世界中あちこちで落としているとか。何のポッドか不明だが、いや、極私的には実に楽しい時代になっている

私が江ノ島をこよなく愛する理由(わけ)

わが江ノ島の原点は、小学校の修学旅行で洗心亭に宿泊し、初めて海に触れた*1。さらに、多分、中学3年の頃、月曜日のクラスの大きな話題となったこの番組*2、そう、ここにあるのだ。

*1:いや、初めてではない。生まれは東京、大森海岸で潮干狩りをしている幼少期の写真がある。が、記憶にある限りこの時が初めてだった。
*2:一応、若い人のために解説しておくと、主人公は現千葉県知事だ。

富士山世界遺産登録の件

タイトル画像をいろいろ変えてみたが、この季節はやはり富士山だ。世界遺産登録がなったのだが、TVを観ていて、その人出の多さにオドロキ!新宿や原宿と同じだ・・・・。で、いつもの再建主義の富井氏がこう言われているが、これは確かにそうかもしれない。

富士山が世界遺産登録になって喜んでいるが、ユネスコという組織は、優生論者である。
つまり、優性な資質を持つ者を残し、劣等なそれを排除することを主張する人口削減論者である。
・・・
つまり、本のタイトルにある「ユネスコの目的」とは、優生学に基づく人口削減なのだと言っているのである。
・・・
人口削減のために積極的に活動した。
・・・
国連が、イルミナティの創造であることから判断すれば、ユネスコの優生学的政策は、あのジョージア・ガイドストーンの「世界人口を5億人に減らせ」との目標に沿っていると思われる。
こんな悪魔的な団体に富士山を捧げてしまった日本人。
サタンに協力してよいことは一つもないということを骨身にしみて体験する以外に覚醒は起こらないのか。

ヒットラーのユダヤ人迫害もこの優生学に基づくもの。彼らによれば「無駄飯食い」はどんどん粛清されるべきなのだ*1

TPPについては前に、神の定めた国家の境界線を曖昧にして、バベルの塔以前に戻ること、すなわち主イエスの十字架抜きで統合を目指す企てと言っているが、さて、今回の富士山の運命はいかに・・・。いずれも神の主権を侵しているのだ。

*1:世の中はパレートの2:8の法則で動く。すなわち意味のある仕事をしている者20%が世の仕事の80%をこなす。最近死滅しつつあるミツバチなどの世界も同じだ。しかし、残りの役に立たない80%を粛清すると集団や群れは機能しなくなり、ついには崩壊する。世の中は「籠に乗る人・担ぐ人・そのまた草鞋を作る人」からなるのだ。社会を維持するためにはある一定の「無駄飯食い」が必要なのだ。

中東はアンコトローラブルへ

先に紹介したシリアの反政府軍のカニバリズム(人肉食)について、プーチンは的確なコメントをしている。彼の西側に対する批判はまことに正当だ。

巷間言われている「オバマ666説」はよく分からないが、少なくとも彼は終末の中東情勢を整えたことは事実であろう。シリア反政府軍を援護するためにアレッポに2万人規模の軍隊を派遣する模様。すでにロシアは地中海に空母を展開してる。

一旦相転移すると、一挙に雪崩を打って崩壊へと向かうのがカタストロフィの理論の教えるところだ。人の手による制御はもはや不可能となる。果たして次の聖句は再建主義者が言うようにAD70年の事態の予言なのだろうか?

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。
・・・
人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。-Matt 24:21-27

漢詩の魅力

ファイル 3678-2.jpg

それは、写真と同じだ。その時・場所・瞬間・感動を印画紙(最近はデジタル・データ)に焼付けておける写真と同様、文字の世界として凍結しておけるのだ。もっと言えば、この否応なく過ぎ去る時間を止めることができる。人間の根源的欲求である生きていたい、つまりこの生を慈しみ、楽しみ、嘆き、歓喜する、その営みの結晶と言える。クリスチャンの経験は多分、子羊のいのちの書に記されるのであろうが、この地上においても、なお、自分の生の証しを留め置きたいという切ない願い。誰もが持っていることであろう。詩人をして創作意欲を生み出すのは、まさにこの瞬間の生の感動なのだ。

ファイル 3678-1.jpg

人生は根蒂無く
飄として陌上の塵の如し
分散し風を追って転じ
此れ已に常の身に非ず
地に落ちて兄弟と為る
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならん
歓を得ては当に楽しみを作すべし
斗酒 比隣(ひりん)を聚(あつ)む
盛年 重ねて来たらず
一日 再び晨(あした)なり難し
時に及んで当に勉励すべし
歳月 人を待たず

「時に及んで当に勉励すべし」-人生は長くはないのだから、時を捉えて一生懸命勉強すべきだ、ととらえた人はかなり宗教の霊にやられている。聖書の言葉も文脈をはずすととんでもない誤解により自滅する。ニッポンキリスト教徒に多い例だ。日本語で聖書を理解してはならない。漢文においても、たとえば「故人」とは、「亡くなった人」ではない。「友人」なのだ。かくして陶淵明は何を励めと勧めたのであろうか。文脈を見れば明らかであろう。人生を楽しめと言っているのだ。はたして主イエスは、キリスト教徒たちが自分の言葉を勝手に解釈してクルシチャン化していることをどう感じておられるのであろう?

注:絵は無弦の琴を手にする陶淵明。目に見える手段や方法に囚われないで心の中で琴を弾ずることができたという。中島敦の弓を忘れた弓の達人を描いた『名人伝』を彷彿とする。

10万年後の人類の顔!

脳が発達、色が黒く、目がでかくなるらしい

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今でも、こんな顔の子っているけどなぁ・・・

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こちらは進化論者のアニメーション。人の認知の性質として、まとまった形、あるいは連続的な様式で認知する性質がある。ゲシュタルト性と言うが、人は現実・現象をこうしてパラパラ漫画のように認知すると安心するのだ。

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ちなみに、これはブッシュとチンパンジーの連続性。こうして見るとブッシュと猿のゲシュタルト的類似性が明確に理解できるのが不思議ではある。

あめでとう、さしこ!

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来たる参院選の前哨戦(?)、AKB48の総選挙。TVでも実況され、大島を排除してさしこがセンターを取った。おめでとう!おじさんも応援してるから!

・・・というわけだが、こんな番組が実況中継されるニッポン・・・へいわと言うか、これ以上ことばがない。しかし秋元は気に入らん。この男、少女たちをキャラクターグッズ化したのだ。ちなみにうちの大学に、かつてAKBのメンバーだった「よねちゃん」がいる/いた(他学部なので、消息はよく分からん)。選挙でランクを落とし、カレシを作ってAKBを追放されたらしい。よーするに、誰でも手が届く等身大のアイドル、自腹を切ってのサークル活動のノリでの応援作戦が功を奏し、さしこも遂に、だ。これがAKBの魅力なのか・・・。ま、ファン現象と言うよりはヲタク現象だ*1

*1:自分が参加することにより結果が出ることに自分の存在意義を確認しているのだろう。今日、一旦枠から外れると、彼らは社会に参加することさえ困難なのだから。

中国への思い入れ

再建主義の富井氏は中華人民共和国が崩壊するように、無数回祈っているそうだ。確かに共産党中国は私も好きではない。ウォッチマン・ニーをアメリカ帝国主義のスパイとして労働改造所に20年間幽閉した党だ(→ウォッチマン・ニーの証し)。

思い起こすと私が中国に惹かれたのは『西遊記』、小学生の頃夢中になったものだ。何というか伝奇物語に対する怖さとワクワク感でその世界にどっぷりとはまったものだ。高校時代には、前に書いたように、漢文や中島敦を通して魅了された。ニーのことは、もちろんクリスチャンになった後に知ったわけだが、ここで共産党中国の現状を知った。

そして山崎豊子の『大地の子』。これは『文藝春秋』の連載は知っていたが、私は映像派なので、やはりNHKの95年のドラマではまった。現在もVHSに撮りためてあった映像をDVD化している。上川隆也が中国語はできないにもかかわらず、音だけを記憶して、現地のスタッフも舌を巻くほどの中国語の台詞をしゃべったことには驚きだった*1

で、もっとも最近では、この春の『三国志』により、すっかり漢詩に入れ込んでいるわけだ。特に悪役の曹操の詩は実に壮大かつ剛健。男の体臭がプーンとするように感じられるのだ。そう、昔のブロンソンのマンダムのCM的か。・・・しかし、今のニッポン、男の体臭が嫌われるようになって久しい。TVにはおねぇが蔓延り、どこもかしこもみんな女の○○ったような社会になってしまった。この鶴田浩二の台詞ももう聞かれない。

今や、世界の中心は中国*2。その四千年の歴史とスケールは侮りがたい。さて、今晩は・・・

*1:一流の役者は耳がいいのだ。ジュディ・オングなども4ヶ国語をしゃべるが、耳がすごいのだとか。
*2:ちなみに田中宇氏の最新のニュースレターも「中国の影響力拡大」である。

Jazz と 漢詩

この二つの文化、人間の哀しみ、人間の歓び、人間の不条理、人間の愚かさ、そう、人間の生・・・。人間、なんと愛おしむべき存在ではないか。そう、所詮この世は浮世狂言。その浮世を生きる人間の悲喜劇を謳っているのだ。あまりにも異なるようで、実は深い処で似ていることに気が付いた。

THE DAYS OF WINE AND ROSES

 蝸牛 角上 何事をか爭ふ
 石火 光中 此の身を寄す
 富に隨ひ 貧に隨ひ  且(しば)し歡樂せん
 口を開きて 笑はざるは 是れ癡人

 カタツムリのツノの上のような狭いこの浮き世の中で、何を争っているのだ。
 火打ち石の一瞬の火花の輝きのような仮住まいの身。
 豊かな者は豊かなりに、貧しい者は貧しいなりに、しばらくこの世に生きている間は楽しんで過ごそう。
 口を開けて高らかに笑わない者は痴れ者(あほ)である。 

唐代長安音(推定)による詠唱

さて、これからレイトショーだ・・・・。

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石がハマりたい処

再建主義の富井氏のこの訴え、まことに心に響く:

ディスペンセーショナリズムに汚染され、プレ・ミレの悲観主義的な終末論によって不信仰に陥ったキリスト教界、福音派の中で評判を獲得し、偉くなり、指導者になったからそれが何だ。
聖書すら毀損されていることが明らかなのに、何も対策を講じない集団において出世したからいったい何がいいの?
人の歓心を買うことを第一とするような教会成長学に汚染されたキリスト教界で孤立することに何か不都合なことがあるの?
「人間に信頼する」ことは「心が貧しくない」ことである。
人間に頼れないことを悟ったときに、はじめてわれわれは「幸い」になる。

彼のただ神にのみ頼る孤立無援の歩みには敬意を覚えているのだ。私も意に反してこのニッポンキリスト教なる忌まわしい業界と関わりを持たされたが、すでにこのギョウカイ、ビョウキと狂気が支配し、まともな人間であればとても住める処ではないと分かるはずだ。これはもう繰り返すまでもない。

今回いつもの電気屋さんが面白いことを書いておられた。

ある程度石と付き合うと、石がここに置かれたい場所が見えてくる時があります。
それを私の意志を用いて据えられた時はちょっと快感です。

これ、漢詩も同じ。作為的かつ技巧的に詩語をハメた詩は、形はそれなりについても、スキッとした爽快感がないのだ。詩語がハマりたい処にハメてあげると、これが実に快感。こちらの意志ではなく、あちらの意志が優先される時、そこに何かが起きる。富井氏も、自分を信じるな、自分に頼るな、と繰り返しておられるが、まことに自己(セルフ)の匂いが入るとすべてが台無しになる。それは実に興覚め(ツマラナイ)なのだ。

そう、私たちはまことに生ける石なのだ*1。ただその石をどこにハメるかは神の意志による。私たちはその主権に服し、何気にハメこまれる時、実に自然かつ安楽なのだ。自分としてはハメられた気もしない。ただ自然と生きているだけ。こちら側では老子的無意自然。神の側では有意必然なのだ。いわゆるキリスト教のリバイバルなんとかとか、人為的な臭さのあるものはもう散々な結末を生んだことは言うまでもないだろう。この業界、屍累々だ。彼らの妬み・嫉妬・怨念がネット上には亡霊の如く蔓延している。もはやエクソダスとか叫ぶつもりもないが、この業界はその腐臭の中で立ち腐れるであろう。

幕末から維新にかけて、諸々の志士たちがそれぞれの信条に基づいて、決断し・行動し・命を捨てた。彼らは自分がどんな場面で、どのような歴史的意義を有していたか、もちろん知る由もなかったのだ。それはただ神の主権の領域のこと。判断は、少なくとも当時の人間がなすべきものではなかった。私たちも同じ。自分の生きている様が神の御計画の中でどんな意義を与えられているのか、それは私たちが判断することではない。ただ、私たちは日々生きるだけ。ならば、楽しく生きた方がよかろう。先にも書いたが、主は午前に雇った者にも、午後に雇った者にも同じ賃金を下さるお方。ならば午後雇われた方が理に叶っている。ここにDr.LukeのiDLING生活の根拠があるのだ。

高杉晋作らの生きた時間を見ると、その短いことに改めて驚く。彼らはその瞬間的な輝く生をただ必死*2に生きたのだ。そしてそれぞれの役割や意義をまとめ上げるのは神だ。こうして歴史は、人の意志(無為自然)と神の意志(有意必然)が絡み合って紡がれていく・・・。


※死の直前の晋作の詩。小門夕棹舎に遊ぶ。

軽暖軽寒春色晴る 閑吟独り小門(おど)に向い行く
梅花は凋落し桜猶早し 窓外唯聴く夕棹(せきとう)の声

■参考:神の予定と人の自由意志について

*1:私の号は一石、これ、ペテロを意識したわけではない。クリスチャンになる以前からだから。ルーツはアインシュタイン(Ein Stein)なのだ。
*2:いわゆる今日的な「必死」の意味ではない。

チョット、ヒトイキ・・・

これ、オモロ・カワユイというか、やや不気味と言うか・・・しかし、明日はまた金曜日だ・・・早!

第1四半期、年率換算で3.5%伸び率。消費者マインドも改善傾向。車販売数がすごい伸び率。ただし、国債下落傾向で金利の動きがやや気になる。

バブルの夢、続いて欲しい・・・

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