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トップ > 漢詩

鍾山即時-王安石

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 澗水(かんすい)聲無く 竹を繞って流る
 竹西の花草 春柔を露す
 茅簷(ぼうえん)相對して 坐すること終日
 一鳥啼かず 山更に幽なり

 ※澗水=春の柔らかな谷川の水、茅簷=茅葺きの家の軒

口占-呉偉業

この詩、悠々として、自適の人生を詠っている。こういう境涯に限りなく憧れるのだ。今の世のアンチテーゼとして・・・。

ファイル 3704-1.jpg

 渓山を買わんと欲して 銭を用いず
 倦み来って 枕を高うす 白雲の辺
 吾が生は 此の外 他の願い無し
 谷に飲み丘に棲む 二十年

*  *  *

ファイル 3704-2.png

さて、これから東京都美術館でのダ・ビンチ展に。

半夜-良寛

この世は所詮、浮世狂言・・・。自分も振り返ると五十有余年生きてきたが、人間世界は善も悪もみな夢の如し。此の山の中の小屋の外は、黄梅の時期の夜雨がしとしと、わがみすぼらしい窓に降り注ぐだけだ。

 首を回らせば五十有余年
 人間(じんかん)の是非は一夢の中
 山房 五月 黄梅の雨
 半夜蕭蕭として虚窓に灑そそぐ

山中問答-李白

空気が冷たい、風の音がさらさらと鳴る。鳥は鳴き、鶯は友を求め最後の声を振り絞る。そんな晩春の朝を楽しんできた。

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ファイル 3701-2.jpg

余に問ふ 何の意ぞ碧山に棲むと
笑って答えず 心自から閑なり
桃花流水 杳然として去る
別に天地の人間に非ざる有り

南溟孤帆

ファイル 3696-1.jpg


(七絶・平起式・上平声五微韻)

急波 洶洶(きょうきょう)として 釣魚の磯
迥かに碧なり 孤帆(こはん) 海上を歸へる
暑は退き 江風に 涼氣足る
南溟(なんめい) 目を極むるに 殘暉 藹(おだやか)なり

(C)唐沢治

新晴野望

雨上りの晴れの朝。空気が実に澄んでいて、清々しい。葉っぱの上の雨の滴がキラキラと光り宝石の様。人の心はどこかに彷徨っていて、神の創造の美を楽しむことができない。もし心がちょっと開かれれば、神はどこにでもいます方。礼拝とはキリスト教の日曜日の忍耐を要するお努めではないのだ。この10年近く繰り返し書いているが、英国NorwichのPenny女史のところでは、いわゆる日曜礼拝なるものは執り行っていない。いわゆる礼拝堂もない。彼らのビジョンはクリスチャンを箱物から解放すること。それは、すなわちキリスト教からの解放に他ならない。


クリックでスライドショー

新たに晴れて 原野は曠く
目を極むれども 氛垢無し
郭門は渡頭に臨み
村樹は渓口に連なる
白水 田外に明るくし
碧峰 山後に出づ
農月に 閑人無く
家を傾けて 南畝に事(つと)む

漢詩二題-無心-

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(C)唐沢治

無為無心

朝のジョッギング。緑がますます濃くなり、簾のようにれている柳の枝も、池を覆い尽くす蓮の葉も、何かを意図しているわけではない。人も少なく静かな中で、カエルの声が響くが、人のために鳴くわけでもなく、その鳴き声を理解することはできない。きらめくさざ波が美しく輝く緑の池に向かって立つと、晩春の鶯の鳴き声が聞こえるが、彼らも自然の神秘を論じるために鳴いているのではないのだ。(こうして自然はすべて意図や計らいなく、無心にただいのちのままに流れていく。)

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(七絶・平起式・下平声十二侵韻)

玉簾 碧藕(へきぐう) 又 無心
人 靜かにして 蛙の聲 音を解せず
瀲灔(れんさん)は離離として 綠水に臨む
流鶯は弁ぜず 幽尋を得るを

(C)唐沢治

漢詩紀行 陶淵明 孟浩然 王維 #1

この時間のスケールが何とも大陸的。多分、大陸では生活、そして人生の濃度が私たちとは違うのだろう。『三国志』以降、この大陸の風に惹かれること、如何ともし難しなのだ。

梅雨

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(七絶・仄起式・下平声一先韻)

溽暑 憂うるを堪え 寂寂として然たり
南薫 夏を迎え 又 田田たり
嶺雲 隠隠として 黄梅の雨
點滴 聲無くして 年を記るさず

(C)唐沢治

梅時嵐

6月6日梅の日。世情の期待を裏切る波瀾の経済状況。梅雨も空露の中、怪しげな雲が窓を暗くして、夕暮れ時を湿らせてくれた。時節柄の煙のごとき慈雨を願いつつも、いきなり台風が直撃する模様で梅の実も落ちる。梅雨時の嵐・・・。世情も自然も大荒れの昨今ではある。

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(七絶・平起式・上平声十三元韻)

梅時の嵐
妖雲 窓暗くし 黄昏を濕(うるお)す
情願す 旬を経た 煙雨の繁きを
忽地(たちまち) 衣を襲い 梅子落つ
暴風 塊を破り 柴門を叩かん

(C)唐沢治

酒の詩-李商隱の場合-

李商隠については恋愛詩が秀逸であるとしてすでに紹介した。また酒もけっこうイケるのだ。

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花の下に酔う
芳を尋ねて覺え不流霞に醉ふ
樹に倚り沈眠して日已に斜なり
客散じ酒醒む深夜の後
更に紅燭を持して殘花を賞す

今、トライしているワイン、VILLA-DES-ANGES-SAUVIGNONの2010年もの。カリスマ評論家Robert Parker氏のお墨付きとか。

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そう、酒とくれば、泪と男と女と続く・・・・。「またひとつ女の方がえらく思えてきた、またひとつ男のずるさが見えてきた・・・」、沁みるね。彼ももういないが。

河島英吾:酒と泪と男と女

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