前にLAのガイドブックを知っていることと、LAを見ることとは違うと書いた。ガイドブックを隅から隅まで知っていたところで、現地を観ていなければナンセンスとだれもが分かる。ところが霊的世界になるとこれが違ってくるのだ。聖書を実によく知っている人々がいる。あるいは解き明かしと称する作業が得意な 人々も多い。が、彼らの言葉を聞くと、実際に現地を観ているのか、ガイドブックを知っているだけなのか、これはLAに行ったかどうかが明白であるように、分かってしまう。

人類はアダムの堕罪以降、霊が死んで、霊的領域にタッチすることができなくなった。そのため神から切り離されて、魂(思い・感情・意志)を肥大化させて、特に知性によって世界を把握し、内的に構築したそれぞれの世界モデルに従って生きるようになった。魂と肉体の五感がカバーできる領域は物理的世界のみであり、霊的世界はその能力によって観測することはできない。

つまりいくら聖書を知っていても、霊的領域を見て、それにタッチすることは決してできないのだ。だから、霊のアクティベーションが要る。霊は霊的サブスタンスにタッチするセンサーであり、われわれのアイデンティティーそのものである。私たちは肉体でもなく、魂でもない。霊である。そして私たちの霊は神の種から生まれた。それは神聖であり、罪や世や敵が触れることはできない。神から生まれたもの、それは神である。

神から生まれたは皆、罪を犯しません。神の種がこの人の内にいつもあるからです。このは神から生まれたので、罪を犯すことができません。-1John 3:9

ここの訳も実は大いなる罠になる。クリスチャンは神から生まれた、ゆえに罪を犯すことはできない・・・。はあ? 私たちは罪を犯しているではないか。またヨハネ自身も罪がないと言えば偽り者だと言っているではないか!(1John 1:8) すると私は神から生まれていない? こうして自分はほんとに救われているのかどうか、葛藤に落ちるのだ。これが日本語で考えてはならないと私が口を酸っぱくして言う理由である。

「神から生まれた」と訳すのが罠。原語では”pas”、「神から生まれたすべての存在」とするのが正解。また「生まれた」は”gennao”、Strongによれば”procreate”、その意味は「父から生成される」の意味だ。要するに、何が生成されたわけ? それは霊だ。神は霊である(John 3:6)。霊から生まれるのは霊である(John 4:24)。それは神の種、すなわちDNAを有する[1] … Continue reading。これが罪を犯すことはできないのだ。

私たちの体に罪(Sin)が内住している現経綸では、体と魂はいくらでも罪を犯し得る。これが肉(flesh)。が、私たちの真のアイデンティティーは体と魂ではない! 霊である。その霊は分与された神の霊である(1John 4:13)。See? つまり私たちはエロヒムである。神になるのではない、すでにエロヒムである[2] … Continue reading。アイデンティティーをどこに置くのか? これがカギ。

かくして教会(この用語はすでに手垢が付きすぎている)、エクレシアは単なる罪ゆるされたあわれな罪人の集合体ではない。そのように信じる者にとってはそのとおりになるだろう。それがその人のフェイスだから。それがいわゆるキリスト教会。再度、繰り返すが、エクレシアの定義はこれだ。

このエクレシアはキリストの体、すべてのものをすべてのものの中に満たす方の充満である。-Eph 1:23(岩波訳)

これを「キリストが満ちているところ」とするから致命的にズレると前にも指摘した。エクレシアはキリストの充満。それは何? そう、キリストだ。何故? キリストの充満だから。キリストが満ちているところではない! よく読むように。キリストの充満、つまりキリスト。何か教会と称するがあって、そこにキリストが満ちていると考える人、あなたはとんでもなく読み違いをしている。充満とは場所ではない。Strongは”repletion or completion”と言う。それは充満であり、完成である。

それは新生命体、ニュクリーチャー、新しい創造、まったく新しい種である! つまり神属の存在なのだ。父なる神はキリストの傷から流れた血と水により、御霊からそれを生み出したのだ。それはいわゆるキリスト教会でもないし、キリスト教でもない。iPS現象やSTAP現象のようなひとつの新しい生命現象である!

神は人間性において現れる。これが敬虔(godliness)の奥義(1Tim 3:16)。真に霊によって見た者は幸いである。それは各人のマインドのトランスペアレンシー(透過性)にかかっているのだ。

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1 エロヒムの霊から生まれたゆえ、われわれの霊もエロヒム属の存在である。「エロヒム(Elohim)」を「神(God)」と訳すことが罠であるとも指摘しているところだ。
2 この表現はキリスト教神学でMCされたマインドにとっては大いなる躓きとなるであろう。父・子・聖霊にいます最も高きエロヒムがYHWH。われわれはYHWHになるのではない。YHWHの交わりに与るのである(1John 1:3)。

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