社会はある一定の価値観とそれに基づくルールから構成される。これはプロトコルと呼ばれる。その社会に生きる人々はそれに適応するように考えまた行動することが要求される。現代はいわゆる人権と自由に基づいて民主主義なるプロトコルが主流。経済システムは市場経済。これはすべて五感によって生み出されたリアリティー。それから外れると反社会的勢力とか言われるわけ。

ちなみに物理学では最近、「ホログラフィック宇宙論」も提唱されているように、それは脳が生み出したものなのだ[1] … Continue reading

神の国(マトリックス)も同様に固有のプロトコルがある。これは世のそれとは全く異なるものであり、むしろベクトルは正反対[2]たとえば、得るために得るが世のプロトコル。神の国では失えば得るだ。、そこに生きるためには私たちのマインドセットが根本的に変革される必要がある。すなわち絶対神主主義であり、それに基づいて絶対王(神)権制がしかれ、その恩恵によって生きるのだ(Col 1:16)。

その根拠は、イエスの流された血。それは全宇宙を買収した。要するに株式会社でも、TOBなどにより株式を過半数取得した者が実質的なオーナーになるのと同じ。神は天と地の株を100%取得されたのだ。

それまでのオーナーは誰だったか。そう、アダムから欺きにより不正にオーナー代行権を奪取したサタンであった(Col 1:13)。それはそもそも不正行為であったゆえに、イエスの血はサタンに対して支払われたのではない。われわれが贖われたのは律法の呪いの下からである(Gal 3:13)。

サタンは律法の呪いの下にある罪(Sin)の住むわれわれの肉を刺激して、われわれを自分の下に置こうとする。アダム系列の古い私が唆されるとき、アダムと同じように罪(sins)を犯す。罪の力は律法ゆえ(1Cor 15:56)、律法に縛られている古い私は自ずとサタンの下に置かれる。こうしては世は悪しき者の配下に置かれるのだ。

しかるに、サタンの不当性は神の子を十字架に付けることにより証明された。が、キリストは復活し、新しい人類を創造された。血の代価と復活によりキリストは愛と義を証明され、サタンが不当に奪取していた天と地のあらゆる権威を正当に得た。アダム系の私も終わり、律法は私に対して力を失った。

同時に罪(Sin)も新しいキリスト系の私には効力を発揮し得ない(Rom 6:14;7:1)。それを担保するのが恩恵、つまり恵(Grace)である。鍵はアダム系の死とキリスト系の復活。これなくしては神の国のイロハを失う。同時に、キリストの血はあらゆる病の代価も払った。世でも癒しを求めて医者にいけば、当然のこと代価を要求される。しかし、キリストはすでに代価を払ってくださったのだ!

世はバビロンのシステムである。つまり奴隷組織。現在、いわゆる奴隷はいないが、実質は奴隷状態。よく社畜とか揶揄されるが、すべて今の貨幣システムにおいては奴隷なのだ。特に負債を抱えている者はよく分かることと思う。中央銀行(市中も)というシステム、国家による徴税、ローンの金利、これらはすべからく合法的な詐欺だ。

何度も指摘しているが、ニッポンの個人資産は1300兆と言われているが、現ナマはない!日銀の発行残高、つまり現ナマは80兆程度。これ、信用創造によるトリック。準備率を1%とすれば、100万円は100倍に化けるのだ。この世のシステム(マトリックス)は神の国(マトリックス)と真っ向から対立する。しかるにキリストの血はこの世で生きるための代価をも支払ってくださったのだ。

昨晩、BSで山崎豊子の『沈まぬ太陽』を再度観た。正義の社畜恩田があくまでも正義を貫き、国民航空を相手に奮闘し、裏切られ、傷つき、自分を見失いつつも、真の価値を見出すというストーリー。あの御巣鷹山の事故を描いている。モデルは日航。その内部がどれほどに腐っていたか。恩田は会社という組織の中で自分を確立しようともがくのだ。

が、これがそもそもの罠。組織の中で自己を確立することは本来無意味だ。われわれのアイデンティティーは何によるのか。そう、対・神においてのみそれは確立される。自己は、生物レベル精神レベル社会的レベル(ノンクリスチャンの場合はここまで)、さらに霊的レベルの層構造をなしている。神の贖いのワザはそのすべての層にまで及ぶ。もちろんこのボディのトランスフォーメーションは携挙まで待つ必要があるが、病の癒しはすでに成し遂げられている。生物的次元でもDNAのレベルまでキリストの血は力を発揮する。

では、なぜある者は癒されず、貧富の差もあるし、家庭が崩壊する者もいるの・・・・か。このようなマインドセットがすでに欺かれているのだ。聖書が、主の打たれた傷により癒されたとある以上、そのとおり。主は富んでおられたのに、私たちを富むものとするために貧しくなられたとある以上、そのとおり。魂が栄えているように、あらゆる面で栄えるとある以上、そのとおり。そこに隙間を作るとそこに疑念が入る。それは種。いつかその実を結ぶ。真理に対して一部のスキも作らないこと。神の国のプロトコルには疑問や疑念はない、否、あってはならないのだから・・・。

主は言われた-

神のフェイスを持て。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、「動いて、海にはいれ。」と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。-Mark 11:21-22

フェイスはオツムの問題ではない。キリスト教神学などをいくら学ぼうとも、それは単なるオツムの表層の知識に過ぎない。フェイスは心の出来事。つまりハート・マターだ。心(霊と魂の相互作用)にフォティーゾされる天的サブスタンスこそがフェイス。それを得たら、語り出すのだ。すると実体化される。あらゆる真理と知識はキリストのうちにある(Col 2:3)。そのキリストはわが霊の中に聖霊により生きておられる。そこからすべての富を汲み出すのだ。ゆえにフェイスとはCardio-Gnosticismである。

人の口の言葉は深い水のようだ、知恵の泉は、わいて流れる川である。-Prov 18:4
油断することなく、あなたの心を守れ、命の事柄は、これから流れ出るからである。-Prov 4:23

人生のすべては心から生み出される

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1 東大解剖学の養老孟司氏は『唯脳論』の中で、都市はまさに脳化の極致であると言っている。人工的な空間である都市は、ただその機能の発揮のために設計されている。人が住まう空間ではそもそもないのだ。
2 たとえば、得るために得るが世のプロトコル。神の国では失えば得るだ。

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