Utility

Calendar

< 2024.4 >
S M T W T F S
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
- - - - - - -

WORLD CLOCK

COUNTER

    Access.....
    Yesterday......
    Today.............

KF_SITE

FOR MEMBERS

KF_PODCAST

YOUTUBE ARCHIVE

OUR WORSHIP

TWITTER UPDATE

INSTAGRAM UPDATE

PRAY FOR ISRAEL

KINGDOM FAITH(UK)

NEW LIFE CHURCH(UK)

QRcode

BIBLE SEARCH

Entry Search

Recent Entry

Recent Comment

未承認
2017/08/07 18:42 未承認
Re:聖書をキリスト教から解放せよ!
2015/04/22 09:49 菊千代
Re:「当たり前」が崩れる時代
2015/04/20 07:42 Luke
Re:出版への状況
2015/04/20 07:41 Luke
Re:出版への状況
2015/04/19 21:55 toshi

Recent Trackback

PJ 高橋清隆氏の記事が出ていました。
2008/06/25 20:45 AAA植草一秀氏を応援するブログAAA
負のレガシー
2008/06/18 16:03 リチャードの日記
キリスト者とインターネット
2008/06/18 09:21 キリスト教 プロテスタント 聖書 信仰
キリスト者とインターネット
2008/06/18 09:12 キリスト教 プロテスタント 聖書 信仰
産声を上げたKFC、、、、、
2008/05/05 12:10 thelongstreamingully

タグ一覧

Link

Entry

トップ > 漢詩

酒の詩-王維の場合-

最近、実に酒が美味い。ビールは腹が膨れるのであまり好まないが、冷酒とワインにはけっこうハマっている。六本木で飲む鳳凰美田を初め、日本の銘酒をひとわたり味わってみたい。ワインは薀蓄が難しいので、適当な選択だが、当たった時は感激だ。今夜もVOLKSのステーキと赤ワインを楽しんできた。漢詩でも酒は大きなテーマとなる。あの曹操の『對酒』をはじめ、壮大なスケールというか、世界観が広がるものが多い。

そこで今回は王維。十代の頃から、詩と絵と琵琶に長けていたイケメンの王維。719年、21歳で進士に及第するも翌年に左遷。その頃出会った身分の低い女と恋に落ちる。人目を忍んだ逢瀬を経て、31歳で士身分を捨てて彼女と結婚。「文陽の人」と呼ばれるが詳細は不明。33歳で彼女は逝去し、その後は独り身を貫く・・・。というロマンチストの王維。その詩も「視覚の美、仏教徒としての静寂な思想と恬淡で清新優美な芸術的風格の詩。言葉で語りつくせない余韻を残す詩。静寂な詩の世界に誘われ、読む人の心を豊かにする」と賞される。

次の詩は出世を焦る友人を諭したもの。焦りと不安とイラ立ちに苛まれ、自分が何を求めているかも分からないままに、闇雲にもがいているクルシチャンにもフィットするだろう。

ファイル 3662-1.jpg

酒を酌んで裴迪(はいてき)に与う
酒を酌んで君に与う 君自ら寛(ゆる)うせよ
人情の翻覆(はんぷく)は波瀾に似たり
白首の相知(そうち)も猶を剣を按(あん)じ
朱門の先達は弾冠(だんかん)を笑う
草色全く細雨を経て湿(うるお)い 
花枝動かんと欲して春風寒し
世事(せじ)浮雲 何ぞ問うに足らん
如(し)かず 高臥して且つ餐(さん)を加えんには

おい、君よ、酒でも飲んで、ゆったりとしたらどうだい。人情の揺れなどは波のようなものだからさ。白髪になっても剣を取り合うこともあるし、先に偉くなった連中はあざ笑うけどな。草は雨で生き生きしているが、枝の花は動こうとしてもできないで、寒さでぶるぶるしてる。世の中のことは、浮雲みたいなもので、あえてガチになるほどでもないから。ゆったりと寝転がって美味い物を食うことに比べればさ。

これって、やっぱり、怠惰をこよなく愛する小市民Dr.Lukeとしてはマルコ四章(Mark 4:26-28)を連想するのだが・・・。

「あなたがたは思い煩ったからとて、髪の毛の一本も黒くも白くもできない」-Jesus

梅雨なのに・・・・・

Loading the player...

鶯は友と相応え、紫陽花(集真藍)は美しく、昔の女性(ひと)を想い起こさせ、蓮の葉は魚鱗のごとく輝き、竹林は幽にして玄。ひととき世俗を忘れさせてくれる園なのだ。

ファイル 3651-1.jpg

ファイル 3651-2.jpg

ファイル 3651-3.jpg

ファイル 3651-4.jpg


(七絶・平起式・平下八庚韻)

流鶯 碧樹に 前盟を話す
藍花 空林に 世情を遺(わす)る
遥かに覊懐(きかい)を想うも 人 已(すで)に遠し
新荷 滿目にして浮生を樂しむ

(C)唐沢治

嫦娥-李商隠

神話のついでに-中国の幻想的な神話物語を題材にし、自分を捨てた女性に対する想いを詠んだもの。『西遊記』的なこういう世界に私は限りない憧憬を覚えるのだ・・・

ファイル 3645-1.jpg

雲母の屏風、燭影深し
長河漸やく落ちて、暁星沈む
嫦娥は応に悔ゆるべし、霊薬を偸(ぬす)みしを、
碧海、青天夜夜(やや)の心

Moon River-Diana Panton

薛濤の生涯

彼女が10歳の頃詠んだ対句が彼女の運命を予言しているとして父親が嘆息したことは先に書いた。その成就の詩がこれだ。

ファイル 3641-1.jpg

二月の楊花は軽復た微
春風は揺蕩にして人衣を惹く
他家(たか)本(もと)是(これ)無情の物
一向に南に飛び又北に飛ぶ

私は二月の柳の綿毛のように人の衣にまとわりつつ、もとより感情を持たないものゆえ、春風に吹かれるままに南から北へと飛ぶ。自分は綿毛のような軽く、微々たる存在。自分の感情ももたず、春の風に吹かれるままに客にまとわりつく・・・というのだ。自分の境遇を綿毛として昇華している。

もうひとつは-

ファイル 3641-2.png

春は風景をして仙霞を駐(とどめ)しめ
水面の魚身総(すべ)て花を帯びる
人世思はず霊卉(れいき)の異を
競つて将に紅纈(こうけつ)をもつて軽沙を染む

春は造化の神様が、風や光と影、景色や、谷に咲き乱れる花や、かすみとか雲でその神秘の業を告げる。水に落ちた花で泳ぐ魚はまるで花模様を帯びたかのよう。世の人は、この自然の霊妙さを思うことがない。人々はあたかも神様と競うように赤い染め布を河原に干して春を告げている。

神の創造の神秘に想いを馳せつつ、神と競うかのように生きる人の生業を描いている詩だ。一枚の絵が見えるような作品だ。詩人には普通の人が見えない世界が見える。当たり前の光景に霊妙や幽玄を覚え、ある種の感動をもってそれを言葉で表現する。その表現を受けた私たちの心の中にまた感動の波動が生まれ、伝搬する。彼女の感動と同様の感動を時と空間を超えて味わうことができるのだ。中国四千年の歴史の蓄積は無尽蔵。人間精神の豊かさを掘り起こす歓びは尽きることがない。

これで彼女については一応終わり。次はずっと遡って南宋時代の女流詩人謝朓を見てみたい。

薛濤:春望詞其四

今朝はやや蒸し暑い。そろそろ梅雨の雰囲気だ。紫陽花がまだ白い・・・。さて、薛濤の春望詞の最後。それにしてもこの一連の詩を詠んだ時、彼女の心は誰を想っていたのであろうか。まことに艶にして、女性の深淵を見る思いがする作品だ。

ファイル 3640-1.jpg

那(な)んぞ堪えむ 花 枝に満つるに
翻(かえ)って両相の思ひを作(な)す
玉箸 朝鏡に垂(た)る
春風 知るや知らざるや

玉箸:美しい女の涙

満開の花が枝を飾るこのとき、この気持ちをどうして堪えることができましょう。両想いであるばかりに、かえって苦しさが増し、詩に詠うのみです。朝ごとに鏡に向かうと、ただ涙がこぼれるばかり。ああ、春風はこの愁いの気持ちを知ってくれているのでしょうか(あの人にこの気持ちを伝えてくれるでしょうか)。

薛濤は若い頃から何事も器用にこなし、紙漉きの業も会得した。さらに書家としても優れており、その紙に自作の詩を書き、自分の髪を添えて客に贈っていた。この色紙は薛濤箋として有名になり、現在も成都の名産である。この紙は雲母を含み、艶やかな上質な紙で、雲母箋とも呼ばれるそうだ。ちなみに成都は『三国志』における劉備の蜀漢の中心地であることは言うまでもない。

ファイル 3640-2.jpg

うーん、私もこのような色紙を貰ってみたいものだ。何とも妖艶なる趣きがあるではないか。

黒鳥銀波

ファイル 3639-1.jpg


(七絶・平起式・下平声十一尤韻)

外洋 一碧 遠帆を收む
渺渺(びょうびょう)たる銀波 風意柔らかなり
黒鳥 孤り飛び 何処(いずこ)にか去る
虚空に 意の如くして 跡を留めること無し

真っ青な太平洋に遠くのヨットの帆が見えている。広々とした海原に銀の波が打ち寄せ、風はゆったりと吹いている。ふと黒い鳥が単独で飛んだ、どこへ行くのだろうか?広大な空を自由に飛びつつも、その自分の飛跡を残すことはないのだ。

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 ・・・だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。-Matt 6:26-32

(C)唐沢治

薛濤:春望詞其三

ファイル 3638-1.jpg

昨晩は東京MTの酢重ダイニングにて。この店、実は長野県の酒蔵の店。わが地元の真澄や御子鶴、さらに味噌料理が特徴。今、ちょうどフェアーの時期で佐久の明鏡止水の試飲が。いや、六本木に長野県が進出、なんとも気分がいいことだ。

ファイル 3638-2.jpg

*   *   *

ファイル 3638-3.jpeg

さて、薛濤について陳舜臣氏が『中国美人伝』の中で書いている。彼女は長安で生まれ、役人の父の赴任地成都で育ち、14,5歳で父を亡くし、母と共にそこにとどまる。10歳になるまでに詩を詠むことができ、父が桐の枝と葉で対句を作れと言うと、たちまちに

 枝迎南北鳥/葉送往来風

と詠んだ。古代中国には纖(しん)といわれる予言が信じられていた。この詩はまさに彼女の一生を暗示していると感じた父は嘆息したという。これは後ほど紹介する彼女の詩『柳絮』で証明される。父の死後、彼女は伝をたどり、その地の節度使韋城武の家妓となる。その妻が玉笙(ぎょくしょう)、彼女は夫が寵愛する自分より十歳も若い薛濤になぜか嫉妬することもなく、むしろあたたかい目を向けるのだった。彼女もかつては芸妓だったのだ。かくして二人は"夫"の目を盗んで互いに燃えるようになる。その彼女が詠んだ春望詩其三-

ファイル 3638-4.jpg

風花 日に将に老いんとするに、佳期 猶ほ渺渺(べうべう)たり。
同心の人を結ばずして、空しく同心の草を結ぶ。

風に舞う花びらに、時はゆっくりと過ぎ行く/なのにあなたに逢える日はなお遥か遠く。
愛するあなたと結ばれることはなく/ただ空しく同心草を結び合わせるばかりです。

彼女の境遇を思い巡らすとき、この詩も単なる恋愛ではない、むしろもっと艶かしい印象を覚えるのだ。昨今、女性の人権がどうのこうので橋下氏が叩かれているが、当時は女性は存在すら認められなかった時代。運命に弄ばれるかのように東西へ、南北へと柳絮のごとく舞を繰り広げた彼女の人生。魚玄機とは異なり、80歳近くまで生きて、今でも成都では語り継がれているとか。過酷な運命に抗して、彼女の美貌と才能が彼女を今日まで生かしているのだ。魚玄機にしも薛濤にしても、なんとも艶にして幽境の情を覚えさせられる女性たちではある。

ファイル 3638-5.jpg

成都薛濤井

陰の声:先の銀の波に一羽のカラスを詩にしようと苦闘しているところ・・・・。

薛涛:春望詞其二

月曜日、すごろくで言えば、また振り出しへ。金曜日は上がり。こうしてクルクルと回っていくのだ。しかし、最近、株と金利がちょっと不安定だが、人出は多い。考えてみれば、こうやって人々が日曜日とか休日にカネを使うので景気がよくなるわけで、民主党やニッポンキリスト教的に凍みたれたことをしていれば、世の中はたちまち干上がる。いわゆる「日曜日の朝は礼拝厳守~」的なキリスト教が受けれられないのは当たり前*1。ちょっと思考実験すれば分かるであろう:日本国民がみなキリスト教徒になり、日曜日には全員がいわゆる礼拝(オツトメ)に出席していたら、観光地にも映画館にもどこにも人がいなくなり、経済はたちまちアウト。そもそも不気味だ。人々がそれぞれに家族で日曜日や休日にはあちこちに繰り出すのがホッとできる光景。

だいたい、キリスト教には風流というものがまったくない。今の狂気の入った病んだニッポンキリスト教の様を見れば分かる。あれがキリスト教の行き着くところ。当然の帰結なのだ。私はかねがね言っているが、私はキリスト教徒などではないのだ。イエスもキリスト教の創始者でもなければ、教祖でもない。ただいのちを下さる、しかも豊かに下さるために時空間に来れられたお方(John 10:10)。そのいのちを楽しむこと、味わうこと、これが人生の歓びなのだ。彼はけっして風流を解すことのできないような無粋な男ではなかったはずだ。まあ、私は最近は風流人を気取っているが・・・というわけで、「日曜日の夜はベッドが広い~」のだ*2

*   *   *

ファイル 3636-2.jpg

さて、先に魚玄機の詩を紹介したが、この薛濤もなかなか泣けるのだ。高級官僚の娘として生まれ、それなりの学問と教養を身につけたにもかかわらず、父親の死により生活に困窮。いわゆる妓女となる。彼女は教養のある詩人たちと交流を持ち、詩を書いた色紙(薛濤箋)を交換し、ついには図書館の官吏となる。この春望の詩には四首あるのだが、本日は其の二。

ファイル 3636-1.jpg

草を攬(と)りて 同心を結び、将に以て 知音に遺らんとす。
春の愁ひの正に断絶して、 春鳥復(また)哀吟す。

漢詩紀行 張継・杜牧・蘇東坡 #1

*1:聞くところによると由緒正しいニッポンキリスト教では午前10時からの礼拝のみが正統な礼拝なのとか・・・。●○じゃん!主のお言葉は、いつやるか、今でしょ!だ(John 4:23)
*2:中東関係などの注目すべきニュースはTwitterにまわしております。

薛濤:春望詞其一

ファイル 3634-1.jpg

花開くも 同(とも)に賞せず
花落つるも 同に悲しまず
問わんと欲す 相思ふ処
花開き花落つるの時

The Nearness of You

※薛濤(せつとう、768年-831年)は中国・唐代の伎女・詩人。魚玄機とならび詩妓の双璧と称される。

ファイル 3634-2.jpeg

長安の出身(一説では成都とも)。父の赴任とともに蜀へ移り、14・5歳の頃に任地で父が亡くなり17・8歳頃までに楽籍に入った(伎女となること)。蜀の長官・韋皐の屋敷に召されて酒宴に侍し、詩を賦して女校書と称せられた。浣花渓にいて、白居易・元稹・牛僧孺・令狐楚・張籍・杜牧・劉禹錫などと唱和し、名妓として知られた。なかでも元稹と親しかったという。彼女が作った深紅の小彩がついた詩箋(色紙のようなもの)は、当時「薛濤箋」として持てはやされた。王羲之の書法を学んだ書家としても認められ、その一片は宋の宮廷に秘蔵されていたという。晩年は碧溪房に居住し、吟詩楼を建てた。段文昌の墓誌が残されている。(@Wiki)

池に臨む一羽の鳥は何を想いしか

ファイル 3632-2.jpg

ファイル 3632-3.jpg

ファイル 3632-4.jpg

ファイル 3632-1.jpg


(七絶・平起式・上平声一東韻)

花叢 翠柳 春風を擅(ほしいままに)す
荷葉 依依として 趣 同じからず
流鶯 伴を求め 鳴く聲 響く
獨鳥 池に臨み 意 何ぞ窮らん

咲き乱れる花々も、緑の柳の枝々も、春風に想いのままに吹かれている。蓮の葉はお互いに寄り添いつつも、それぞれの趣きは異なっている。木々の枝を飛び交う鶯は伴侶を求めて、互いに呼び合う声が森に響く。ふと見ると池の杭に一羽の鳥が、果たしてその想うところは窮めることができるのだろうか。

Only The Lonely

(C)唐沢治

葉聲蘇萬物

ファイル 3624-1.jpg

ファイル 3624-2.jpg


(七絶・平起式・下平声一先韻)

猩紅 垂柳 輕煙を帶びる
嬌鶯(きょうおう) 能(よ)く語る 五月の天
衣濕(うるお)ひ 葉の聲は 萬物を蘇す
泊懐 興に乗じ 酔ひて陶然たり

猩紅=真っ赤な花;輕煙=かすかに霞んださま;泊懐=俗を離れた心

真っ赤な花と垂れた柳、辺りは薄く霞んでいる。鶯が高い声でよく鳴いている五月の空。ふと、汗で衣服が湿り気を帯び、木の葉がさらさら鳴ると万物が生き返る感覚だ*1。心が世を離れると気持ちが昂じて、酔ったような歓喜に満たされるのだ*2

(C)唐沢治

*1:ヨハネ3章7-8節(John 3:7-8)を酌んでいるのでよろしく。
*2:ローマ14章17節(Rom 14:17)を酌んでいるので、アゲイン、よろしく。

白衣無心

ファイル 3620-1.jpg


(七絶・平起式・平声下十二侵韻)

南より薫る風爽やかに 長林を遶(めぐ)る
嶺雪の連峰 遠岑(しん)を望む
雲路は迢迢(ちょうちょう)として 何處にか去らん
白衣は靉靉(あいあい)として 是無心なり

遠岑=高く際立った山;迢迢=遠く広がる様;白衣=白い雲;靉靉=ゆったりと流れる様

わが家とSPAのバルコニーにて詠める・・・


(C)唐沢治

Page

Access: /Yesterday: /Today: