デカプリオの『インセプション』。
ドム・コブは、人が一番無防備になる状態-夢に入っている時に潜在意識の奥底まで潜り込み、他人のアイデアを盗み出すという、危険極まりない犯罪分野において最高の技術を持つスペシャリスト。コブが備えもつ類稀な才能はこの業界でトップレベルであり、裏切りに満ちた企業スパイの世界において引っ張りだこの存在となっていた。だがその才能ゆえ、彼は最愛のものを失い、国際指名手配犯となってしまう。そんな彼に絶好のチャンスが訪れる。彼が最後の仕事と決めたミッションを果たすことさえできれば、かつての幸せな人生を取り戻せるかもしれないのだ。だがその任務はほぼ不可能に近い「インセプション」と呼ばれるものだった。それは彼が得意とするアイデアを盗み取るミッションではなく、他人の潜在意識に入り込み、ある考えを“植えつける”という最高難度のミッションだった。だが、最高の技術を持ち、細心の注意を払って準備を行ったが、予測していなかった展開が待ち受けていた…。
何がリアルで、何がドリームか。しかも夢の中がさらに階層的になっている。つまり夢の中で夢を見る。そこで繰り広げられるサスペンスとアクション。どこがリアリティの中心かが喪失され、ひたすら自分の居場所の底が抜けたような困惑感に襲われる。映像は、同種の映画『マトリックス』的で楽しめる。渡辺謙が違和感なくはまっているのは立派。
現代の最も強力な武器、それはidea。人の思い(nous)に種が蒔かれるとそれが成長し、発展し、壮大な思想や哲学なるフェイクを構築する。その業に長けた存在がこの空中にはいるのだ。
それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく・・・
あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な原理(stoicheion)によるものであって、キリストに基づくものではありません。
しかし、そもそも聖書的に言ってみれば、この世界自体がフェイクなわけで、真のリアリティは見えない、つまり五感で感知されない世界なわけだ。
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
その目に見えない世界の実体(hupostasis)、あるいは実体化が信仰。これは五感を超えた経験。これを可能そするのが私たちの霊。
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実の実体化(原語)です。
デカプリオは先の『シャッターアイランド』においても同様の世界のキャラクターを演じていたが、下に紹介した"911事件"などのフェイクが溢れる現代。山谷少佐のTwitterにちょっとレスを入れたが、諸現象・事象とは所詮大脳が作り出すもの。つまり、現実に在るか、無いかによらず、大脳はある種の"リアリティ"を作り出すことができる。そこで苫米地氏のように『なぜ、脳は神を創ったのか』となるわけ。しかし、ゲーデルの不完全性定理により、1991年に神の存在は否定されたのだ!まあ、養老猛司先生の『唯脳論』とも通じるわけだ。
さあ、読者のみなさま、あなたの預金通帳の数字はリアルですか?あなたの見ている世界はリアルですか?あなたは何を信じていますか?ますますこの時代、不確実性を増すとと共に、面白くなってまいりました。
追記:リチャードさんがちょうど「見えるものによらず」というメッセージをされていました。