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Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 735-1.jpgウィル・スミス主演の『七つの贈り物』。原題は"Seven Paunds"、要するにシェークスピアの『ヴェニスの商人』を意識した作品。1ポンドの自分の肉を担保にして強欲ユダヤ人シャイロックから3,000ダカットを借りたバッサーニオの物語だが、血を流さずに1ポンドを切り取ることができず、シャイロックは債権回収を諦め、キリスト教に改宗させられるわけだが、自分の肉を担保とすることがこの映画のモチーフでもある。しかも1ポンドではなく7ポンドである点。ある種、自らのいのちを私たちに与えて下さったキリストの贖いも投影できるかも知れない。この手のテーマはいろいろと議論も分かれるとは思うが、ネタバレになりますので、ここまで。

ウィル・スミスは『インディペンデス・デイ』で初めて知ったが、ラッパーらしく軽妙な演技とダンボ耳が印象的だった。こういったシリアスなものもできるわけで、また評価が深まったかも知れない。ここでも紹介した『イーグルアイ』にも出ていたロザリオ・ドーソンが感情を抑えた演技で実に魅力的だ。

 * * *

日本映画の『おくりびと』が『つみきのいえ』と共にアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。快挙であるが、私はというと、実は観てないのだ。この手のテーマには触手がいまいち動かない。面白かったのは英語タイトルが"Departure"であること。何だか飛行場みたいだよ。ちなみに英和辞書にはこうある:

Ⅰ 【U】 [具体的には 【C】] 出発 (⇔arrival)
a departure platform 発車ホーム.
a point of departure (議論などの)出発点.
take one's departure 出発する.
There are fifty arrivals and departures every hour. 毎時間50便の発着がある.
Ⅱ 【C】 [通例 new ~で] (方針などの)新発展, 新しい試み 〔in, for〕
a new departure for the company 企業での新発展[新機軸].
Ⅲ 【U】 [具体的には 【C】] 〔常道・習慣などからの〕離脱, 背反 〔from〕
(a) departure from one's customary habits 日常慣習からの離脱.
New College English-Japanese Dictionary, 6th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1967,1994,1998

Longmanの英英辞典で見ると

1[C;U]an act of departing 2[C(from)]a change from a usual or former course of action, etc.;DIVERGENCE

というわけで、どうも日本語のニュアンスと違うようなのだが、nativeたちにはこの単語はどのように響いているのだろうか?DJ Jerryの意見を聞いてみたいと思っております。

 * * *

ファイル 735-2.jpg本日の一枚はJazmine Sullivanの"FEARLESS"。ウィル・スミスやビヨンセ、ライスやオバマなど黒人のパワーが最近すごいが、このアルバムもSoul&Danceの迫力あるサウンド。黒人独特のリズムと躍動感は白人ではどうしても無理。最近の音楽の新しい領域はほとんどが黒人から。ここでも何か時代の曲がり角。

 * * *

本日のランチに川崎の一蘭のトンコツラーメンを。学生に教えてもらったのたが、いやあ、これが実に美味い。こってりだが腹にもたれず、とんこつでも臭みがなく、麺の固さやスープの調合も細かくオーダーできる。店の作りが何ともプライバシーが守られており(?)、カウンターが客一人ひとりに区切られているのだ。しかも店員が顔を見せることもない。前のすだれを上げてそこでやり取りするだけ。実に面白い。お薦めの味。

Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 734-1.jpgアンジェーリナ・ジョリー主演の『チェンジリング』。Changlingとは取り替えられた子供の意味。さらわれた子供の代わりに妖精が醜い子を置いていくという伝説。クリント・イーストウッド監督作品。ある日子供が誘拐されるも警察は重い腰を上げてくれない。そして数ヵ月後戻った子供は別の子だった。母親は警察に訴えるも、警察に逆らう者として精神病院に収監される。その中には警察に逆らったがゆえにコード12で強制入院させられた女が何人も。ある日別の事件で誘拐された子供の情報が入る。そこで明らかになった真実とは・・・・。

アンジェリーナ・ジョリーが鬼気迫る母親役を演じていたが、彼女の出世作『17歳のカルテ』の反社会性人格障害者のリサ役を彷彿とした。時代背景も1928年、ウォール街の大暴落の前後であり、今と通じる。何が本物で何がフェイクなのか。こういった虚虚実実の危うい時代の漠然とした不安感を、ジョリー演じる母親が実にうまく表現している。イーストウッドはこういったセンスがなかなかなもの。

と言うわけで、先の『フェイクシティ』とも通じるモチーフ。つまり事の真実よりは警察が有利になるようにフェイクが構築される。報告書どおりに事態の収拾が謀られる。それに抗する者はむしろ妄想を抱く者として処理される。結局国家や社会の秩序を守るために捜査機関や政府が造り上げた"真実"が一人歩きするのだ。ケネディ暗殺しかり、911テロしかり。当局がフェイクを捏造したらわれわれ市民はそれを飲まざるを得ない現実。

実は私も刑事によって取調べを受けたことがある。被疑者としてではなく、証人としてであったが、彼らはやはりすごい。有無を言わせないオーラを放ちつつ、調書を私の言に従ってすらすらと書いていく。と言うよりは、すでにすべては出来上がっているのだ。私がしゃべろうとすると、「ああ、こうですね」と言ってたちまち文章が現れる。さらには私が知らないことについても、「あれはこうなんですよ」と言ってさらさらと。ほとんど私がしゃべるまでもなく、調書は出来上がり、「これで間違いありませんね」と聞かれ、「はい」と。最後に署名と母印を押して、おしまい。これが被疑者としての立場であったらたまらないだろうな、と思った次第。

かくして公式の『ウォーレン・レポート』や『911調査報告書』では物理学の法則を捻じ曲げても、ある意図に沿った事実が造り上げられる。それに異を唱える者は妄想を抱いた陰謀論者となるわけだ。国民は自分の生活が犯されない限り、そういったややこしい事態に首を突っ込むことは避けるのが賢明。政府の発表に対するもっとも賢い反応は思考停止。かくして国家によって大衆は飼い慣らされていく。今後、国家主義傾向が強くなる中で、「見ざる・聞かざる・言わざる」状態はさらに助長されるだろう。ナイーブなおとなしい羊として。

追記:花粉症のクスリを変えてみた。プラスアルコールで、ただ今中川氏状態・・・・。

Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 730-1.jpgダニエル・クレイグ主演の『ディファイアンス』。Difianceとは抵抗・反抗の意味。ナチスのユダヤ人狩りに抵抗し、1,200人のユダヤ人を救ったユダヤ人のビエルスキ三兄弟の物語。もうひとつのシンドラーのリストと言われ、実話。ただの農夫と商店主だった普通の無名の兄弟が「人間として生き、死にたい」と願うことから始まったナチとの絶望的戦い。ベラルーシの極寒の環境で生き延びるユダヤ人たちの群れ。最初は数名だったが、ゲットーから解放された者や逃げてきた者たちを保護し、ついには1,200名の共同体が生まれ、そこには病院や学校まで備わっていた。かくして彼らの保護によって救われたユダヤ人からその後数万人のいのちが生まれた。つまり彼らはこの数万のいのちを救ったのだ。新007のダニエル・クレイグが実にシブイ。

ここにヘブル書7章に

そこで、言ってみれば、十分の一を受けるはずのレビですら、アブラハムを通して十分の一を納めたことになります。なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたとき、レビはまだこの父の腰の中にいたからです。

とある包括の原理を見ることができる。十分の一を受ける権利を持っていたレビですら、アブラハムの腰の中にいた時に、アブラハムが捧げることにより、メルキゼデクに対して捧げ物をしたのだ。すなわちここでメルキゼデク系祭司がレビ系祭司に勝ることを立証しているのだ。これが神の視点である。

そもそもアダムが罪を犯した時、アダムの子孫である私もアダムの腰の中で犯したのだ。またキリストが最後のアダムとして死なれた時、私もキリストの中で死んだのだ。そして第二の人としてキリストが復活した時、キリストの中で私も復活した。これによりキリストが義なる行為をされた時、キリストの中で私も義とされた。私の努力の問題ではなく、一体とされること。これがアダム系からキリスト系への転換であるが、ここにも包括の原理が働いている(→包括の原理について祭司制と律法についてJAVAと信仰)。

地上にいる間に何人に福音を伝えて、何人が救われるか、その数を誇る人々がいるが、もしあなたが生涯においてひとりを導いた時、たったひとりだけと思ってはならないのだ。彼から生まれるであろう多くのいのちをも導いたことになるからだ。かくして神の目から見たとき、地上において千人教会を作るとか、受洗者が何名とか、まったく本質ではないことが分かる。今、ここで、あなたが出会うひとりの人に対して、あなたと言う存在によってキリストご自身を紹介できれば、神の目にそれで十分なのだ。後は聖霊の仕事であり、その人からさらなるいのちが連なって誕生するであろう。いのちは数の問題ではなく、次へとつなげることが本質である。

Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 717-1.jpg昨日観た映画、ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットの『ベンジャミン・バトン』。

1918年、ニューオーリンズ。生まれながらに80歳の姿で生まれたベンジャミンは、父親に老人ホームの前に置き去りにされた。しかしそこで働くクイニーに育てられ、少しずつその肉体は若返っていく。そして1930年の感謝祭、彼はその後の人生を変える女性、6歳のデイジーと出会う。2人はすぐに心を通わせ、ベンジャミンの身体の秘密もデイジーは受け入れた。その後ベンジャミンは船員として働き始め、海へと出るが・・・。

二人は愛し合うのだが、男は若返っていく、女は歳を取っていく。この不条理な運命に対して男の取った行動は・・・。と言うストーリーであるが、その誕生から自分の意志によらない運命の定めの中で生きる男と、たまたま出会った女が恋に落ち、その女も偶然の積み重ねによる事故でダンサーとしての生命である足の自由を失う不条理。人生はかくも運命と偶然によって支配され、それに翻弄されなくてはならないのか!?これがニンゲンの叫びである。

確定論と偶然論の絡み合いの中に私たちは生きている。何だかカルバヴァンとアルミニウスの議論にはまりそうだが、われわれ自然科学系の者からみると、要するにそれは決定不可能な問題、複雑系の一種カオスなのだ。その問題を口角泡を飛ばしてケンカするのが神学者。彼らは実にオツムがよろしい。が、私たちの信仰はそこにすべてを治めている神の意志が摂理によって働いており、神の御旨が成就することを信じている。人生の主権者が神であることを知らないで観ると、やや絶望感を覚えてしまう作品かも知れない。かなり哲学的と言えるかも。

Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 711-3.jpgしばらくぶりに大学でちょっと一仕事。午後はぶらっと東京ミッドタウンにてLunch、六本木ヒルズに移動して、昼間からRestaurant&Barにてカクテルを。ファイル 711-2.jpg六本木は、そのシンボルだったアマンドが改装のため閉店、工事中。あのピンクとホワイトの縞模様が消えたのは青春時代が消え行くようで、やや寂しい。そのままヒルズにて映画を(こいつ毎日観てやがると思わないで下さいませ)。

ファイル 711-1.jpg誰も守ってくれない』。刑事事件の加害者の人権は守られて、被害者が2次、3次被害を受けることがあるのはよく知られている。が、加害者の家族もまた被害者なのだ。兄が殺人を犯し、母親は自殺、中学生の沙織はマスコミなどの追跡から刑事勝浦によって保護される。彼自身も過去の事件によるトラウマを抱え、精神科にかかり、家族が崩壊寸前。
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Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 710-1.jpgチェ・39歳別れの手紙』。1959年キューバ革命成功の後、カストロと共に国家の指導者としてキューバを率いるも、1966年11月、突然家族を残し、カストロに別れの手紙を書いて、変装してボリビアに入る。それから1年弱。1967年10月8日、政府軍に捕縛。現地の民衆が彼を売った形だ。そして「パピ600」指令によって処刑。その過程を淡々と彼のボリビア日記に沿って描く。派手さはまったくない。が、そこにいる感覚を覚え、処刑の場面はゲバラの目に映ったであろう映像と音声。自分が撃たれたような錯覚を覚える。

しかしだ、うーん、前半が輝きに満ちているのに対して、今回のは何か虚しい。結局民衆が支持しない革命は成功しないのだ。解放してやるはずの民衆に売られるゲバラ。何ゆえ彼はあえてコンゴやボリビアにゲリラとして関わったのだろうか?バートランド・ラッセルらに支援要請の手紙を書くほどの知性の持ち主にして、医師。彼を動かしたものは何なのか?ある意味理想的なアイドル。現在でも彼を偶像化する動きが世界各地で活発だとか。
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Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 705-1.jpgマンマ・ミーア』。ABBAのヒット曲22曲を並べてひとつのストーリーを構成したミュージカル(ジュークボックス・ミュージカル)の映画ヴァージョン。今の暗いご時世にあって、パッと心を明るく軽やかにしたい人はぜひどうぞ。ストーリーは単純だが、ギリシャの海の光景などもかなり爽快な気分を満喫できる。メルリ・ストープはしっとりした大人の女性の演技が私的にはかなり評価できる好みの女優だが、ミュージカルもこなせるとは・・・、ちょっと驚き。
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Dr.Lukeの一言映画評

このところいい作品が続くので消化するのがけっこう大変。と、言いながらも、せっせと1日おきに観ております。

ファイル 704-1.jpg本日の作品はリチャード・イェーツの61年の小説の映画化で、『レボリューショナリー・ロード-燃え尽きるまで-』。あの『タイタニック』で競演したレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットの共演。人生に対して大いなる野心をいだく若き二人が出会って結婚。郊外に洒落た家を構え、二人の子供たちにも恵まれ、会社でもそこそこ。表面的には50年代の古き良きアメリカの理想的家庭。しかし夫は毎日の退屈な仕事に飽き足らず、女優の夢を捨てた妻もそんな夫を見て、満たされない毎日を送っている。

そんなある日、妻はパリに移住する計画を思いつく。夫はそれを幻想とするも、徐々に妻の計画にはまる。が、何気に企画した彼の計画が認められ、会社で大抜擢される。パリ行きに対して揺れ出す彼の心。夫婦の間で微妙なズレが生じ、それが徐々に昂じていく。互いに相手に隠れて浮気をしたり、その真実を語るや深く傷つけ合うバトルを演じる。そして訪れる最後の悲劇的な瞬間・・・。
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Dr.Lukeの一言映画評

完全にフリーとなり、冬眠状態。と、言ってもアクティヴに動いております。ジョッギングは朝と夕、それぞれ4㌔づつ。筋トレもいつも以上のメニュを。この時期脂肪を溜め込まないようにと。

ファイル 703-2.jpg老け込んで見える原因は顔の表情と姿勢と声。厚い脂肪で丸まったり、逆に皮膚がたるんでくると、いわゆる老け顔になる。若く見える秘訣はピンと張った薄い皮膚に、鋭角的な表情。頬がダボつくのは一番避けたい。いわゆるハリウッドのマッチョ系スターを見ると分かるが、頬は鋭くこけており、皮膚にたるみがない。(と言いつつも、JCVDも老けたかなぁ)

で、本日の映画の主人公もかなり精悍な表情が印象的な中国人俳優で、かなり見応えがありました。最近恋愛モノが多いとか、メールでも感想をいただきましたが、元々私はこの種のハードコアなモノが好みです。

ファイル 703-1.jpg題して『戦場のレクイエム』。ポツダム宣言で日本が敗北した後、1948年、中国では毛沢東の人民解放軍と、蒋介石の国民党軍の間で内戦が勃発。いわゆる「国共内戦」。結果的には蒋介石が台湾へ逃げ、中国大陸は共産化されるわけだが、その勝敗の転機となる淮海(ワイカイ)戦役が舞台。実話。
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Dr.Lukeの一言映画評

午前はいつもどおりプールとサウナ。午後は映画、と巡航状態。このペースが一番心と体に快適である。

ファイル 698-1.jpg映画は『エレジー』。う~ん、これは大人の純愛物語だ。切なくもいとおしいような感覚を残す。大学教授のデヴィッドは年齢の割りにマッチョなボディを持ち、自信と魅力に溢れた、人気教師。そんな彼が教え子のコンスエラと恋に落ちる。年の差30歳。最初は気軽な遊び気分だったのだが、コンスエラの美しさと純粋さに、デヴィッドはマジモードに入る。しかし真剣になるほどに、年齢の差を覚え、デヴィッドは臆病になる。彼女は決して自分のものにはならない、いつか自分から離れて行くだろうと・・・。
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Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 696-1.jpgその名も『感染列島』。最近電車の中でもマスクをしている人がやけに多い。この前などは私の前に立ったおばちゃん、私がくしゃみをするや、ビクッと後ずさりして、こそこそと逃げていったぞ。「私はばい菌マンか!?」と一瞬思ったが、まあ、世の中ややパラノイド傾向ではある。

しかしこれは現実感を帯びて怖いことは事実だ。中国あたりではすでに<鳥⇒人>感染は起きているわけで、これが<人⇔人>感染のタイプに変異するのも時間の問題と言われている。免疫がないウイルスの場合、私たち的にはほとんど無防備。開業医のわが義兄は一応タミフルを備蓄しているので、まあ、これは分けてもらえるかと密かに考えているが。ちなみに映画ではインフルエンザではなく、別の出血熱系のウイルスを想定していた。

 * * *

あの未完の大作『ふうけもん』についての『キリスト新聞』の記事(→こちら)。どうもこの手の神を大義妙分に使う姿勢はいただけませんね。あくまでも商売として成り立つ映画を作って、世に対して勝負しなさい、堂々と。『親分はイエス様』の二の前はみっともない限りであろうに。

年内の配給を目指す金プロデューサーは、「製作費が足りなかったことを冷静に受け入れたい」としながらも、「クリスチャンが一致団結できるかどうか、試される映画になると思う」。資金調達に向け、キリスト教界へ献金などの支援を呼びかけている。

Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 685-1.jpg次女が昨日卒論を提出し、これからしばしのフリータイムを楽しめるようで、早速3人でランチのあと映画へ。『ザ・ムーン』。原題は"In The Shadow of The Moon"。アポロ計画のドキュメンタリー。NASAによる初公開映像などもある。一言、すばらしい。これは観るべきでしょう。地球に戻った飛行士たちの証言がそのまま福音になっている。

・地球は生き生きとして雄大で、その存在は偶然の産物にしてはあまりに美しすぎる。

・われわれは何と小さな存在だろう。だが何と幸せであろう。この肉体を持って生まれてきて、この美しい地球で人生を謳歌できて。

・わたしは人が作った宗教ではなく、創造された霊的な存在に目覚めた。わたしは聖書を読みイエスに祈った、するとその祈りは応えられ、何とも言えない平安がわたしの心を包んだ。わたしが月にいたのはたった3日だったが、永遠に神と共に歩めるのだ。

多分、一般のニッポン人には、聖書だって人の作った宗教のひとつではないかと思われるだろう。キリストと人の間に、「キリスト教」というベールがかかってしまっているのだ。神が人になられた-この奥義を知った人は幸いである。

蛇足:最後のシーンで、「タブロイド誌がアポロ計画はヤラセだと言っているが」として、やけに力(リキ)を入れて、何人もの飛行士が、アポロ計画は事実だった、と主張する場面はやや違和感が。せっかく霊的かつ厳粛なエンディングを期待したのに、ちょっと世俗に引き摺り下ろされた感じだ。字幕でちょっと触れるだけで十分でしょう。それほどにこの映画の映像は神を感じさせる。それにしても副島氏はどうするんだろうか。

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