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冬日田園雑興-范成大

ファイル 4072-1.jpg

 榾柮(ほだ)には煙無く雪の夜は長し
 地炉(いろり)に酒を?(ぬく)めれば煖かきこと湯の如し
 嗔(いか)ること莫(な)かれ 老婦に盤?(ばんてい)無きを
 笑って指(ゆびさ)す 灰の中の芋と栗の香ばしきを

今夜は冷え込む模様。雪も・・・。わが書斎もかなり凍みる。幼稚園の頃、「雪の降る夜は楽しいペチカ・・・」と歌った。こんな夜は何となく心が弾んだもの。この感覚は洋の東西を問わないようだ。12世紀、南宋の范成大も雪の夜を詠っている。たまたま立ち寄ったのであろう、冬の長い夜のある農家。炉の中で酒の燗をつけている貧しい老夫婦。ご馳走の皿は何もないことで腹を立ててはならない。見てみなさい、その灰の中の芋と栗が香ばしいではないかと・・・。こういった世界、実にわが憧れではある。ちょっと戸隠の手造りログハウスで、すべての手造りの食材で暮らす電気屋さんを連想したかもだ・・・。

年年歳歳・故故新新-戴復古

最近のTVは実に観るべきものがない。正月はもっぱらBSのニュースと映画、そしてDVDを観ている。これからランチと映画へと出かけるところ。

さて、2014年はしるしを見る年になると何度も語っている。いわゆる終末論にはまって人生を投げる人々もいるようだが、終末論自体に問題があるのではない。彼らの信仰のスタンスが間違っているに過ぎないのだ。聖書は明確にこの時代は終わると語っている。キリスト教も終末の兆候(背教)を見せている。「CT vs.山谷少佐」の件がニッポンキリスト教の試金石になると2008年に語ったが、今回明確な形としてこのギョウカイの本質が証明された*1。今後、着実にバビロン化するだろう。このギョウカイとのあらゆる関わりを絶つ事をお勧めする。

なお、一応断っておくが、キリストの復活のいのちを共有し得るもの同士として、個々の兄弟姉妹との交わりは尊ぶべきである。しかし彼らが何らかの組織や特定の教義や実行、あるいは価値観などを交わりの条件とするのであれば、彼らを避けるほうが賢明である。私たちの交わりの根拠はただ父と御子との交わりであり(1John 1:3)、人間的な組織や教団や教義などにあるものではない。すでにこのギョウカイは嫉妬と憎悪と偽りと狂気が蔓延している。そこに身を置くだけである種の穢れを受けるであろう*2。裸のひとりの人として、互いに交わりを得ることを願うものである。青い鳥は私たちのうちにすでにいますのであり、探す場所を誤ってはならない。小市民Dr.Lukeとしては、それぞれが自分の生活と人生に戻り、淡々となすべきをなし、楽しむべきを楽しむ、静かな生活を平々凡々と送ることを願うところだ。

そして、わたしたちが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。-1Thess 4:11

そこで紹介する一首。まことに2014年、年初にふさわしい。南宋の戴復古の一首。

江山 一夜の雨
花柳 九州の春
節を過ごして 事無きを喜び
懽を謀りて辰(とき)に及ぶを要(もと)む
年年 仍(ま)た歳歳
故故 復(ま)た新新
酒を把(と)りて余恨有り
従(よ)りて古人を見る無し

私たちの生とはまさにこのようなもの。大意は次の如くだ:

山や川は一夜の雨にうるおい、
花は咲き柳は芽吹いて、国中に春がきた。
春節を無事に過ごせたのがうれしく、
楽しむためには時を逃してはならない。
年年歳歳、時は流れ、
古きと新しきと、新陳代謝の繰り返し。
酒を飲めども消えやらぬ恨みは、
いかんせん古人に逢うすべのないことだ。
-佐藤保、『漢詩をよむ-中国のくらしのうた(秋~冬)』、NHKラジオテキスト

曹操が歌うように、人生いくばくぞ、だ。すでに10年以上前から言っているが、イエスのナザレでの30年の人間生活にこそ私たちの人間としての生活の鍵があるのだ。イエスはたぶん、この詩を深く理解し、私たちの生活を愛でてくださるものと思う。

*1:CTは依然として山谷少佐に法的な圧力を加えてきている。この執拗さはあの霊の性質である。
*2:内側にこびりつくような何か嫌な感覚を残されたり、平安や確信を奪われたり、罪責感を植え込まれたりすることはその兆候である。

元旦寿皇天-一石

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新年のご挨拶を申し上げます

今年もよろしくお願いいたします

 元旦に皇天を寿(ことほ)ぐ 一石
 三朝に 柏葉を傾け
 幽興に 樂しみ窮まること無し
 四海に 春粧好ましく
 皇天に 淑氣通ず

 注:柏葉=屠蘇;三朝=元旦;四海=景色;淑気=新しい春の気配

除夜自石湖帰苕渓-姜夔

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朝の鋭く締まって刺すような空気がたまらない。最近、明らかに心肺機能が向上しているのを感じる。何なのだろう、心身共にいのちの充溢する感覚が漲ってくるのだ。まことに-

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。-Isa 40:31

あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。-Ps 103:5

同時に深い所が休んでいる感覚も。体と魂は活発に動くのだが、内なる深い部分、霊が静けさを保っている。地上のあらゆる事象を高い処から眺めている感じも・・・(Eph 1:20)。この深いところから湧き上がる安堵感と言うか、解放感と言うか、揺るがない安息の感覚はいったい何なのだろう。どうも言葉では形容できない。そう、霊は常に神の臨在を楽しんでいるのだ。

かくしてついに大晦日。いろいろな感慨はあるが、最近はアレコレあまり長たらしく書き連ねることに倦みを覚えているところだ。それよりは姜夔(きょうき、南宋の人であえて無官で通した。号は白石道人)の名作をひとつ紹介しておく。この点、漢詩はピシリと締まり、無駄なく漏れなく、余韻を広げつつ内なるものを表現し得る点で素晴らしい。表現力において鋭いキレがあるのだ。

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 除夜 石湖より苕渓に帰る
 細草 沙を穿ち 雪 半ば消ゆ
 呉宮 煙 冷ややかに 水 迢迢たり
 梅花 竹裏にて 人の見ること無きも
 一夜 香を吹きて 石橋を過ぐ

では皆さま、良いお年をお迎えください。

過零丁洋-文天祥

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先にも少し触れたが元のジンギス・ハンをして「真の男子」と言わしめた南宋の英雄。彼が元に捕縛され、ハンに対する降伏と恭順を求められた際に頑として拒絶し、詠んだもの。彼は潔い死を望んだのだった。

辛苦遭逢(そうほう) 一経より起ち
干戈(かんか)落落たり 四周星
山河破砕し 風は絮(じょ)を飄(ただよ)えし
身世浮沈 雨は萍(へい)を打つ
惶恐灘(こうきょうたん)の頭に惶恐を説き
零丁洋の裏に零丁を歎ず
人生古より誰か死無からん
丹き心を留め取って汗青を照らさん

注:遭逢=出会い;一経=五経のうちのひとつをもって進士に合格したこと;干戈=槍と矛;絮=柳の花(綿帽子);萍=浮き草;皇恐灘=江西省江萬安県にある早瀬(舟行危険な場所)、「皇恐」は恐れるの意;零丁洋=広東省中山県南珠口河口の外洋、「零丁」はひとり落ちぶれるの意;汗青=書籍

参照:ウォッチマン・ニーの最期

別歳-蘇軾

本日はGYMにて筋肉を追い込む。セロトニンが分泌されるために、ワークアウト後はものすごい睡魔に襲われるのだ。しかし、これでまどろむのがまたなんとも気持ちがイイ。要するに私は、基本、気持ちの良いことしかしないのだ。何であえてメンドウなことやうっとおしことをする必要があろうか。クルシチャンが屯(たむろ)するニッポンキリスト教的価値観を捨てれば簡単なのだ。人生、所詮はうたた幻、浮世狂言なのだ。春は桜、夏は海と山、秋は紅葉、冬は富士。そして折々に温泉を巡り、美酒と旨い肴を堪能する。時々に杜甫や李白の世界に遊ぶ・・・。漢詩をやるようになってから、ますます人生の味わいが濃くなっている。

さて、いよいよ行く年・来る年の季節。そこで蘇軾(蘇東坡)の『別歳』を。年を擬人化して会話するという面白い趣向の一首だ。

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故人  千里に適(ゆ)く
別れに臨みて尚お遅遅たり
人の行くは 猶お復(かえ)るべきも
歳の行くは 那(なん)ぞ追うべけん
歳(さい)に問う 安(いず)くにか之(ゆ)く所ぞ
遠く天の一涯(いちがい)に在り
已(すで)に東流の水を逐(お)い
海に赴いて帰る時無し
東隣(とうりん) 酒 初めて熟し
西舎(せいしゃ) ?(てい) 亦(ま)た肥ゆ
且(しばら)く一日の歓を為し
此の窮年(きゅうねん)の悲しみを慰めん
嗟(さ)する勿(なか)れ 旧歳(きゅうさい)の別れ
行くゆく新歳(しんさい)と辞(じ)せん
去り去りて回顧する勿(なか)れ
君に老と衰とを還(かえ)さん

友人が遠い旅に出る時、いよいよ別れ際になっても、なお歩みは遅遅として捗らない。
しかし人は旅立って行っても、帰って来られるのに、年が行ってしまうのはどうして追いかけることができよう。
年よ、あなたに問う、「いったいどこへ行くのですか。」
「それは遠い遠い大空の彼方なのです。一旦、あの東へ東へと流れる川の流れにのって大海原へ出たら最後、もう帰ってくることはないのですよ。」
東側のお隣で、ちょうどお酒がうまく醸された頃だろう。西側のうちの豚小屋に子豚がまるまる太ったことだろう。
ともかく酒肴をそろえて一日の歓を尽し、この押し迫った年の瀬の悲しみを慰めようではないか。
古い年との別れを嘆くまい。いずれ新しい年とも別れる時が来るのだ。年よ、あなたはどんどん去って行って、後を振り返りなさるな。
君に老いと衰えをお返しするから、さっさと持って行ってくれたまえ。
-近藤光男『漢詩大系17蘇東坡』、集英社

注:写真はわが故郷の酒蔵真澄のあらばしり。日本名門酒会の「初しぼり試飲会」で今年も一位になった。実に美味。

世事都訛-一石(再掲)

なんとも寒々した朝。雨だ。雨の日は仕事では嫌だが、休みとなるとかえって心がしっとりと落ち着く。詩情も湧いてくるものだ。猪瀬氏がついに辞職だそうだが、彼の新著『勝ち抜く力』が何か虚しい。高きに登ることはなんと危うさと裏腹なものか。世の中、誠に全ては訛たりだ。所詮この世は浮世狂言。多分大石内蔵助は山科に篭もり、伏見鐘木町で遊んだ時にそれを知り尽くしたのだろう。だから、彼には未練はまったくなかった。

 世事 都て訛たり
 當年 風貌 細腰(さいよう)多し
 浮客 時を痛む 髪己(すで)に皤(しろ)し
 何(なん)ぞ人生に耐えん 胡蝶の夢
 今に到り識(し)る可(べ)し 事都(すべ)て訛(か)なるを

さて、本日は東京MTのBillboard LIVEにて過ごす予定。小生、会員なので、フロワー席で楽しませてもらう。

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往年のStylistics。彼らは年齢を重ねて実に円熟した感がある。2013年も着々と終わりつつある。

追記:新作を一首-

 高樓に 金鏡滿ち
 何(いずこ)来(よ)り 忽ち風を生ず
 麈面に 江月揺るぎ
 功名 一切空(むなしく)ならん

なお、菅原道長の一首を意識していることはお分かりと思う。

 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

冬夜寄温飛卿-魚玄機

陶淵明の三作を紹介する予定だが、この季節にぴったりの詩をひとつ。前にも触れた薄幸の才媛にして情熱の女、魚玄機の一首を。

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 苦意 思を捜す灯下の吟
 不眠の長夜 寒衾を怕れる
 庭に満つ木葉 風の起るを愁う
 幌を透す沙窓 月の沈むを惜しむ
 疎散 未だ聞かず終に願を遂げる
 盛衰 空しく見る本来の心
 幽棲 定まる莫れ梧桐の処
 暮鵲 啾啾 空しく林を遶る

わが国の大伴家持の一首を想い起こす(百人一首)-

形影神三首形贈影一-陶淵明

陶淵明の世界観・・・・

形影神 三首  
形 影に贈る
天地(てんち)は長(とこし)えに没せず
山川(さんせん)は改まる時(とき)無し
草木(そうもく)  常理(じょうり)を得て
霜露(そうろ)   之(こ)れを栄悴(えいすい)せしむ
人は最も霊智(れいち)なりと謂(い)うも
独り復(ま)た茲(か)くの如くならず
適々(たまたま)世の中(うち)に在りと見るも
奄(たちま)ち去りて帰期(きき)靡(な)し

南宋の忠臣蔵

年内も実質来週で終わる。とりあえず木曜日がフリーとなった。本日はGymでみっちり過ごす予定・・・。

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さて、時は元禄十五年の忠臣蔵の季節であるが*1、中国南宋時代に文天祥なる人物がいた。若干20歳(1256年)で科挙に状元(主席)合格。ゆえに状元宰相と称した。時は元が台頭していた時代。彼も元軍と戦うも、捕囚の身となる。それを脱しゲリラ線を繰り広げるも、ついに1278年捕縛される。その際降伏文書を書く事を求められるが、一篇の詩をもって拒絶する。元のフビライは彼の才を惜しみ、自分に仕えれば中書の地位を約束するも、彼は断固拒絶し、むしろ死を望んだ。かくして1282年、刑場に臨み、故郷吉州の方角を再拝し従容と死についた。享年四十七歳。中国の三忠臣と言われる。その彼の詩『正気の歌』は幕末の藤田東湖や吉田松陰に多大なる影響を与えた。

・・・と、彼の辞世の詩もかなりイイのだが(後ほど)、今回は彼の、これまた忠臣の謝?(しゃこう)の詩を。

 心は太古に遊びし後は
 転(うた)た覚ゆ 此の生の浮たるを
 天外 知んぬ 何物ぞ
 山中 愁いを著し得たり
 岸花 草色に低く
 湖水 江流に逆らう
 消息 盈虚(えいきょ)の裏
 人をして頭(こうべ)を白尽ならしむ

人の生と国はうつろいゆくもの。

人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。-Ps 103:15

まことの永遠の御国はこう言われるこの方にあるのだ。

・・・野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
・・・
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。・・・-Matt 6:24-34

今、私たちはエクレシアとしてこの御国の内に生きる者とされたのだ。

*1:ちなみにハリウッドの"47Ronin"(複数形になっていないのが?)を観たが、国籍不明のややハリポタ系のデキだった。根幹は確かに忠臣蔵だったが・・・。

?日-陶淵明

肌を刺すような空気、このピリピリ感がたまらない。さて本日は大雪。昨日アレが成立。かくして"12.06"*1はニッポンの曲がり角となった日だ。三島的には野蛮が横行する時代なのだ。

さて極私的には塵外において陶淵明の世界に入りたい。この?(さ)とは周の時代に1年の収穫を神に感謝する日。また秦の時代は?(ろう)とも称した。そこで12月を?月あるいは?月という。12月はいろいろなイベントがあるが、要するに酒が飲める月だ。酒はやはりいい。漢詩のテーマでも酒は群を抜いている。陶淵明いわく-

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 風雪 余運を送るも
 時の已に和するを妨ぐること無し
 梅柳 門を夾みて植え
 一條 佳花有り
 我唱えば爾が言得たり
 酒中 適するもの何ぞ多き
 未だ多少を明らかにすること能わざるも
 章山に奇歌有り

生を愛でる-大石内蔵助は何を想って山科に篭もり、橦木町で遊んでいたのだろうか。

*1:合計:18=6+6+6と解する向きもあるようだが・・・。

老師第五十章

電気屋さんのブログの記事「生まれるという事 死ぬという事」を読み、つい老師を思い起こした。

生に出でて 死に入る
生の徒 十に三有り
死の徒 十に三有り
人の生
動きて死地にゆくものまた十に三有り
それ何の故ぞ
其の生を生とする厚きを以ってなり
蓋(けだし)し聞く
善く生を摂するものは
陸行して?虎(じこ)に遭わず
軍に入りて甲兵を被らず
?(じ)は其の角を投ずる所なく
虎は其の爪を措く所なく
兵は其の刃を容るる所なしと
それ何の故ぞ
其の死地無きを以ってなり

生に出でて、死に入る。まことに人の道。しかし地上の生にある間、いかにしたら災いから免れるのだろうか。老師は言う、生を生として拘るから苦しむのだ。しかし生をよく養う者は諸々の禍から守られる。なぜか、それはその死地無きを以ってなり。すなわち自分の生に拘らないからだと。

自分の命(魂:Soul)を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。-Luke 9:23

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