イエスのわざのルーツ-聞くこと
- 2015/07/20 20:50
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
今週のメッセでも語ったが、私たちはつねに何かを聞いている。自分の思いと思っていることが、実は別のルーツを持つことはよくあることだ。それを自分の思いと勘違いして、その上にプライドを立てると、要塞となる。神の言葉よりも自分の思いを高くすることだ。
これはイエスも同じだった。ただし、彼はつねに父の声を聞いていた。また父の行うことを見ていた。そして聞いたとおりに語り、また見た通りに行ったのだ。もちろん人として。
そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。
わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。-John 5:19-20;14:10-11
私たちのうちにも聖霊により父と子が住まわれる。ゆえにその声を聞いて、語り出せば、イエスと同じわざができるのだ。確かにイエスはそう言われた。自分の感覚や思想や感受性を否定すること、そして聞くこと。ここにすべての鍵がある。
電気屋
「自分の感覚や思想や感受性を否定すること、そして聞くこと。ここにすべての鍵がある。」
素晴らしいです。
どれほど違う者の声を聞いて振り回されてきたことか
しかし、今や知れたことが感謝