霊理学
- 2015/09/04 13:11
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:霊理学
物理学はもっとも成功を収めている学問であり、自然界の成り立ち、つまり法則をキレイに説明することができる。例えば、電磁波などはマックスウエルの方程式により、どのように伝搬するか、またいかに制御することができるか、人類は明確に知ることが出来る。それは電場と磁場の相互作用による。その相互作用のあり方が4つの方程式にまとめられているわけ。
が、ここで重要なこと。なぜこの物理的空間にそのような場が存在するかについては物理学自身は答えることができない。重力場にしても同じ。質量についても、ヒッグス粒子なるものが登場してきたが、ではなぜヒッグス粒子が存在するのか、それは不明。物理学は「いかに」について答えるのみで、「なぜ」には答えられないのだ。今流行ししているID理論のように、サムシング・グレイトが知的にデザインしたという他ない。彼らはそのアイデンティティーについて一切語ることができない。
まさにイエスはその方を説明するために、つまりロゴスなる存在が肉体を取られたのだった。自然界の法則を数学で記述することはされなかったが、神ご自身がいかなる存在であるかを説明された。わたしと父とはひとつである、わたしを見た者は父を見たのである、と。こんな発言をする輩は、普通は大ボラ吹きか、逝ってしまった人間だ。彼はラザロを蘇らせる時も、あえてデモンストレーションして、死んだ者に命じて、彼をこの世界に改めて引き出した。イエスは霊の世界のサブスタンスとその支配法則をつかみ、それを制御することができたのだ。
彼にとっては、私たちが果たしてこれは神の御心だろうか・・・といった疑念はまったくなかった。私たちがPCやスマホをいじるとき、正常に動作すると信じます、信じます、信じます・・・と念じつつ操作するだろうか?ノー!私たちはその電磁界の法則に則っている故に、大胆に、疑念もなく、当たり前のように使うのだ。これが信仰である。
さて信仰とは、願っている事柄のサブスタンス、見ていない事の立証である。-Heb 11:1(私訳)
私が言いたいことがお分かりだろうか?それは自分がどんな人間であるか、これまでどれほどの悪行をしてきたか、などなどに一切よらない。あるいは霊的であるとか、成熟しているとか、あれができるこれができるとか・・・。それは霊的世界の法則を使うことなのだ。が、その使い方にもレベルがある。例えば、X線写真を見ても素人は白黒の縞模様しか見えない。が、読影の熟練者はそこに医学的サブスタンスを見つける。それぞれの脳内に生じるリアリティーが異なっているからだ。あるいはPCやスマホを使えても、回路を設計することはできない。テレビも同じだ。
祈りもこれと同じ。ある者には目前の現象が白黒の縞模様に過ぎないが、同じ現象がある者には霊的意味を持つ。すると祈りの言葉も熱意も変わってくるであろう。イエスにとっては死はそれでジ・エンドでなかった。神の栄光を現すチャンスだったのだ。彼は霊理学を知っていた。しかもその使い方に熟達していた。これが彼のわざの秘訣だったのだ。そしてイエスは私たちにも同じことをなせと求められている。それはすなわち霊理学を知り、その使い方に習熟する必要を意味するのだ。
あなたがたはわたしと同じわざをなし、さらにそれよりも大いなるわざをなすであろう。-John 14:12
追記:最近の再建主義の富井氏の「ヨルダン川を渡る」シリーズは大変面白い。まことに同意する次第だ。ただし、プレ・ミレでは統治ができないとするのは何故か?彼の出会った"プレミレ"がそうだったのであろう。神の意図は統治。それは霊的領域を統治することから始まる。そのサブスタンスが物理的世界に現出することなのだ。罪、病、悪霊、貧困、不正義などをイエスの足の下に置くことだ。その際、必ずしも社会システムがモーセ律法による必要はないであろう。王政であれ、立憲君主制であれ、独裁制であれ、共和制であれ、帝政であれ、クリスチャンは常に勝利者、天に座しているからだ。