アセンディングとディセンディング
- 2015/05/23 21:32
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:アセンション, ディセンション, 至聖所
東証の時価総額がバブル時代を超えたようだ。まことにけっこうなこと。が、私はそっち系の関心がほとんど消えてしまった。・・・というわけで、再びこちら路線に。
永遠の現在である霊的世界から、今、ここに、そのサブスタンスを引き出すことが信仰であると繰り返している。信仰は時間と空間を超えるのだ。私はアセンディングとディセンディングが意識的に経験できるようになった。イエスは言われた:
わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。-John 10:9
「出入りし」って、どことどこを?そう、霊的領域と物理的時空間をだ。メッセでも語ったが、門(ポータル)とは、ドラえもんの「どこでもドア」のようなもの。私たちは、今、ここで、あちらの世界とこちらの世界を出入りできるのだ!これが信仰。
さらに面白いことがある。創世記(Gen 5:24)でエノクは神によって取り去られた。つまり携挙されたのだ。新約でも、イエス自身、扉がしまった部屋に入ってこられた(John 20:26)。またピリポは空間移動(テレポーテーション)をしている(Acts 8:39)。つまり空間を超える。物理的体が空間の制限を受けないのだ。ここまでいかずとも、パウロはこう言っている:
しかし、わたし自身としては、からだは離れていても、霊では一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている。-1Cor 5:3
要するに霊の経験は場所と空間を超えるのだ。Do U believe?私が危ないことを言い出したとする向きもあるが、私が言っているのではない、聖書が言っているのだ!イエスという門を出入りする時、先に書いたとおり時間の制限を受けることもなく、また空間にも縛られない。Are U with me?これが聖書が証する事実、真理なのだ。ゆえに私たちは古の聖徒たちとも交われるし、二千年前のイエスの経験にも与れるし、地球上の別の場所にいる兄弟姉妹とも霊において交わることができる。なぜなら、交わりの本質はこれだから:
すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。1John 1:3
この交わりは時間と空間に縛られない。私たちはイエスが開いてくださった天の門(ポータル)をとおして、自由に天と地を行き来できるのだ。天に入ることがアセンディング、地に戻ることがディセンディング。いずれこの体を持ったまま引き上げられる日が来る。これがザ・携挙だ。その日が来る前にも、私たちはパーソナル携挙を日々経験できる。なぜなら
兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく至聖所(原語)にはいることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり・・・-Heb 10:19-20