人類の普遍的パターン:聞く・見る・思う・行う

私たちが何気に行うこの行為。実はこれが人生を決める。エバはヘビのささやきを聞いた(Gen 3:1)。そして―

女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。-Gen 3:6

エバは、聞いた見た思った、そして食べたのだ。これが人類の罪の原点(⇒誘惑の本質について)。そこから死とすべての悪と悲劇が侵入し、人類を罪の中に閉じ込めた(Rom 5:12)。しかしなお、私たちが見ること、思うことは、そのとおりに実現する。ゆえに主は言われる、何をどう聞くからによくよく注意せよと(Luke 8:18)。フェイスは聞くことから生まれる(Rom 10:17)。ポイントは同意の有無。エバはその木の魅力に同意した。ゆえに行動を起こした。私たちのビジョンとマインドのパワーはまことに運命を支配する。どんなビジョンを持ち、何をマインドに浮かばせるか。同意とともに思ったことは必ずなるのだ。

私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ・・・2Cor 10:5

人間の悲惨はどこから来るか。たいてい、ある時にサタンの偽りに同意している。自分は病弱だ、同意。するとそうなる。自分は貧しい、同意。するとそうなる。自分の家庭は不幸だ、同意。するとそうなる。自分は大したことない存在、同意。するとそうなる。神は私たちの幸福と健やかさを願っておられる。エデンの園におけるように、ご自身の保護と満たしによって生きることを願われる。なぜ、あえて病気や貧困に人を閉じ込めることがあろうか。現在の地上の縞模様の様はサタンの横奪の結果なのだ。人々がサタンの偽りに同意し、受け入れているからだ。神の責任ではない。

御言葉は言う:

  • 私たちは天地を造られた神の子である。
  • 私たちはキリストと共に死んで復活し、新創造とされている。
  • 私たちは恐れを抱かせる奴隷の霊を受けたのではなく、子とする霊を受けた。

そう言われても、今の自分を見ると・・・という人は取り残される。セルフ・フォーカスの姿勢は神の真理を拒絶する。なぜなら肉の思いは神に敵対するからだ(Rom 8:7)。私たちはサタンの中傷や告発を拒絶し、これらの真理に意志を用いて同意するのだ。これらの御言葉を常に見つめ、思うこと。すると信仰が生まれ、それを語ること。するとサブスタンスがこの世界に現出するのだ。

病気の人に同情(sympathy)してはならない。貧困にあえぐ人に同情してはならない。運命を恨む人に同情してはならない。同情はその人のアイデンティティーをその状況によって肯定し、そこに固定してしまう。サタンの偽りの中に置き去りにするのだ。イエスは決して弱者や病者に同情しなかった。彼は彼らをあわれんだのだ(compassion)。日本語ではこの区別が曖昧だが、あわれみはその状況にある彼らを肯定しない。罪の赦し、病の癒し、必要の満たし、豊かないのちと生活、キングダム・ライフにある真のアイデンティティーへと彼らを引き出し、そこに確立するのだ。

イエスは盲人に「かわいそう」とは決して言わなかった。泥を目に塗り、シロアムの池に行けと命じたのだ(急階段を下りる場所にある!)。まだ目は開いてないのに!が、彼はイエスの声を聞いて、いろいろ思ったろうが、とにかく従った。すると目が開いた。イエスはすでに彼の目が開くのを霊で見て、思った。そして信じて、語ったのだ。サブスタンスを明確にとらえていた。何を見るのか。目の前の物理的状況か、霊の世界のサブスタンスか。そのどちらを思うのか。思えばその結果をいずれ得るのだ。

わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。-2Cor 4:18

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