フェイスは〈永遠のNOW〉を実体化する

創世記1章の冒頭、「はじめに」とあるヘブル語は「ベレシート」。そこに、実は、全福音が埋め込まれている。そして2節-

地は形なく、むなしくなり[1]ここは「むなしく」と普通は訳されるが、becameが適切。例えば、ロトの妻が塩の柱に「なった」と同じ単語である。、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。-Gen 1:2

この「おおっていた」とある原語は

râchaph, A primitive root; to brood; by implication to be relaxed: – flutter, move, shake.-Strong.

つまり雌鶏が卵を孵化させること。神の霊は荒廃した地球を優しく包み、その孵化の時まで守っていたのだ[2]1節と2節の間にはギャップがある。イザヤ書には地を混沌と(むなしく)創造したのではないとある(Isa … Continue reading。卵の外見は何も起きていないようであるが、内側では着実にいのちの分化が進められている。そして各器官が明確になると卵が割れ、現れる。サブスタンスが分化し、形作られ、語り出されるとき、それは現出する。まさに神の信仰のレーマによって万物は創造されたのだ。

Through faith we understand that the worlds were framed by the word (rhema) of God, so that things which are seen were not made of things which do appear.-Heb 11:3

私たちの全サブスタンスもすでに神の書に書かれている。

My frame was not hidden from You,When I was made in secret,And skillfully wrought in the lowest parts of the earth. Your eyes saw my substance, being yet unformed. And in Your book they all were written,The days fashioned for me,When as yet there were none of them. How precious also are Your thoughts to me, O God!How great is the sum of them!-Ps 139:15-17

十字架は創造の時にすでに存在していた(Rev 13:8[3]ここは「天地創造の時から屠られた小羊の命の書」とするのが正しい)。神のみわざは天地創世の時にすでに終わっていたのだ(Heb 4:3)。霊的領域は時空間を超える。永遠の領域においてはそれらは常にNOWなのだ!その永遠のNOWが、時空間において、今、ここに、現出する。それがフェイスである。時空間に拘束されたマインドから解かれよ!

Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.-Heb 11:1

 

00votes
Article Rating

References

References
1 ここは「むなしく」と普通は訳されるが、becameが適切。例えば、ロトの妻が塩の柱に「なった」と同じ単語である。
2 1節と2節の間にはギャップがある。イザヤ書には地を混沌と(むなしく)創造したのではないとある(Isa 45:18)。つまりこの二節の間に何かが起きて、地はむなしくなったのだ。それがサタンの反逆。だからエデンの園にすでに蛇としてサタンはいたのだ。また2日目に大空を分けられた時、なぜかこの日だけ神は「よし」と言っていない。それは地の深いところに閉じ込められていた霊的存在が大空に解かれたためと考えられる。エペソ書参照(Eph 2:2)。
3 ここは「天地創造の時から屠られた小羊の命の書」とするのが正しい

是非フォローしてください

最新の情報をお伝えします

Subscribe
Notify of
guest

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

0 Comments
Inline Feedbacks
View all comments
Translate »
0
Would love your thoughts, please comment.x
()
x