フェイス

人と聖霊の関わり-内なる塗り油にとどまること

「聖霊様の油注ぎ、油注ぎ」と強迫観念的にソレを求め、タテノリのガチャガチャサウンドをがなり立てる様子は、ある種、バアルの祭司たちの様を彷彿とする。

彼らは与えられた雄牛を取って準備し、朝から真昼までバアルの名を呼び、「バアルよ、我々に答えてください」と祈った。しかし、声もなく答える者もなかった。彼らは築いた祭壇の周りを跳び回った。・・・真昼を過ぎても、彼らは狂ったように叫び続け、献げ物をささげる時刻になった。しかし、声もなく答える者もなく、何の兆候もなかった。-1列王記18:26-29

その様を私はかねてより「リバイバル音頭」と呼んでいた。今後、否、すでにニッポンキ業界は大いなる偽りに堕ちる/ている。かのベニー・ヒンですら、「聖霊様、聖霊様」は過ちであると悔い改めた。聖霊はジーザスを証しする霊、「ジーザス・アンリミテッド」だと。キリストは今どこにいますのか?

今こそ、外なる何かではなく、内なる塗り油1)これ自体が邦訳は誤訳。「注ぎの油」ではない!の教えるとおりに、キリストに留まる時なのだ。外なる現象を追いかければ必ず欺かれるであろう。内なる声を聞くこと。フェイスは聞くことによるのだから。

御霊と人の関わりについて―油注ぎと油塗り-
油注ぎと油塗りについて

 

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1. これ自体が邦訳は誤訳。「注ぎの油」ではない!
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