Dr.Lukeのショートショート:真理は認知的不協和を生じる-ヒトは自分の魂を守るためにそれを拒絶するが十字架は選択を迫る

人は一度刷り込まれた価値観や思想に反することを聴くと、内面に違和感を覚えます。それは自我の安定性、アイデンティティの脅威と感じ、つぎのような反応を惹起します。

  1. 否定、拒絶する
  2. 是非を検討して、是ならば受け入れる
  3. 自分の思考を変えて、感情との齟齬を消そうとする
  4. そのことを提示した相手のクレジットを貶める

1.と4.はキリスト教界においてよく観られる反応です。もしそのことが正しかった場合、自分のマトリックスを下ろし、あるいは書き換える必要があるわけですから、それを頑なに拒む感情的反応です。大抵、攻撃的な姿勢を見せるようになります。SNSのクリチャン系の領域でよく見られる現象です。社会でも財政破綻論者が国債の真実を認めることができず、MMT論者を攻撃しています。これをセンメルヴェイス反射と言います。

3.の反応は、そのことが正しくても間違っていても、自分が誤っているとして、無理やりに自分のマトリックスを操作して、相手に合わせ、認知的不協和を最小化する心理である。これが詐欺師やカルト教祖が用いるマインドコントロールの基本的なテクニックである。最初は変だなと感じても、相手に合わせている内に、相手のマトリックスに取り込まれていく。コロナワクチンでも見られた現象である。文末に論文を紹介しておく。

2.はそのことを検討した結果、正しいと納得すれば、自分のマトリックスを修正あるいは書き換えてそのことを受け入れる姿勢です。この場合、自分のプライドを邪魔をすることが多いのですが、これを否むのが十字架です。

自分の命(Gk.魂)を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。-Luke 17:33

ここの「命」と訳されている原語は”pshuche“、すなわち魂(思い・感情・意志)である。つまり自分の内的価値観、経験、知識、常識、そしてプライドなど、ひいてはアイデンティティのことです。

富んだ若者がイエスに「永遠の命を得るには何をすべきか」と問うと、イエスは「律法を守れ」と。若者は「そのようなことはすでにしてきた」と答えると、イエスは「持ち物をすべて売り払って貧しい者に施せ」と言われた。それを聴いた若者は悲しみながら立ち去った。理由はたくさんの財産を持っていたから、とあります(Matt 19:16-22)。

一方で、ツロの女が娘の癒しをイエスに求めると、「犬に投げてやるパンはない」と冷たく突き放されます。しかし女は「主よ、おことばどおりです、しかし、子犬も机からこぼれるパンくずにはあずかります」と答え、イエスは感嘆した、とあります(Matt 15:21-28)。

このふたりの違いは何だったのだろうか? 若者を自分の財産を惜しんだ、つまり自分の魂を救おうとした。対してツロの女は主に拒否られ、自分のメンツを否定されたのに、主のおことばを尊重した。つまり自分の魂を失った。これが十字架である。十字架で自分の魂を否みかつ失うならば、主のわざを創発し、誘導し、魂の救いを得るのだ。これが神の逆説である。

かくして、現在のキリスト教において当たり前になっている、教職教団制度(ニコライ派)やアダムの罪の生まれながらの継承説(原罪継承説)、イエスの誕生日が12.25説(クリスマス)、あるいは同性愛結婚、などに異議を唱えると、かなり激しい感情的反応が起こる。彼らはウエストミンスター信条だの、ルターやカルバン神学のマトリック、さらには世の価値観や時代の流行の思想に幽閉されている結果、生の聖書の言葉に立ち返り、色眼鏡を外して検討することはしない。だから対話は不毛である。

霊的真理はアダムにある者にとっては本来受け入れがたい。特のキ業界で自分のアイデンティティや食い扶持を担保する者たち(キ業界人)にとっては、だ。だから必死に抵抗するか、あるいは理屈で合理化して言い訳するか、あるいは無視するか、あるいは最近ではパウロは異端であり、彼の教えはイエスの教えとは違う、などの言説が生み出されるようになる。かくしてニッポンキ業界には堂々と欺瞞が蔓延っている。これも終わりの時代のひとつの顕著な兆候である。

すでに主がニコライ派を憎みかつ戦うと宣告されているのだ。あの呪われたいちじくと同様に、見えない部分の根はすでに腐っている。いずれ見える部分の木も枯れる。実際、ニッポンキ業界の現況を見れば、その悲惨さが健在化していることは否定できないであろう。

われわれが取るべき姿勢はツロの女あるいはマリアのそれである。ガブリエルが処女マリアに受胎告知した際、最初は自分の常識に基づいて否定したが、彼女は自分を下ろしてこう証した。

マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神(Gk.のことば)にできないことは何一つない。」
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。-Luke 1:34-38

これにより彼女は救い主を地上にもたらすという、女の中の最高の祝福を得たのだった。そして常にイエスの言葉を思い巡らし(Luke 2:19)、この人の言うとおりにしてください(John 2:5)と証ししたのだった。このマリアのスピリットをシェアする者は幸いである。

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