エゼキエル38章&39章の時系列のトリック

イスラエル再建から70年にしてエルサレムに米大使館が移転。エルサレムをイスラエルの首都と認めたことになる。もっともこの法律は1995年には成立していたそうだから、その実体化と言えるだろう。かくしてエルサレムは世界の重い石となる。

託宣。イスラエルに対する主の言葉。天を広げ、地の基を置き、人の霊をその内に造られる主は言われる。見よ、わたしはエルサレムを、周囲のすべての民を酔わせる杯とする。エルサレムと同様、ユダにも包囲の陣が敷かれる。その日、わたしはエルサレムをあらゆる民にとって重い石とする。それを持ち上げようとする者は皆、深い傷を負う。地のあらゆる国々が集まり、エルサレムに立ち向かう。-Zech 12:1-3

すでにオバマは終末の舞台を設定したと書いているが、その後、見事にトランプが、現代のキュロスとしてそのキャラクターを演じたわけだ。世界はますますエルサレムを中心に回ることになる。その中でいわゆる携挙と再臨の時期について諸々論じられているが、すでに1948年にいちじくが葉を実らせて一世代(=70年)が過ぎた現在、いわゆるディスペンセイション主義による終末論のパラダイムが崩壊している部分もある。

さて以前に黙示録5章の四色の馬に乗る者たちについて、最近、私の説(☞携挙の時期について)と同じ立場に立つすでに4つの封印は解かれているとする説を紹介した。すなわちマタイ24章の主の予言と黙示録5章はパラレルである。さらに今回、私がずっと疑問に感じていた、エゼキエル38章と39章の戦闘について、実に腑に落ちる説を発見した。これは面白いし、これまで疑問だった点が氷解する。

私の疑問点は次の二点だった:第一に、エゼキエル38章でいわゆるゴグ・マゴグがイスラエルに攻め込むが、この際、イスラエルは城壁もなく、安らかに暮らしているのだ。はて、そんなことがあり得るわけ? 現に、今は西岸地区はコンクリートの壁で隔てられているし、とても安心できる状況ではない。第二に、黙示録にある千年期の後のゴグとマゴグが聖なる都を攻めるが、エゼキエルのゴグ・マゴグとは異なるのか? 通常は異なるとされているが、どうもこれが「?」だったのだ。

で、今回見つけた説は、なんと38章と39章は時系列的に前後していると言うのだ!? つまり38章が千年期の後のゴグ・マゴグ戦争であり、39章はいわゆるハルマゲドンの戦争であるとする。おお、これはAHA体験。なるほど、すると私の二つの疑問は氷解する。

こちらでも同様に解釈されている。

うーむ、神はなんというか、仕掛けをあちこちに設けておられる。通常のマインドで読むならば、容易に誤解するのだ。特に知性を誇る場合、聖霊が働かれない。彼らは聖霊によって放置されるのだ。常に自分のマインドの中にあるモデルあるいはパラダイムのチェックを怠らないことが大切。まことに真理の御霊に頼るほか、聖書を理解することはできないのだから・・・。

この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。生れながら魂的な(Gk)の人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。 –1Cor 2:13-14

前艱難携挙説(=教会は最後の7年前に携挙され、最後の7年に入ってから4頭の馬が解かれるとする立場)の人々は未だ教会が地上にあるから最後の7年は始まっていないと見るが、これは判断を誤ると私は考えている。つまり四つの封印はすでに解かれているのであれば、しかも前艱難携挙説が間違っているのであれば、いつでも最後の7年のクロックは再スタートするのだ。

極私的には反キリストはすでに現れていると感じる! 物を隠すのにもっとも適した場所は?・・・そう、公共の場、誰もが見ている場所。要するに終末は思いの他煮詰まっていることになる。

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