内にキリストの言葉を豊かに宿らせよ-Spiritual Hypocognitionに陥るな

人は言葉の動物である。人は内的な言葉によって認識や言動が影響を受ける。例えばいじめっ子はしばしば内的言葉の貧困が原因であり、内的言葉を豊かにし、自己表現力を増してあげると、いじめ行為がなくなる。自閉症の人は外的世界を内的意味空間に位置づけることができず、人の表情や場の雰囲気が読めない。また自身の内的感情や欲求を適切に表現することができないために、キレてしまうことが多い。

さて、ここに面白い研究結果がある。

Hypocognitionとは-

「Hypocognition」は人類学者のロバート・レビーによって作られた「オブジェクトに対する言語あるいは認知表現の欠如」を示す言葉です。

この記事にもある通り、感情の適切な表現が欠如すると自殺率が高くなることもあり得るし、病気に対する適切な診断や処置をすることもできなくなる。すでに述べている通り、アダムは動物に名前を付けた。これにより個々の動物が定義され、その存在が確立したのである。

そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。-Gen2:19

ここで「名をつける」とある単語は”qara”=「呼ぶ」とか「宣告する」の意味。「その名となる」とある単語は”shem”=「命名する」から、さらに「誉れ、権威、性質を受ける」の意味がある(Strong)。アダムはこうして神の創造物にひとつづつ誉れ、権威、性質を定義したのだ。しかも、YHWHエロヒムはそれをご覧になっていた。つまりアダムにすべてを委ねていたのだ。

かくしてアダムは「地を治める」ために、まず外界の存在を定義づけた。これにより外界を制御できるようになる。例えば、上の記事にある1/3のアメリカ人は2型糖尿病の概念がない。そこでその症状を定義づけることができず、対処もできないままに放置することになる。これで2型糖尿病を「治める」ことができないのだ。タヒチの人々は「悲しみ」に対応する単語を持たない。ゆえに、その感情を適切に処理することができず、自殺へと至ることになる。

以上の例はあくまでも五感の領域の事象に関わることであるが、霊的領域の事象に対しても同様である。自分の身体や環境に何かの事態が生じる。それが望ましくない場合、われわれはどう対応するであろうか? ある人は人生は自分の思い通りになるものではない、あるいは人生は不条理なものとして、その中に巻き込まれ、翻弄されるままになるであろう。未信者の場合はほとんどがこのようなものであろう。が、霊的な言葉と知識を有するクリスチャンは、それが霊的なアタックであることを見抜き、その原因である霊に対して権威を行使することにより、その事態を「治める」ことができる。ヨブ記を読めば、人生の不幸や悲惨がフェイスの穴から生じることが理解できるのだ。

人生は一寸先は闇ではない。敵のウソを拒絶せよ。われわれは光の子であり、常にYHWHエロヒムの光の中を歩んでいる。御言葉はわが足の灯である(Ps 119:105)。あらゆる呪いはすでに終わっており、今やキリスト・イエスにある者はYHWHエロヒムにより祝福されている!(Eph 1:3)また主と共に御座に座しており(Eph 2:6)、敵を踏みつける権威を得ている(Luke 10:19)。霊的諸勢力はすでに武装を解除されて、さらし者とされている(Col 2:15)。ゆえに私たちを害する者は何もない!(1John 5:18)

このようにキリストの言葉(ロゴス)をうちに豊かに住まわせれば(Col 3:16)、われわれはあらゆる状況においてそれに対処することが可能となる。イエスは男だけで五千人を二匹の魚と五つのパンで養うことができた。その際、イエスはうちにある父の言葉に従って対応したのである。嵐の中で翻弄される船の中でも寝ていた。そして弟子たちの叫びに応じて、嵐に命じると嵐は収まった。かくしてイエスはあらゆる状況において「地を治める」ことのデモンストレーションをされたのだ。

しかも、イエスを信じる者はイエスと同じわざをなし、さらにそれよりも大いなるわざをなすと言われる(John 14:12)。カギは何か。私たちはイエスから離れては何もなし得ない。が、信じる者にはすべてが可能である。フェイスは無きものを在るものとする。フェイスはキリストの言葉(レーマ)を聞くことである。一度、御声を聞けば、それは成る! 天地を造られた方の言葉を内側に豊かに住まわせること。われわれは霊的なHypocognitionであってはならない。御言葉はあらゆる状況に対応するパワーを有する。ゆえに

わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。-2Cor 4:8-9

わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。・・・わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。-2Cor 6:3-10

仮にどう祈るべきかも分からない場合ですら、

同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。-Rom 8:26

かくして私たちは地上におかれている現在において、フェイスにより地を治める者となる。人生の荒波や敵の攻撃や貧困や病において戸惑い、困惑し、何をどうべきかを見失うことがない! カギは内に住まうキリストの言葉。キリストの言葉を豊かに住まわせよ! それはあなたの魂にとって錨であり(Heb 6:19)、あなたの魂を救うのだ(James 1:21)。

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