再建主義者の「われわれは法的復活体を持つ」を論駁する

いつもの再建主義の富井氏の論。これを読むと彼のマトリックスが理解できる。つまり、クリスチャンは実質的に復活しているのではなく、法的に復活しており、この肉体もいぜんとして血肉であるが法的には復活体であると言うわけ[1] … Continue reading

これで分かるのは、彼においては人間の構成=霊・魂・体=の区別ができていないことだ。Dr.Luke的には、霊はキリストと共なる死と復活をとおして新しい創造(ニュークリーチャー)とされているが、体はまだ古い創造に属している。霊はいのちを与える霊となられたキリスト(1Cor 15:45)と本質的にひとつであるが、体はあくまでも五感の領域のものだ。この間に挟まれているのが魂(知・情・意)。ここにクリスチャンの経験するジレンマがある。だからパウロですら肉の体の中でうめいている(2Cor 5:2)。さらには全被造物も贖いの日(=物理的な再創造)を待ち望んでうめいている。それは私たちの肉体が霊のものに変えられる日である(Rom 8:19-23)。これは携挙の時の事件だ(1Cor 15:42-53)。

再建主義のポストミレではAD70年に携挙も再臨も起きているとする。が、現実にはそのような歴史的記録も証言もない[2] … Continue reading。今のわれわれの肉体はあくまでも物理的な存在、まだ霊の体として変化されていない。血肉は神の国には入れないとあるが、再建主義は今はすでに千年期であるとする。この矛盾を説明するために、富井氏はあくまでも「法的に復活した体」であるとし、千年期の後イエスは肉体を持たれた様で「二度目の再臨」をすると主張する。これでは再々臨であろう、と私は何度も指摘している。

また、彼においては、否、ニッポンキリスト教全体においてもだが、YHWHとエロヒムの理解がヘブライ語原点からずれている。エロヒムは霊的生命体の総称、YHWHはそれを創造された最も高きエロヒム。われわれの霊はエロヒム属であるが、YHWHのパーソナリティとは異なる。これは中村家に生まれれば、ヒト属として中村家のファミリーメンバーであるが、子供は両親とは別人格であるのと同様だ。われわれも霊から生まれたエロヒム属であり、YHWH家のメンバーであるが、YHWHのパースン=父・子・聖霊=とは異なる。

再建主義では「法的」と「実質的」と区別するようであるが、極私的には「経綸的」と「本質的」と区別している。経綸的とはこの物理的世界における神と人の関わり方である。具体的にはイスラエルの歴史を通して見ることができる。そのレビ系祭司制度の旧約は影であり、実体は来るべきキリストである。新約はメルキゼデク系祭司制度であり、いのちのパワーすなわち本質(本体・実質)をもたらしたのだ(☞祭司制と律法について)。かくして「キリストにあって」とは五感の領域を超えた霊的リアリティーを言うのである。それは法的のみにとどまらず、実質的に真理である。それを五感の領域に実体化する能力がフェイスである。

いま、フェイスとは願われるサブスタンス(実体・土台・権利証)であり、まだ見ていないことの現出である。-Heb 11:1(私訳)

今、すでにわれわれの霊はスーパーナチュラルな存在であり、YHWHエロヒムと交わり、そのうちに生きる者とされて、実質的に主とひとつの霊とされている(1Cor 6:17)。うちにはキリストが実質的に住まわれる。それどころかYHWH=父・子・聖霊=が住まわれる(John 14:23)。が、この古い創造である肉体は五感の領域に生きているる。だからイエスは言われた、あなたがたは世にはいるが、わたしが世の者ではないように世の者ではない、と(John 17:16)。パウロも言っている-

生きているのはもはやわたしではなく、キリストである。今、肉にあって生きているわたしは・・・御子のフェイスにあって生きる。-Gal 2:20

うちなる霊の実際は生きているのはキリストだが、わたしも肉にあって生きている。すなわち五感の領域と霊の領域の境界に生きる存在、そしてイエスと言う門を通して二つの領域を出入りする存在(John 10:9)、これがニュークリーチャーたるクリスチャンの実存的あり方である(2Cor 5:17)。

引用

tomi 2018/11/07(水) 06:32

クリスチャンは神の権力代行者である

1.

クリスチャンの体は、復活体であり、それゆえ神殿である。

ただし、それは「実質的な復活体」ではなく「法的な復活体」である。

なぜならば、それはまだ「血肉のからだ」であるから。

パウロが言うように、「血肉のからだ」では「神の国を相続できない」。

「朽ちるもの」は「永遠のもの」を相続できない。

しかしわれわれが肉体を離れた後にすぐに与えられる「御霊のからだ」は、「朽ちない」のでそれを相続できる。

われわれの「血肉のからだ」は「法的な復活体」である。

実際には復活していないが「キリストにあって」復活している。

キリストと教会(全クリスチャン)は、「頭と体」「新郎と新婦」の関係にあり、契約的に「一人」なので、キリストが「復活した」のでわれわれも「復活した」。

「法的な復活体」であるが「神の目から見て」復活体である。

それは、神が教会を「キリストと一体であるがゆえに無罪」とみなしてくださるのと同じである。

教会は、キリストと法的・契約的に一体であるがゆえに、キリストと同じ立場にある。

夫婦が一人一人別人であるが、契約を結んで一人であるのと同じである。

夫婦が「一人の法人」であるのと同様に、キリストと教会も「一人の法人」である。

キリストが処刑されたのであれば、われわれも処刑された。

キリストが復活されたのであれば、われわれも復活した。

キリストが王になったのであれば、われわれも王になった。

キリストの体が神殿となったのであれば、われわれの体も神殿となった。

キリストとわれわれは、運命共同体である。

2.

「キリストと教会は一人」と言った場合に、誤解してはならないのは、今述べたように、それは「法的に一人」ということである。

「実質的に一人」と考えてはならない。

そのように考えると汎神論になる。

あくまでも「実際的には、キリストと教会は、別ものである」。

前者は超越者であり、創造者であり、後者は、非超越者であり、被造物である。

汎神論は、神と人の「一体性」を「存在論的な一体性」と誤解する。

この区別がしっかりできていないと「人間崇拝」の誘惑に陥りやすい。

「クリスチャンには御霊が内在しているので、クリスチャンは神だ」と誤解してはならない。

クリスチャンの体が神殿であり、御霊が内在しているのは、あくまでも「キリストと法的に一体であるから」である。

夫と妻が法的に一体であっても、夫は妻ではないし、妻は夫ではない。互いに異なる人である。

同じように、キリストと教会は互いに異なる存在である。

いかなる人間にも組織にも、祈りや礼拝を捧げてはならない。

ローマ・カトリックは、法王やカトリック教会を神格化しているので、この誤謬に陥っている。

3.

クリスチャンの体は、御霊が内在する神殿であるが、神ではなく、それゆえ礼拝の対象にはならない。

しかし、だからといって、超越的な業を行えないわけではない。

われわれは「イエスにあって」奇跡を行うことができる。

警察官個人は、ただの人間だが、警察組織の一員であり、国から権限を与えられているので「国の名のもとに」権力を行使することができる。

犯罪の現場で犯人を逮捕できる。

令状があれば、個人の自宅や仕事場に踏み込んで捜査できる。

スピード違反をした車を止めて、運転手に罰金を科すことができる。

われわれ個人は「ただの人」だが、「キリストの御体に法的に属するので」キリストの権能を帯びている。

「イエスの御名によって」祈るならば、その祈りは神に聞かれる。

「イエスの御名によって」悪霊に命じるならば、悪霊はわれわれの言うことを聞く。

「イエスの御名によって」病の癒やしを祈れば、病は癒やされる。

われわれは、神の権力代行者である。

まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。(マルコ11・23)

山は「神の支配」の象徴であるだけではなく、「サタンの支配」のそれでもある。

海は「滅亡」の象徴。

「山が海に入る」とは「サタンの支配の滅亡」を表している。

それゆえ、われわれが「疑わずに」祈れば、サタンの支配は崩壊する。

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1 前から繰り返しているが、私は富井氏をリスペクトしている者である。ニッポンキリスト教に対しる評価は大いにシェアできるし、その一貫した主張と生き方には敬意を表する次第だ。
2 富井氏はそのような証拠は不要。聖書に書いている通りに受け取ることが大事とする。主が言われた「この時代(ゲネア)」を40年とするところからAD70年がポイントになるわけ。だが、黙示録19章まではAD70年までに成就しているとするためには同書がそれ以前に書かれている必要がある。通説ではAD90年代とされるが、AD60年代の説もある。これについてはこちらで論じている

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