本日の一冊:田川建三版『新約聖書』-フェイスとは?
2019-02-25
例えば、これはちょっと意外な程だが、ヨハネ7章39節(John 7:39)、大抵の訳は「聖霊が注がれていなかった」とか「くだっていなかった」とする。これでニッポンキリスト教聖霊派の「聖霊様充満~、油注ぎ~」が発生する。田川訳は「存在していなかった(was not yet)」と正確に訳している。これは立派。なぜならここにこそ新訳の聖霊論の本質が隠されているから。
田川氏は聖書は古文書だと。で、語学的ないし文献学的に検討しているわけだ。これがハマルティア(=的外れ)。聖書は霊の生命現象の書なのだから。医学生物学的に分析する必要があるわけ。田川氏もニッポンキ業界を忌避しているようだが、所詮文系のオツムなのです[1]田川氏は自分を「神の存在を信じないクリスチャンである」と定義しているようです。寿司ネタのない寿司みたいなものか・・・。。
邦語訳のマトリックスに幽閉されている肢体にはぜひ覚醒して欲しい。あなたのポテンシャルの偉大さに。 フェイスはスピリチュアル・パーセプション。それは弁証や論証ではなく、実証(Substantiation)されるものだ(Heb 11:1)。
⇒フェイスはYHWHのパーセプション(@YouTube)
References
↑1 | 田川氏は自分を「神の存在を信じないクリスチャンである」と定義しているようです。寿司ネタのない寿司みたいなものか・・・。 |
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