言語マトリックスの罠-御言葉を現代的意味でとらえてはならない
Biblical writers used words loaded with symbolic, abstract meanings that were well known in their culture. We miss all that when we insist words must mean what pops into our heads in our time and culture. pic.twitter.com/CftpeND5TP
— Michael S. Heiser (@DRMSHPhD) April 22, 2021
いつものDr.Heiserのツイート。御言葉は現代人の感覚で理解してはならないのだ。ましてや日本語マトリックスでの理解は致命的。
たとえば「良心」と訳される単語”suneidēsis”。”sun”(with)+”eido”(percept)の合成語。その意味は”co-perception”(Strong)、聖霊とパーセプションを共有することである。岩波訳では「内奥の意識」と訳している。
原語を変える必要があることはすでに指摘している。
われわれは残念ながらヘブル語やギリシャ語は母国語としていないゆえの限界はある(外なる言語)。が、内なる言語(ロゴス)を有している。それは聖霊によって臨在されるYHWHエロヒムのロゴス、いのちを与える霊となられたキリストである(1Cor 15:45)。このキリストのマインドをすでに持っているが(1Cor 2:16)、まだ古い魂(特にマインド)が障害となり、十分にその機能が発揮されていない。ゆえにマインドのトランスフォーム(メタモルフォーシス)が重要となる。
そしてあなたがたは、この世と同じ姿かたちにさせられてはならない。むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって、形造り直され、〔その結果〕何が神の意思であり、善きことであり、そして〔神に〕喜ばれることであり、完全なことであるのかを、あなたがたは吟味するように〔しなさい〕。-Rom 12:2
マインド(思い)はブレインと同期して働くが、ちょうどカメラのシャッターのようなもの。これが開いていないと、ここで霊的サブスタンスがブロックされて、霊にまで届かない。このような人は思いの中で延々と空理空論を振り回すことになる。霊はちょうど感光フィルム(今は感光素子)のようものである。霊的サブスタンスを霊に得たら、思いを用いて語り出す。これが写真の焼き付けと同様に、五感の領域に霊のサブスタンスを現出させることである(実体化、substantiation)。
かくして霊の人はYHWHエロヒムの意識を共有し、それを五感の領域に現出させるのだ。これが御心が天になるとおり、地にもなるようにの具体的内容である。主の祈りは式文ではない。
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