生と死の分岐点はなんだろう?

https://www.youtube.com/watch?v=rsm0lM2u0Lg

あの日、ぼくはこの現場の1キロほどのところにいた。誘導員に車を止められて、三島に迂回せよと指示を受けたのだが、その時はまだこんな状況とはまったく知らなかった。が、この時にすでに何名もの方々の命が奪われていたのだ。

かつて教養時代の体育の時間、ランニング中に一人の学生が倒れた。そこに居合わせたぼくは教師が人工呼吸をするのを援助した。校医と思われる女医が駆け付けたが、手が震えてカンフルのアンプルをボキっと割ってしまって注射ができない。救急車は到着に20分もかかると・・・・。かくして僕の目の前でこの若者は死んでいった。後程冠動脈に異常があったとのことだった。

この年齢になると家族も含めて人の死にはかなり立ち会った。生と死の境を超えると人は物体になる。意識を失っていても生きている状態と死亡した状態はまったく異なる。後者はまさに物体なのだ。この物体であるボディの中に魂(知情意)と霊がある。霊があるゆえにボディは生きる。

養老先生は精神は脳の物理化学現象に過ぎないとされたが、命を把握することはできないと言われる。医学などはちょうどスルメを研究して生きてるイカを知ろうとするようなものであると。確かに。改めて生きていること、生命の不思議さを思い知らされた事態であった。

ちなみにこれはわが大根クン。あの種が物質を吸い上げてこれまでになってきた。双葉が生えて本葉が育つと。誰がそのようなプロセスを決めたのであろう。DNAにそれがプログラミングされている。問題はそのプログラムはだれがインストールしたのか? 現代のサイエンスはそれに答えることはできない。この大根も確かに生きている。

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