時の移ろいは・・・・クロノスとカイノスの間で

石原裕次郎の『みんな誰かを愛してる』の出だし-時の移ろいは悲しみを忘却の彼方へと連れていく・・・なかなかシブイ😎

2021年も終わりに向かっている。まことに時(クロノス)の流れは速いと感じる昨今ではある。ひたすら青春のエネルギーをもてあまし、浪費していたあの焦燥の日々。青春の蹉跌で渇き切り殺伐としたあの時。今の方がはるかにしっくりと満ち足りている。古の白楽天もこう詠んでいる、洒脱な世界観である。人生は、是れ遊びの究極の境涯。

早夏遊宴 白居易
慵ものう)しと雖(いえ)ども 興 猶(なお)在り,
老いたりと雖えども老心 猶健やかなり昨日
山水に遊び、今朝は花酒に宴す山榴(さんりゅう)は豔(えん)にして火に似、
玉蕊(ぎょくずい)は飄(ひるがえ)りて霰(あられ)の如し
榮落は瞬を逐いて遷(うつ)り、炎涼は刻に隨いて變(へん)ず未だ木綿の褥(じょく)を収めず、
已に蒲葵(ほき)の扇を動かす且つ
物を喜び人と興じ、年年 相見(あいみ)を得る

若いころは膨大な人生の時間が重かった。今はどんどん軽くなっている✨身軽になるほどに挙げられる日が近くなる。思へばとほくへでございます。今東光の言葉がしみじみと:

人生は冥途までの暇つぶしじゃ、だからできるだけ高級な暇つぶしをせんとならん。

よってぼくは一生遊び人でいるつもり😎

ただし、これはクロノスの世界のお話。この世界は量子論的には「実在」はないのだ。あるのは情報のみ。それが創発して来ているだけ。聖書も言う-

信(フェイス)によって、わたしたちは、この世界(アイオン)が神の言葉(レーマ)によって創造(フレーム化)され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。-Heb 11:3

われわれエロヒム属、ニュークリーチャーはカイノスに生きる存在。フェイスは永遠のNOWの経験。アインシュタインも、時間は幻想である、しかもしつこい幻想であると言っている。神の業は天地創世の時に完成しており(Heb 4:3)、ジーザスも天地創世の時に十字架につけられていたのだ(Rev 13:8)。そのスピリチュアル・リアリティーがYHWHエロヒムのフェイスにより現出したのが、あの二千年前の十字架である。まことにDerek Princeが言う通りである-

あなたの人生において時間の事柄から、永遠の世界、神の言葉に、そして永遠の真理と永遠の慰めに転機する瞬間あるいは瞬間瞬間が訪れるであろう。-Derek Prince

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