iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ
タグ: 物理学

これ、物理を知ってる人には鳥肌もの。なんでだぁ・・・と呻くのみ。
137って何?って思った方は、こちらをどうぞ。

この記事は実に面白い。かつて学生時代に読んだ京大の小針氏の確率論の中で、妄想であるとしつつも、この三つの等価性を予言されていた。今日、まことに物理理論として提案されているのだ。
- There is no dark matter. Instead, information has mass, physicist says
- The mass-energy-information equivalenceprinciple
この論文の中で提示されている三つの等価性の図

もしこれが真理であるとすれば、YHWHのレーマを解放することは物理的領域のエネルギーや質量の分布を変えることになるのかもしれない。女が主の衣の房に触ったジーザスはデュナミスが流れ出るのを感じたのだ。
この記事の中で示した聖句の重みを覚える次第である。
By faith we understand the ages to have been framed by the Word of YAHWEH, so that the things seen should not come into being out of things that already appeared. –Heb 11:3 (HRB)
信仰によって、この世(アイオン)が神の言葉(レーマ)によって造られた(フレーム化された)こと[1]ここは「レーマに適合するように(adjust to)」とある(CLV)、したがって見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解している。(岩波訳)
われわれもまたキリストの内にインヒュージョンされた者として、キリストと同じわざをなし得るのだ。それはYHWHの言語を用いることによる。状況に対して「ある(haya)」とされたYHWHの言葉(dabar)をスピリットにより語り出す。それがレーマであり、このように語り出されたYHWHの言葉は無益に帰ることはないのだ(Isa 55:11)。
これを私はこのように定式化している:<レーマ=ロゴス×スピリット>。フェイスはスピリットである。つまりロゴスとフェイスを混ぜること(Heb 4:2)。その時、<客観的事実(霊のサブスタンス)×フェイス=主観的経験>となるのだ。
フェイスを語り出せ! 山は動き出して海に沈む!

繰り返すが、ジーザスはキリスト教の教祖でもないし、聖書はキリスト教の経典でもない。キリスト教なる宗教体系はすでにYHWHエロヒムの啓示から外れていることに注意せよ! 正統神学や伝統などに騙されることのないように。
しかし今思うに、あれだけの大規模事件をオウム真理教なる宗教団体だけで行えるのだろうか。ソ連製の軍用ヘリを入手したり、武装したり、サリンを合成したりと。リチャード・コシミズ氏の指摘通り、某国の仕掛けがあったとしても何ら不思議ではない感じがする。

量子情報理論のHotta先生のツイに僭越ながら一言。量子論では量子の本質を把握することができない。かといってその存在がないとは言えないと先生は言われるわけです。理論は現象(シニフェ)のモデルの構築(シニフィアン)であり、言語化できないことが即不存在だとは言えないわけです。
逆に存在していてもサイエンスでは五感のレベルに還元できなければ感知不能、つまりわれわれの主観的な経験となり得ないわけです。まさにスピリチュアル・エンティティなどはその典型です。存在しているが、センサーである霊が機能していないならばそれはその人には意味がありません。
量子論や時間論はそんな問題を提示しているわけです。
- 科学と信仰@KF_Site
ヴィトゲンシュタイン的に「言語は世界の映像」即ち言語化は存在の鏡像構成だから、鏡の前に認識論的障害/限界があれば鏡像は構成不可。逆に物理理論は存在のモデルつまり現象の記述である以上、最終的には五感レベルに還元できなければ単なる言語内存在に過ぎない。シーニュの問題となるのだろう。 https://t.co/ZVOZssuizx
— Luke Karasawa(唐沢治) (@Doctor_Luke) December 10, 2021

これ、実に興奮するではないか。古典的粒子のような実在は存在しない。これはペル不等式の破れで、アインシュタインが「不気味な現象」と呼んだエンタグルメントが証明されたことによる[1] … Continue reading。量子論は情報理論であって、量子の実在がいかなるものかを論じる学問ではない。つまり量子の本質あるは本体はいぜんとして未知なのだ。なんともエキサイティングではないか✨
Through faith we understand that the worlds were framed by the word of God, so that things which are seen were not made of things which do appear. -Heb 11:3(KJV)
信によって我々は、此の世が神の言葉によって整えられたのだ、と理解している。すなわち見える事象は(表面に)現れた現象から生じたわけではない。田川訳
信仰によって、この世が神の言葉によって造られたこと、したがって見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解している。岩波訳
ここの”worlds”は”aion”、つまり世の時系列的な変化する様相を言う。ゆえに複数形で訳されている。”framed”はちょうどパワーポイントのサブスタンス(実質)は1と0の集合体(プログラム)であるが、PCで変換されてプロジェクターで投影されるとスクリーンというフレーム内に人間にとって意味のある映像となるように、われわれが五感によって経験する世界も、その実質である神の言葉(rehma)が投影されてフレーム化されたものというわけ。
IT FROM REHMA
ベル(CHSH)不等式の破れから古典力学的粒子のような実在は存在しないことが実験でわかったので、そのような実在が決して出てこない理論を考え、実験で計測できる観測値の出現確率を求めるのが、量子力学です。#入門現代の量子力学 pic.twitter.com/DdanbKjDcy
— Masahiro Hotta (@hottaqu) October 15, 2021
「量子力学は情報理論である」という考え方は、そもそもはジョン・ウィーラーの晩年の思想であるIt From Bitが発端です。また「世界は量子情報からできている」と考える”It From Qbit”という現代的な考え方を端的に表しています。量子情報(Qbit)から全ての存在(It)が創発しているというものです。
— Masahiro Hotta (@hottaqu) October 15, 2021

Scientists with Fermilab recently announced the successful measurement of quantum spacetime at the smallest imaginable scale in known physics, known as the Planck length.
According to quantum mechanics, everything is continuously fluctuating on microscopic scales. However, when measuring quantum matter on the Planck-scale, scientists discovered that quantum spacetime is perfectly still in the smallest region possible.
まことにこの世界(アイオン)はYHWHエロヒムのレーマによりフレーム化されている(Heb 11:3)。そしてそれはYHWHのバイブレーションであり、またYHWHのファブリック(織物)なのだ。サイエンスは聖書の啓示に近づいている。
天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても
その響き(バイブレーション)は全地に/その言葉は世界の果てに向かう。-Ps 19:1-5YHWHは天を幕のように張り・・・Ps 104:2

TwitterでのHotta先生の記事は実に刺激に富む。いわゆる波動関数を物質波と結びつけて実在論的にとらえるのが主流であったが、先生は単なる確率分布、すなわち局所的実在性を有しない量子に関する情報を提示するだけであるとする。この局所的実在性を有しないという命題はかなり刺激的であり、私の知的興味がウズウズとしているところ。先生は今夏にでも新著を出されるようで、大いに期待している次第。
期待しております https://t.co/bNAoMiRPbu
— Luke Karasawa(唐沢治) (@Doctor_Luke) February 23, 2021
わたしもこのルートだ。 https://t.co/O5axYXypMo
— Luke Karasawa(唐沢治) (@Doctor_Luke) February 23, 2021
ベル不等式の破れは相関があることを示すだけで、何かの「つながり」を証明しないと理解してよいのだろうか?するとその相関は「何」によって担保されるのだろうか?局所実在は存在しないが、宇宙レベルでの「ひも付け」があるのか?これまでは波動関数を実在的にとらえ、その共有と理解してたのだが。 https://t.co/2ZvLKuAbBK
— Luke Karasawa(唐沢治) (@Doctor_Luke) February 23, 2021
自然科学、とりわけ物理学は、五感で把握できる事物や現象を(主に数学により)記述する体系であるが、その対象をいかにモデル化するか、もっと言えば人間のブレインのフレームに収めることができるか、これが本質である。中でも量子論はこれが実に混迷を極めるわけで、Hotta先生の主張はこれまでのパラダイムを崩すアプローチと言える。

ただし、これも言えるのだ。
物理学は精緻な物理法則を見出すが、それが存在する理由は知り得ない。進化論はなぜ自然界に進化を誘導する能力があるのか説明できない。つまりどちらも何も解明していないのだ。
— Luke Karasawa(唐沢治) (@Doctor_Luke) February 23, 2021

これは実にオモシロイ。ド・ブロイによれば物質は物質波であるという。その運動量pと波長λの関係式は
h はプランク定数というきわめて小さな値故、マクロでは λ は極めて小さい。つまり波動として観察することは困難なのだ。が、言えることは”存在”とは波動であること。つまりバイブレーションなのだ。
天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても
その響き(=バイブレーション)は全地に/その言葉は世界の果てに向かう。-詩編19:2-5

かつて東大図書館で東大教員の業績目録を見たことがある。竹内先生のはおもしろかった。専門の論文や書籍はほとんどない。受験参考書ばかり。若いころに地球振動論でラグランジュ賞を取ってしまったので、あとは付録の人生といった感じ。映画『日本沈没』に出演されたり、現役時代に引退記念の本まで書いてしまっていた。『大学への数学』の黒木先生とともに憧れの人でしたね。両者とも洒脱な自由人。トークに実に味がありました。



宇宙の大規模構造とニューロンネットワーク。どっちがどっちでしょう?

究極のリアリティとは情報。物理の最前線はわれわれがマインドと情報の相互作用に生きることを指摘する。つまりマトリックスだ。ここでフェイスとサイエンスが出会う。
フェイスによりわれわれはこの世界の有様がYHWHの言葉(レーマ)によってフレーム化されたことを知る。目に見えるものが見えているものから生じたのではないのだ。-ヘブル11:3(私訳)
このScientific Americanの記事は面白い。われわれが五感で実体化するものは情報であると。それはマインドと情報の相互作用の結果なのだ。
Matter is done away with and only information itself is taken to be ultimately real.
ここでフェイスとサイエンスが出会うのだ。

なんでYHWHエロヒムはひとりの神なのに、父、子、聖霊と三つなんだ!・・・で、白いキリスト教神学では、ペルソナにおいて区別されるが、同時・同在する本質においてひとつ(ホモウシオス)だ、とかって能書きを垂れる。
自然科学者的には 1 は i と π と √-1 に分解できるし(☞iPAIの覚醒)、電子は波動にして粒子だから(☞フェイスと量子力学)、別に当たり前のこと。人間のマインドが作ったマトリックスを固定化するからリクツが必要になるわけ(☞フェイスとサイエンス)。
サイエンスの理論は自然のあり方を定式化したモデル、つまり描像に過ぎないのだ。それはオツムの中に構成されたマトリックスである(☞科学と信仰)。だからそのフレームを逸脱する現象はいくらでも出現する。ある日、手の中の物を手放したら飛び上がることだってないとは言えないのだ。理論はこれまでの経験から導かれるもの、つまり全称命題ではないのだ(不完全帰納法)。
佐藤優氏も言っている、神学は虚学、声のデカいやつが勝つ幼稚な学問だとね。正統神学などはこうしてでっち上げあげられたと。でも、政治屋には役に立つらしいが。
あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。―John 5:39

π(3.14)の日に逝ったホーキング。彼はALSで苦しみつつ、常にその不条理に対する回答を求めていたのだ。こんな不条理を許す神は赦せないと。ゆえに彼は全生涯を神の否定に賭けたのだ。その結果が彼の物理学であった。
彼はこう語っている-
I regard the brain as a computer which will stop working when its components fail. There is no heaven or afterlife for broken down computers; that is a fairy story for people afraid of the dark.
私はブレインとはその部品が壊れる時に機能停止するコンピュータだと思う。だからコンピューターが壊れた後に天とか来世などは存在しない。それは闇を恐れる人々のおとぎ話である。
Spontaneous creation is the reason there is something rather than nothing, why the universe exists, why we exist. It is not necessary to invoke God to light the blue touch paper and set the universe going.”
瞬間的創造は無ではなく何かがあったこと、何故宇宙が存在し、何故われわれが存在するかの理由である。それは神を挑発して宇宙が存在するように仕向ける必要は必ずしもないのだ。
God is the name people give to the reason we are here. But I think that reason is the laws of physics rather than someone with whom one can have a personal relationship. An impersonal God.
神とは人々が自分の存在理由を得るための名称である。しかし、私はその理由とは個人的な関係を持つことができる何者かではなく、物理法則であると考える。それは人格を持たない神である。
これはスピノザの神。Michio Kaku博士も同じ。が、神が存在しなかったなら、あえて無神論者なども存在しないのだ。「俺はケバオなど信じない!」とかあえて主張する必要はないでしょう。
そしてもっとも重要なポイントは、「宇宙を生み出した緻密かつ美しい物理法則は何故存在するのか?」には物理学の体系内では答えられないのだ! ここに究極のメタ言語としての創造主を置く必要が出るわけ。最近ではサイエンスでも ID (Intelligent Design) なる存在を仮定しているわけ。誰かがデザインしたと。が、それでもなお、その誰かとは誰?には答えられない。こうして無限後退性の罠に嵌るのだ。続きは-

「フェイスはNOWだ」とつねに語っている。私たちの霊は御霊から生まれた(John 3:6)。それはエロヒムのいのちの霊であり、YHWHエロヒムはご自分の霊を分かち与えて下さったのだ。霊なる神は時空間を超えるお方。その方の霊をわれわれは分与されている。
神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。-1John 4:13
私たちのボディは神の神殿である。魂(知性・感情・意志)は霊と体の狭間にあって、神の言葉・指令か、肉体すなわち五感の情報か、どちらかを選んで、内的にアセスメントして、それを言葉や行動として表現する。かつてメッセでも語った。天の国籍を持つことは、天の会話に与ることである。
私という存在の本質は、肉体ではない。さらに魂でもない。霊である。外なる人は滅びるが、うちなる人は日々新たにされる(2Cor 4:16)。それは神のいのちそのもの、すなわちキリストご自身が住まわれるわれわれの霊である。そのキリストのマインドをわれわれは持っている(1Cor 2:16)。キリストのマインドは霊的なものであり、そのマインドが私たちのマインドに浸透する。ゆえにパウロは思いの霊において新たにされよ、という(Eph 4:23;邦語訳はいずれも誤訳)。キリストは今や肉体に束縛されることのないいのちを与える霊である(1Cor 15:45)。
かくして信仰という単語はまことに不適切であると何度も指摘しているとおりである。信じて、仰ぐ?ノー。それはピスティス。視力、聴力などの五感を超えた信力だ。シックスセンスなのだ。私たちの魂由来のものではない。五感の領域のものではない。肉のものではない。それは霊の領域のセンスであり、アビリティである。
しかも、イエスはこう言われる。神の信を持て、と(Mark 11:22)。さらに、私は死んで、もはや生きているのは私ではなく、キリストである。今、肉にあって生きている私は御子の信によって生きるのである(Gal 2:20)。はあ?私は死んだ。でも生きている?これは霊の領域の事実と五感の領域の事実を混同することによる混乱。
私たちの霊は私たち自身の本質であり、それは時空間を超える。時間と空間に縛られない。ゆえに私たちは霊においてはアブラハムやダビデ、新訳の弟子たち、そしてイエスご自身と交わることができる。神と交わるとはタイムを超えた世界の、スーパーナチュラルな現象なのだ。が、一方で肉にあって私は五感の領域に生きている。これは五感の経験だ。その五感の領域にキリストのマインド、神の愛という霊的サブスタンスが実体化される。
だから、霊なる神の甘い愛に浸ることが出来るし、聖霊の慰めにもあずかることが可能なのだ。ゆえにこのような内的経験はスーパーナチュラル。そもそもなんでキリストとともに私は死に、復活することができるわけ?もっと言えば、天地創世の時にすでに十字架も存在し、神のわざは完成されていたのだ。
地上に住む者で、天地創造の時から屠られていた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。-Rev 13:8[1] … Continue reading
もっとも、神の業は天地創造の時以来、既に出来上がっていたのです。-Heb 4:3
この霊的リアリティーを<今・ここに>現出するパワーがフェイスである。それはスーパーナチュラルなシックスセンスだ。キリスト教なる呪縛のマトリックスを離脱せよ!
いま、フェイスとは願われるサブスタンス、見ていない事の現出である。-Heb 11:1[2]この「事」についてVincentはこう指摘する:Of things (πραγμάτων)-Πρᾶγμα is, strictly, a thing done; an accomplished fact. It introduces a wider conception than … Continue reading
要するにタイムトラベルなのだ。かくして私たちの信は時間と空間を超える神的能力であり、さらに時間と空間を統治することができるのだ[3] … Continue reading。・・・と、これから先は私の著書『神の新創造-聖書に啓示された自然法則を超えるマインドのパワー』をお読みください。
References[+]
↑1 | 邦訳では「天地創造の時から、・・・その名が記されていない」として、名前の記載が天地創造の時にあるかのように訳されるが、句読点は不適切。「天地創造の時から屠られていた小羊」が正解である。 |
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↑2 | この「事」についてVincentはこう指摘する:Of things (πραγμάτων)-Πρᾶγμα is, strictly, a thing done; an accomplished fact. It introduces a wider conception than ἐλπιζομένων things hoped for; embracing not only future realities, but all that does not fall under the cognizance of the senses, whether past, present, or future. すなわち感覚でセンスされにないすべての成し遂げられた事実、過去・現在・未来によらず、とする。 |
↑3 | たとえば宇宙を見るとき、電磁波を観測するが、それは過去の世界。つまり宇宙には多元時空構造が展開しているのだ。その電磁波をマクスウェル方程式に基づいてコントロールする時、TVやスマホとして使うことができる。つまり電磁波を統治・支配しているのだ。霊的領域のサブスタンスも同じように、フェイスにより制御することが可能。すると五感の領域にそれが現出するわけ。このパワーがフェイス。エロヒムも同じように、自らのフェイスを語り出すことにより創造のわざをなされたのだ。 |

フェイスとサイエンス―Dr.Luke from Luke Osamu Karasawa on Vimeo.
これらは元々矛盾しない。創造主の創り上げた五感で感知できる自然の構造と法則を見出すのがサイエンス。霊的領域にタッチするのがフェイス。それはシックスセンス。サイエンスは記述するだけ、なぜ法則があるのか、なぜ世界が存在するのかには解答を与えない。現代物理学の最前線ではGodを認めざるを得ない状況になっている。

There is no ground for supposing that matter and energy existed before and were suddenly galvanized into action. It is simpler to postulate creation “ex nihilo”…Divine will constituting nature from nothingness.-Edmund Whittaker, Physicist
物質とエネルギーがすでに存在しており、ある瞬間に突如作用し始めたと仮定する根拠はまったくない。むしろ「無から」の創造を根本原理とするほうがシンプルである。・・・何か神聖な意志が無から自然界を生み出したのだ。-エドモンド・ウィッタカー(物理学者)
The chain of events leading to man commenced suddenly and sharply…at a definite moment in time, in a flash of energy and light. -Robert Jastrow, Astronomer
人類に導いた出来事の連鎖は突如かつ瞬時に始まった。・・・時間のある決定的瞬間において、エネルギーと光の放散の中にあって。-ロバート・ジャストロー(天文学者)
We can’t understand the universe in any clear way without the supernatural. -Allan Sandage, Cosmologist
われわれはスーパーナチュラルな存在を無視しては、宇宙を明確に理解することは不可能である。-アラン・サンデイジ(宇宙物理学者)
But you see, all this is pure mathematics and so the final resolution could be that God is a mathematician. And when you read the mind of God, we actually have a candidate for the mind of God. The mind of God we believe is cosmic music, the music of strings resonating through 11 dimensional hyperspace. That is the mind of God.-Michio Kaku,Theoretical Physist
お分かりのように、これは純粋数学であり、よって究極的結論は神とは数学者であると言えるだろう[1] Dr.Kakuの神はスピノザの神。肉体を取られた神ではない。。もし神のマインドが読めるとしても、われわれは神のマインドの候補を得るだけだ。われわれが信じている神のマインドは宇宙的な音楽であり、11次元の超空間をとして共鳴する弦のかなでるミュージックである[2] … Continue reading。これこそが神のマインドである。-ミチオ・カク(理論物理学者)

私もずっとフォローしているこのテーマ。いよいよだね。この記事は記念にCLIP。おお、ついにという感じ。かつては妄想だの、ペテンだの、詐欺だのと言われてきたこの技術。文化勲章受章者の荒田先生のナノパウダーに重水素を吹き込む方法もいずれだ[1]現在、なんとヘリウム製造機として特許申請。実質、核融合なのだが、そう書くと役所はパスしないのだ。これ、放射線がまったく出ない。石油利権の連中がもっとも恐れる技術のひとつである。ちなみに安保先生のガン理論も抗がん剤利権の連中にとっては都合が悪いわけ。世を動かす原動力が何か、よく分かりますね!

ここでもサイエンスは聖書をフォローする。フェイスはこのサブスタンスを変化・生成させる。するとなんの努力も力みを要らずに山が動く(⇒フェイスは霊のサブスタンスを変化・生成させる@YouTube)。
神の信を持て。よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。
そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。 ―Mark 11:22-24
