Utility

Calendar

< 2009.9 >
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
- - - - - - -

WORLD CLOCK

COUNTER

    Access.....
    Yesterday......
    Today.............

KF_SITE

FOR MEMBERS

KF_PODCAST

YOUTUBE ARCHIVE

OUR WORSHIP

TWITTER UPDATE

INSTAGRAM UPDATE

PRAY FOR ISRAEL

KINGDOM FAITH(UK)

NEW LIFE CHURCH(UK)

QRcode

BIBLE SEARCH

Entry Search

Recent Entry

Recent Comment

未承認
2017/08/07 18:42 未承認
Re:聖書をキリスト教から解放せよ!
2015/04/22 09:49 菊千代
Re:「当たり前」が崩れる時代
2015/04/20 07:42 Luke
Re:出版への状況
2015/04/20 07:41 Luke
Re:出版への状況
2015/04/19 21:55 toshi

Recent Trackback

PJ 高橋清隆氏の記事が出ていました。
2008/06/25 20:45 AAA植草一秀氏を応援するブログAAA
負のレガシー
2008/06/18 16:03 リチャードの日記
キリスト者とインターネット
2008/06/18 09:21 キリスト教 プロテスタント 聖書 信仰
キリスト者とインターネット
2008/06/18 09:12 キリスト教 プロテスタント 聖書 信仰
産声を上げたKFC、、、、、
2008/05/05 12:10 thelongstreamingully

タグ一覧

Link

Entry

トップ > 2009年09月03日

夏の終わりに(3)

知る人ぞ知る名曲-衛藤利恵の『この海へ』。

「人生の先に海がある、広く果てしない安らぎよ・・・」

夏の終わりに(2)

わが青春の1コマ、石川セリの『八月の濡れた砂』-やや『太陽がいっぱい』を髣髴とする切ないギターによる名曲。

分裂病末期ステージへ

しばらく振りの職場で、いろいろな先生たちと意見交換。だいたい私の見方と同じで、

・民主党は官僚制度を打破するどころか、逆に返り討ちに会うだろう
・民主党はアメリカの管理から自由になれない、もし小沢氏が真に試みると角栄同様に刺されるだろう
・今のままの風に吹かれる選挙のあり方は疑問
・自民も民主もネジレがあり、選択肢として不適である

要するに、ニッポンの立ち位置を明確にするために、いったんガラガラポンして、アメリカ型のアイデンティティの明確な二大政党に組み直すべきという訳。例えば今の自民の左は社民よりもはるかに左なわけで、民主も実に右から左まで、統一性の欠如は著しい。だから、こちらは政党としては選びようがないのだ。前から言っているとおり、あまりにも選択肢がない。ちょうど正解のない4択問題を解かされるようなものだ。今週のメッセージで、「政党選択」ではなく、「器選択」をすべきだと語ったが、その理由はお分かりいただけると思う。ちなみにわが選挙区では器自体も選択のしようがなかったが・・・。官僚たちもその辺りをよく知っており、その割れ目に楔を打ち込んでくるであろう。かくして小沢氏にぜひこのガラガラポンの作業を行ってもらいたいのだ。

今やすべてが意味を喪失し、選挙もメディアが作り上げた"像"をなぞるだけで、ヴァーチャル化している。同様にニッポンキリスト教もガラガラポンの時代に入っているし(いろいろなこのギョウカイの改革などは無意味なのだ)、一度どちらもすべからく焼け野原となる必要があろう。このギョウカイでもすでに"クリスチャン信仰"自体が意味を喪失しつつあり、その中で次々に作られるヴァーチャルな現象を追っかけてきたものの、それすらも飽きられ、疲弊し、意味を喪失し、一種のアパシーに落ち込んでいる。その中で持て余したエネルギーを牧師の悪行を暴くことや、正義の旗印の下、桃太郎の鬼退治ならぬカルトパージに燃える向きも増加している。これも典型的な分裂病的病理現象であり、いずれその不毛性の中で燃え尽き、アパシーへと落ち込むであろう。

これまでのニッポンはすべて外圧によって焼け野原化され、それまでの価値観を全否定して、コロッと体制を変えて、ここまできたのだが、それはもう通じない。次の価値観、あるいはパラダイムが見えないからだ。この「全か・無か」の思考パタンは強迫性を帯びているニッポン人の特徴で、先の小泉選挙も、今般もまさにこの病理現象なのだ。私は10年近く前からこう言っている、「ニッポンはこの強迫性により、振幅が大きく振れ、そのうちに疲弊して、分裂病の陰性症状化するだろう」と。どうもそろそろその最終局面に入りつつあるように感じている。

しかしこのような疲弊し廃墟化する社会と教界において、みずみずしい感受性を保ちえる人は幸いだ。

参考:
「君が代・日の丸」に思う ―分裂した自我の背後に蠢く者―
「意味」の病理-共有なき社会での歪んだ「共有」-
「断裂」の病理-人間性疎外の究極にあるもの-
学生の人間関係に思う―"ウザイ"の心理―
論理と美しい情緒

Access: /Yesterday: /Today: