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トップ > 2010年01月21日

江川の悔恨の手紙に想う

あの1979年の空白の一日。今でも覚えている。あくまでも巨人に入らんとした江川。また江川を欲しかった巨人。どちらもどう見てもやり方が姑息だった。あれで江川はダーティーヒーローのイメージができたわけだが、彼の心の中にも一生消え去らないシミができた、あるいはトゲが刺さったのだ。

今回の小林繁の葬儀においても彼は悔恨の手紙を婦人にしたためたそうだ(→記事)。しかし果たしてこれで彼の心のシミは消え去るのだろうか・・・・。人は自分の欲するものをあくまでも手に入れるとき、もっと大事な何かを失ってしまうのだ。主も言われた、「自分のいのち(魂)を得ようとすれば、それを失い。自分のいのち(魂)を捨てるならば、それを得る」と。これも逃れることのできない霊的法則だ。

ちなみにアーサー・ホーランドがイイ事を言っている

捨て身
裸であったも恥ずかしくない人は
蓄える人ではなく
削る、捨てる、与える人

またMr.Sugarがシンクロニシティ的に「神に勝つ人生と神に負ける人生」と題した味わいの深い記事を書いておられる。

多くの場合私たちキリスト者は神に打ち勝つ人生を送ります。
神はしかし、私達に抵抗し、私達の極めて深いところで私達に語りかけておられない、のではないのです。

所がこの時代、私達の人格やプライドをことのほか尊重される神は
私の小さな議論にたやすく打ち負かされるように見えます。 
偉大な神が私の小さな「へ理屈」にさえ屈服させられるかのようです。

ですから、今の時代、私たちが「神との勝負」に勝つのはそんなに難しいことではありません。
そのようにして、神は「一旦」私から退かれるのです。
これがキリスト者が神に勝つ人生です。

ところで、私たちにとって 神への敗北は簡単ではありません。
何故でしょう。何故なら私が神に打ち負かされることは即ち私が「人々の前に」極めて「具体的な」敗北と惨めさを露呈することになるからです。それはまるで人々のみならず全宇宙が私の失敗と駄目さかげん」をあざ笑うかのようです。

しかし私はこのたび、二人の神に打ち負かされた人を見ることが出来ました。
その中の一人は あのナザレのイエスです。
彼はある時に至り「急転直下」彼に期待をかけていた彼の弟子、また母や弟妹達、また故郷ナザレの人達にとって何の達成もない惨めこの上ない人生の失敗者となりました。

そしてまたその時ユダヤ人、ローマ人、ギリシャ人(即ち全人類)は何の理由もなく彼を憎みました。また神によってさえ彼の恥は全宇宙にさらされたのです。私たちが聖画に見る彼の「腰の布」さえも或いは無かったのかも知れません。

しかし今日、神が私たちの内側にかすかに聞こえる御声で常に語られることは私たちがただこのイエスの足跡に踏み従うことです。
今この時代の時間の中で人々の怒号とあざけりの狭き道をイエスと同じ恥辱の十字架を背負って一歩一歩進み行く決心をすることです。そうすれば間もなく「人々が」私を十字架に付ける結果となるでしょう。

完全な自由意志が神によって私たちに許されているこの時代、自ら進んで「神の細き声」に打ち負かされること。これこそが人がサタンに打ち勝つ唯一の方法です。

「彼はさげすまれ、のけ者にされた・・・神は、私達の総ての咎を彼に負わせた」(イザヤ53章)

現代のクリスチャンが霊的に貧しいのは、自らの力で神に勝利してしまうからなのだ。神に敗北する道、すなわち十字架の道。自らを捨てる道。実はこの道は不思議な喜びと安息に満たされる道なのだ。ここには真の祝福がある。

「時の運命」に自ら勝った江川の今後は果たしてどうなのであろうか。やや気にかかっている。

CLIP:ビンラディンの息子

ファイル 1233-1.jpg

この写真、誰だと思います?・・・かのビンラディンの息子オマル・ビンラディンだそうです。彼はサウジにて金属スクラップの売買で生計を立てているそうです。彼自身は武力によるテロ活動には反対で、自分は平和の使者になりたいと言っているのですね。しかしけっこう渋みのあるイイ男だとは思いませんか?

元記事

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