Akiko...
- 2011/12/10 22:35
- Category: 音楽
- Tag: Jazz Akiko
...moody and mellow...
Dr.Luke的日々のココロ
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プールとサウナは木曜日に移ったので、午前はマッタリと。午後からは映画。『源氏物語 千年の謎』。
叶わぬ愛が、その物語を綴らせた─ミステリアスで華麗!未曾有の平安王朝絵巻
平安王朝の時代。才女との誉れ高い紫式部は、時の権力者、藤原道長の娘、彰子の女房として宮中に仕えていた。娘を中宮にし、権力を振るいたい道長は、帝の心が娘に向くよう、紫式部に物語を書くよう命じる。式部が綴る「源氏物語」の主人公・光源氏は輝く美貌と雅やかさで、宮中の女性を夢中にさせる。物語は見事、帝の心を掴み、晴れて彰子は帝の后となる。道長の野望は叶った。しかし、それでも式部は物語を書き続けるのだった。
当初は命じられて書き始めた物語だったが、その目的を達成して、なお紫式部は書き続ける。何故?そう、彼女の秘められた道長に対する愛と嫉妬が、現実と虚構の境目を失わせるのだ。かくして彼女自身の内面が作品の登場人物に投影される。その虚構の人物があたかも生霊として、彼女を蝕むのだ。このことに気がついた陰陽道の安倍清明。時空間を超えた陰陽道士と生霊との戦いに入る。
・・・というわけで、ニッポン版ハリーポッター。前に『ミラー』を紹介したが、鏡の向こうの"事実"が、現実に事実となるという話。しかし、これはあながちファンタジーではない。現代がまさにそうなのだから。何度も指摘しているとおり、霊的領域での相克がそのままに現実に現出するのが現在の状況だ。イデオロギーや思想、すなわち人間の浅知恵を超えた、まさに『聖書物語 六千年の謎』が展開しているのだから。霊的存在の思い・感情・意志が人間の魂(思い・感情・意志)において再現される。これが諸々の社会現象として私たちが見るところなのだ。このゆえに魂は、「鬼が云う」と書かれる。ユダはここで自らの破滅を招いたのだ。
夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが-John 13:2
私たちはこのようなファンタジーなどには十分に注意する必要がある。私たちの魂の思いを敵に支配されるならば、容易に敵の道具とされるのだ。故に主は言われた:
では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。
これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。-Eph 6:14-18
そこで十字架。十字架にあって、御霊は御言葉を用いて霊と魂を切り分ける。この切断あるいは分離こそ、私たちをあらゆる敵の欺瞞から守るのだ。しかし、ニッポンキリスト教はもちろんこと、世界的にも、ヒューマニズムなどで切断を回避するキリスト教は敵の欺きによって背教に落ち、自ら神の敵となる。そしてあの者が出現するのだ(2Thes 2:3)。これも歴史の必然。私たちはそれを目撃しつつあるのだ。
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。-Heb 4:12-13
イスラエルが来たる1月に、核戦争に備えた本格的演習を行う。そのコード名は"Dark Cloud(暗い雲)"。
Israel will hold a civil defense drill that for the first time will simulate the response to an attack by a dirty bomb.
In January, a “Dark Cloud” will descend on northern Israel. The name for a civil defense exercise, Dark Cloud will be Israel’s first simulated response to a radioactive dispersal device attack, the official term for what is more commonly known as a “dirty bomb.”
ガザからのロケットによる集中放火がイスラエル南部にて。しかしミサイル防衛システム「鉄のカーテン」が功を奏している。
シリアとトルコの国境付近にて緊張が増大。
中東はまさに一触即発。ニッポンがルーズベルトの策により太平洋戦争に引きずり込まれたように、一旦false flagが上がれば、一発で戦端は切られ、大規模戦争に入るだろう。すでにイスラエルをリトマス試験紙とした色分けはなされている。後はイグニッション的事件だけ。ロシアも反プーチンデモでかえって国家権力が強化される。アメリカでは既にFEMAキャンプなどの対テロ・ストラテジーが稼働し出したようだ。
民主欺瞞などの欺瞞によってすでに大衆は自らを追い詰めている。かくして着々と時空間の中で歴史の必然が成就するのだ。予言とは未来のことを語ること。対して預言とはすでに終わった未来を現在へと逆算して語ること。私は著書の中でも「霊的逆算」と呼んでいるが、黙示録は全て過去形か完了形で書かれている。ヨハネはすべてを見てしまったのだ。霊の中で。私たちは彼の見たものを、時空間の中で追体験しているに過ぎない。私たちも霊の中にあるとき、それを見るであろう。私自身もまだ部分的であるが、見えるのだ。見たことを語る、これが預言。そしてそれは必ず成就する。何故?
わたしは主の日に霊*1の中にいた-Rev 1:10
「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。」わたしは、たちまち霊の中に入った。-Rev 4:2-3
*1:原語には定冠詞はない。
いやはや、井口博士ではないが、まことに風雲急を告げる時代となってしまった。地上も数々のしるしが観察されるが、地球上空がすごいことになっているようだ。
まことに
大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現われます。-Luke 21:11
追記:これってオカシくない?人類は月に行っているのか、と改めて。
不思議だ、実に不思議だ。いつも再建主義の富井氏の発言。こう言われる:
律法に関する現在のクリスチャンの間違いは、イエスが律法を成就されたので、もはやクリスチャンは律法に縛られないというものである。
イエスは、律法について次の2つのことを行われた。
(1)われわれ神の民の代わりに律法の呪いを身代りに受けてくださった。
(2)律法を完全に守り、われわれ神の民の代わりに永遠の命を受けられた。この2つの功績によって、われわれは、
(1)律法の呪いから解放された。
(2)律法を守らずとも永遠の命を受けることができる。われわれは、もはや律法によって刑罰を受けることはないし、律法を破ったからといって永遠の命を受け損なうことはない。
われわれは、律法の呪いから完全に解放された。
しかし、われわれは、神の民の規則としての律法から解放されていない。
われわれは、神の国の国民であり、それゆえ、国民としての義務である法律を守らねばならない。
それが、律法である。
では、御言葉は何と告げるか?
それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか。―私は律法を知っている人々に言っているのです。―
・・・
私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。
・・・
しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され*1、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。-Rom 7:1-6
罪を犯すと死、そして死んだ者は律法から解かれている。また祭司制度との関係ではこう言われている:
さて、もしレビ系の祭司職によって完全に到達できたのだったら、―民はそれを基礎として律法を与えられたのです。―それ以上何の必要があって、アロンの位でなく、メルキゼデクの位に等しいと呼ばれる他の祭司が立てられたのでしょうか。
祭司職が変われば、律法*2も必ず変わらなければなりませんが、私たちが今まで論じて来たその方は、祭壇に仕える者を出したことのない別の部族に属しておられるのです。
私たちの主が、ユダ族から出られたことは明らかですが、モーセは、この部族については、祭司に関することを何も述べていません。もしメルキゼデクに等しい、別の祭司が立てられるのなら、以上のことは、いよいよ明らかになります。その祭司は、肉についての戒めである律法にはよらないで、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。この方については、こうあかしされています。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」 一方で、前の戒めは、弱く無益なために、廃止されましたが、―律法は何事も全うしなかったのです。―他方で、さらにすぐれた希望が導き入れられました。私たちはこれによって神に近づくのです。-Heb 7:11-19
ポイントはレビ系祭司制度とメルキゼデク系祭司制度。前者は石に書かれた律法によるが、後者は心に書かれた律法、すなわちいのちの御霊の法則による。最初のものは何も成し得なかったので廃止されたが、さらにすぐれた新しい希望が導入された。この新しいnomosに従う、というより、乗るならば、自動的に律法は満たされる。
なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。-Rom 8:2-4
富井氏とDr.Lukeのシェーマ:
不思議だ、あれだけ御言葉を強調されながら、なぜか、彼の口からいのちの御霊の法則を聞いたことがないのだから・・・。この部分がそっくりベールに覆われてしまっているようだ。私たちは、今の経綸では、律法に従うことに対して責任を負うのではなく、御霊に従うことに対して負っているのだ(Gal 5:16)。
そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。-2Cor 4:4
この現象は未信者だけに起きるのではない。まことに今日のニッポンキリスト教がそのことを証明している。この点富井氏の言われる懸念を私も抱いている:
イエスは、「この岩の上に教会を建てる」と言われた。
「この岩」とは、ペテロのことではなく、ペテロの「信仰」である。
ペテロがイエスをキリストと告白したその信仰こそが教会の土台なのである。
だから、教会にとって信仰内容は極めて重要である。このまま行けば教会は滅亡である。
全国だけではなく、全世界からクリスチャンが消えるだろう。
プレミレとポストミレ。律法の行方に関する理解の差が生むこのふたつの立場。この信仰内容の違いは致命的に大きい。前者はイエスの再臨後に千年期が到来するとし、後者はすでに現在が千年期であり(黙示録19章まではすでに成就していると言う)、全世界が福音化されて後、イエスが再臨するとする。論争してもまったく無意味であるが、時代がどちらが真理であるかを証明する様相を呈している。この意味で、初臨のイエスを目撃した時代と同様に、再臨のイエスを目撃するかも知れない私たちも、実に特権的な時代に生きていると言えるのだ。
追記:アメリカにおいてはメインラインはすでに単なる社交サロンに堕しているが(ニッポンキリスト教も同じ)、真の霊的いのちを持つ教会は地下教会となるであろう、との記事。KFCなどはまさにニッポンキリスト教非公認かつ異端・カルト教会として、中国と同様に地下教会的にかろうじて存在しているわけだが・・・・
*1:原語はkatargeō、すなわちアイドリング状態のこと。車のギアが外れる状態だ。私たちは律法の要求から(私がこよなく好む)アイドリング状態にあるのだ。
*2:原語では、nomos=法則。