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Joel Osteenの魅力

ここでも何度か紹介した彼。自己啓発だとか、成功哲学だとか、いろいろ批判はある中で、2万人をこの簡素なステージとルックスで惹きつけるメッセージはやはりすごいものがある*1。しかも淡々と立板に水的な原稿を読むかのような語り口、いわゆるウケねらいも、聴衆に対する媚びもない。英語は教科書のようにクリア。矢沢はあの派手なステージで1万人を満足させるが、この簡素さのコントラストにある意味、感動する。

*1:霊的にどうのこうのは置いておく。

幸いな魂

主よ、わが心はおごらず、わが目は高ぶらず、わたしはわが力の及ばない大いなる事とくすしきわざとに関係いたしません。
かえって、乳離れしたみどりごが、その母のふところに安らかにあるように、わたしはわが魂を静め、かつ安らかにしました。わが魂は乳離れしたみどりごのように、安らかです。-Ps 131:2-3

十字架教の罠

「自我を砕きぃ~」、「自己を十字架につけてぇ~」と叫ぶ向きがニッポンキリスト教によく見られる。かくしてクルシチャンが大量に生まれる。何度も言っているが、自分で自分を十字架につけることなどできるわけがない!彼らは自分が何を言っているか分かっていないのだ。主は言われた、自分の十字架を取って私に従え。魂を救おうとする者は失い、失う者は得る、と(Luke 9:23-24)。ポイントは、私たちは魂を得るのだ!魂が栄えるために十字架を取るのだ。

Dr.Kさんがニーの『キリスト者の標準』を詳細に検討されている。その中でこう指摘されている

 キリスト者の間の考え方にある種の混乱がある。

主の十字架の価値が分かった上で生じる混乱だ。

くどいようだが、再度ローマ6:6に注目したい。

ローマ6:6b,c
本当に分かっているのか、このことを
我々の古い人は主とともに十字架に付けられた
罪の体が廃棄されるように
もはや我々が罪に縛られることがないように
(Nee訳+意訳)

この聖句において次のことが分かる。

あの出来事を、過去の、まさにあの場所へと回帰させていく動詞時制となっている。

しかも、最初で最後、ただ一回のみのイベント。

事は必ず完了し、なされないままでは終わらない。

我々の古い人は、ただの一度、そして永遠に十字架に付けられてしまった。

よって、二度と十字架に付けられることはない。

これが知識であり知恵だ。

この一回限りの十字架でアダムにある私たちは終わったのだ!そしてキリストと共に死に、復活した。今や、新しい創造ニュー・クリチャーとされている。これが我々の真のアイデンティティー。罪ゆるされた罪人ではない!新しい人類なのだ*1

十字架はこの新しいアイデンティティーに反する要素を処理する場。特にマインドが鍵になる。私たちのマインドは霊と魂の接点であると繰り返しているが、偽りを信じ込まされているマインドは信仰を阻害する。そして大脳辺縁系の諸々の欲望や感情を生み出す"自分"を自分と思い込んで、それをなんとか改善したり、聖化しようと務める。何度も言うが、それは幻想。何度も何度も自分はまだだ、まだ足りない、まだきよくない、まだ忍耐がない、まだ・・・・、と果てしなくグルグル周りする*2。人生はそんな葛藤に明け暮れるほど長くない。

新しいニュークリチャーとしての私に反するマインドの思いをまず捨てること。御言葉に矛盾する思いを取るのか、真理を取るのか。その選択の場が私の負うべき十字架なのだ。前者を選べば、大脳辺縁系からエネルギー(リビドー)が私たちの魂をトライブ(駆動)する。それは不安・緊張・焦りなど死の感覚に満ちる。後者を選べば、御霊のエネルギーが魂をドライブする。それはいのちと平安だ。魂は思い・感情・意志が健やかに活動して、文字通り繁栄する。そのときあらゆることで繁栄し、健やかであることができるのだ。十字架教から解放されよ!

愛する者よ。あなたのたましいが繁栄していると同じく、あなたがすべてのことに繁栄し、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。-3John 1:2

*1:もちろん体が旧創造に属するから時にいろいろな罪は犯す。しかしアイデンティティーは罪人ではないのだ。New Creatureが有する権威と能力のポテンシャルはすごいものがあるのだ。make sense?
*2:大抵は聖書の言葉を用いてぐるぐる周りを正当化するが、彼らのマインドはしばしば自作自演の葛藤にはまっているだけだ。この無駄な努力をやめることが実は十字架なのだ。十字架は魂のレストの場だ。

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