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日々キリストにありて

ファイル 4858-1.gif


ニール・アンダーソンによる黙想


 また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません(ヤコブ1:22)。

 しばしば牧師や宣教師たちが罪を指摘しつつ、自分がそれを犯しているケースを聞きます。全国的に有名なクリスチャンの理想的人物が、隠された不道徳な生活を暴露されたりもしています。私たち神の言葉を与っている者たちは、まずこのことを最優先する必要があります。私たちはメッセージを準備するときには神のみ前で膝をかがめ、「神よ、この御言葉は私の生活において実際となっているでしょうか」と問うのです。そうでなければ、聴衆に対して、「私はこの点で模範でありたいと願いますが、まだ成長過程にあるのです」と言うべきでしょう。御言葉が自分にとって実際となっていないのにそれを宣言することは偽りを語ることです。
 御言葉を受け取る私たち自身もそれを行わなければ、自己欺瞞を犯すことになります。私たちは説教や講義を聴いて、「わお、なんという偉大な真理だ!」と言って、それを自分で実行したり、生活に適用することなく人と分かち合うのです。ヤコブは御言葉を聞いて行わない者は自分を欺いていると言います。
 私たちはどうして自分が御言葉にふさわしくない事実を認めることができないのでしょうか?それは私たちが完全癖コンプレックスを持っているからです。私たちは自分が完全であり、それ以下であってはならないと感じているのです。しかし、私たちは模範にはなれません。なぜなら私たちは不完全だからです。私たちは成長の模範となれるのです。私たちの周りの人々は私たちが成長過程にある存在だと認める必要があります。私たちは成功とともに、失敗もどのように処理するかを彼らに示すのです。私たちがクリスチャン・コミュニティにおいてこのように振舞うならば、敵に足がかりを与える可能性を著しく低くすることでしょう。

 主よ、私があなたと御言葉にあって成長することよりも、地的な完全を求めてしまうことをゆるしてください。今日、私があなたのいのちにより成長することの模範を示せますように。

※このシリーズは1月の分にて休載いたします。

TODAY'S CELEBRATION 【Apr 12, 2015】

UPしました。

●タイトル:メディテーションによるマインドのパワー

●聖書箇所:アモス3:3;創世記11:6;ヨシュア1:7など

●4月19日のセレブ:

 ・場所:横浜技能文化会館(特別会議室)
 ・時間:1300-1700
 ・Web:Kingdom Fellowship®

神をブロマイド化する罠

クリスチャンの間でよく行われる証。これがしばしば罠になる。いわく、神はこれこれの方で、私があれこれの時にこうしてくださった。このテーマはこうこうで、これこれだ・・・。こうして神を2D化してしまうのだ。

かつてここで紹介したウォッチマン・ニーの黙想にもあったが、救いの時、これこれの御言葉であれこれの経験をした、云々。これが罠になると。ただ一回性の神と御言葉との邂逅を写真のように現像して焼き付けてしまうのだ。そして他者はその印画紙の像を見て、神を知ったツモリになる。ちょうどアイドルのブロマイドのようなものだ。

私がニーを評価している理由は、人間の成り立ちや霊と魂の関わりなど、ちょうど霊的な解剖学や生理学を提示しているだけだから。その後は自分で経験せよ、と。彼が経験した神を人に提示することはほとんどない。まして後半の20年は幽閉されており、いかなる神との関係を得ていたかはまったく不明。神と彼の間のみで共有されているだけ。

この意味で私は御言葉の解き明かしとか霊的意味の解説などに対しては、最近は特に懐疑的になっているのだ。それはブロマイドを人に売るようなもの。その人がブロマイドを見て、本人を知ったツモリになる罠があるのだ。もちろん、われわれは限られているから、個人で神のすべてを知ることはできない。が、神がどのような方であるか、それを味わい、経験するのは、あくまでも個人の問題である。私たちは神の前の単独者であるべきだ。

自分が知っている神はブロマイドのそれか、直接のそれか。絶えず自問自答する必要があろう。ブロマイドを100枚持つよりも、神の目をひと目でも直接見ることの方が重大なのだ。神は私に対してこの物理的時空間に直接に介入されるお方。それ自体がスーパーナチュラルな現象なのだ。

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