肉(五感)ではなく霊によりキリストを知る
2019-04-26
この記事はいかにもモスレムらしい。彼らは肉によって生み出され、拒絶されたイシマエルの子孫。つねに被拒絶感を抱いている。ゆえにジーザスはパレスチナ人であるとして、その感覚を補償しようとするのだ。
☞‘Jesus was a Palestinian’ Platform; Islam’s Plot to Rewrite World History
一方の白いキリスト教のジーザス像は金髪で青い目。これもフェイク。例えば上のジーザス像、イケメン・ジーザス。これはフェイクの典型。そもそもパウロはこう言っている:
それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。-2コリント5:16
五感で知るのではない、霊で知るのだ。なぜなら-
最初のアダムは生きる魂とされたが、最後のアダム(=キリスト)は命を与える霊となった。-1コリント15:45
そのキリストは聖霊により内住される。聖霊は自分を証しされない(John 16:13-14)。ちょうどOSのような存在である。「聖霊様の油注ぎ~」とかやる人々は聖霊を知らない。
内なる塗油がすべてのことを教える。-1ヨハネ2:27(岩波訳)
これはクリスマ、注ぎの油ではない!塗り油だ。聖霊派の聖霊知らず。御言葉に反することを平気で語る人々。ついには野鳥の羽を天使の羽根とかやり出す始末。極私的にはとても理解しがたい。
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