聖書の啓示する地政学的光景とキリスト教の末路

しかし、人の子が来るとき、地上に信が見られるであろうか?-Luke 18:8

徳川斉昭の教育係水戸学(朱子学系)の巨人金沢正志斎のことば:

神武天皇に始まり、崇神天皇が広めた不朽の教えに従い、東照宮(家康)の大業を継承し、世界万国の苦難を救い、西夷の邪教を存在せしめず、日本の赤子(人民)が永久に外国の欺瞞を受けることなきようにする。

茂木誠著:日本思想史マトリックス

前半はともかく、「世界万国」以降の文言はまさにそのとおりである。「西夷の邪教」とは帝国主義をバックにおいたイエズス会を筆頭にした白いキリスト教であり、その欺瞞を江戸時代(以前も)の彼らは見抜いていたのだ。これこそ現代のグローバリストたちであり、啓示録6章の第一の封印、白い馬に乗るものの正体である。

見よ、白い馬が現れ、乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った。-Rev 6:2

ここで矢を持っていないことに注意。つまりそれはすでに放たれているのだ。ゼカリヤ書と照合してみると-

白い馬は西の方へ出て行き・・・-Zech 6:6

エルサレムから見て西とは地中海&西欧世界であり、さらにその先に北米大陸がある。帝国主義と白いキリスト教の巣窟である。この地政学的状況はノアの預言と対照すれば意味は明瞭である-

神がヤフェト(白人の祖)の土地を広げ、セム(ユダヤ人の祖)の天幕(ユダヤ・キリスト教の影響)に住まわせカナン(セムの子、黒人の祖)はその奴隷となれ・・・。-Gen 9:27

「からこころ」を否定し「やまとこころ」に回帰すべく、無理やり開国させられた(政治的去勢)明治政府は神仏分離令を出して神仏習合を禁じ、天皇を掲げた日本古来の神道と外来の仏教を切り離した。かくして富国強兵の号令の下、一丸となって国家神道を掲げ[1]国家神道の幹たる「現人神天皇」論は伊藤博文などが西欧の「受肉の神」論を真似て組織したと言われている。、八紘一宇(世界が仲良くすること)を旗印とし、まずは大東亜共栄圏を建設すべく、結果としては西欧の帝国主義のマネをしていくことになる。この延長線上に原爆があったわけだ(軍事的去勢)。いくらかの成果と言えば、アジアが西欧の植民地から脱し、独立することができた点だ。

しかしアジアの英雄たるはずの日本は去勢されてニッポンへと堕し、戦後は「カネこそすべて」と叫んで高度成長したものの、バブル崩壊で経済的に叩きのめされ(経済的去勢)、アメリカの属国、否、植民地とされているのが原状だ。つまりその大義やよし、しかし創世記9:27の預言の霊的影響力を脱することは天皇裕仁にも戦艦大和にもできなかったのだ。

世界では共産主義革命の、特に世界革命を狙ったトロツキーの残党がグローバリスト、DS、あるいはネオコンとして化け、PCだSDGsだ人権だと、一見非暴力的にもっともらしいスローガンにより世界統一政府樹立(NWO)を目論んでいる。最近ではWHOによる保険医療からの圧力も強まっている。その中核である「国連」なる訳語が不適、直訳は「連合国」、つまりWW2の戦勝国である。ニッポン人はナイーブにも「国連はいいもん」と刷り込まれている。

白いキリスト教はすでにこの流れに組み込まれている[2]キリストとキリスト教は別物である。聖書もキリスト教の経典などではない。これをごっちゃにするとニーチェのように狂うのだ。。というか、それがその流れを作ったと言える。日本人が白いキリスト教を忌避したのはまさに直感的にその動機を見抜いていたのであり、今もなおその「いかがわしさ」を感知しているゆえに、ニッポンキ業界のボクシたちが切望するカンコクなどのような「リバイバル」は起きない。イエシュアを個人的に受け入れている私も同様の「いかがわしさ」を感じていることはすでに何度も指摘している通りだ。リバイバルなどは幻想であるとはっきり言っておく。(そもそも何がリバイバルするわけ?)

すなわち、白いキリスト教の根底にある動機はつぎの通りだ。ボクシたち、あなたがたには反論は絶対できまい。

彼らは、『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った。-Gen 11:

コロナでこの塔が崩されつつあるし、教団や自分の教会の中に羊を囲い込むことはすでにできない時代だ。ぼくのメッセはかつては有名どころの教会(複数)でもテープがダビングされてこっそりと回されていたが、今やYouTubeやPodcastで誰でもアクセスできる。書籍やDVDなども自由に出版できる。あるボクシがつぶやいていた、最近は信徒さんが勝手に他の先生たちのメッセを聴くので牧会がやりにくくなった、と。アホか。それが時代の流れ、主はこう言われる:

牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。-Eze 34:12

つまりYHWHご自身が直接に養い育ててくださるのだ。師はただおひとり、他に師を名乗る者はイエシュアが憎みかつ戦うとまで言われる(Rev 2:6;15-16)。これが牧師たちの運命である。

牧者たちよ、嘆き叫べ。群れを率いる者らよ、灰をその身にかぶれ。お前たちが屠られるときが満ちた。お前たちは貴い器のように砕かれて倒れる。-Jer 35:34

バベルの塔の延長にあるバビロンの捕囚からセコンド・エクソダスする時代である!

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1 国家神道の幹たる「現人神天皇」論は伊藤博文などが西欧の「受肉の神」論を真似て組織したと言われている。
2 キリストとキリスト教は別物である。聖書もキリスト教の経典などではない。これをごっちゃにするとニーチェのように狂うのだ。

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