病気のルーツ
- 2015/05/25 22:16
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
これは神ではない。罪と死の力を持つ者からだ。私たちを砕くために神が病気を送るとか、私たちの人格を造り変えるために病気にならせるとか、病気の中で私たちを鍛えるとか・・・。下の無神経なしたり顔のコメントから分かるとおり、宗教の霊はこういった考え方をする。根拠はヨブ記だ。ヨブは自分を正しいと主張し続け、自分の正当性を訴えた。が、最後に神の峻厳に触れ、自分を退けて、塵灰をかぶって悔い改めた。そしてありがたくも見当はずれの助言をしてくれた友人たちのために祈ると、神は祝福を二倍にされた。宗教の霊はヨブの経験を私たちにそのまま適用するのだ。
が、大切な点は、これは十字架の前の事件であること。今やキリストにある者は新しく造られた者、新創造なのだ。ヨブとはまったく違う。そのためにイエスが十字架で砕かれてくださったのだ!十字架の適用についても言えるが、すでにキリストとともに復活した新しい創造に対して十字架を適用するのは見当はずれだ。私たちがそれぞれの十字架を負うのは、古い魂の、特にマインドが新しいスーパーナチュラルな領域の法則や資産を経験することを妨げるからだ。
イエスの十字架を見るとき、私たちは神の愛を知る。しかしイエスはいつまでも十字架についてはいなかったであろう!彼は復活したのだ。イエスの復活は神の力、ドゥナミスを見ることができる。このデュナミスによって生きることのために、十字架が必要なのだ。それは生まれつきの魂のエネルギーを死に渡すため。十字架教から解かれよ!復活の力を味わえ!パウロはそう祈ってくれているのだ。造り変えは前にも書いたが、栄光の中で行われるのだ。三浦綾子の霊や宗教の霊から離れよ!神が私たちに願われるのはドミニオン、統治だ。病気を、貧困を、困難を、治めよ!神の国はいのちと統治。宗教の霊はもっともらしい聖書の解き明かしや教えによって狡猾にこれを阻害するのだ。
「地を従わせよ!」-この神の命令の意味を知る必要がある。(ここで再建主義は勘違いをしているのだが・・・)
じゅんこ
こんにちは。PCからは諦めました。
以前通っていた教会にとても親切にしてくださった方がいて、自身の経験で過去に病気で病院療養していたことを「神様が私にゆっくり休みなさいとその時間をくれた」と彼女は言ってましたが、その頃信仰を持ったばかりの私は純粋に"それって何か変だな…"と感じたのを覚えてます。
つい、その親切にしてくれる人に同情してしまうと罠に嵌まってしまいますが(親切が悪い訳じゃないです)Lukeさんも言われましたが、聖書に書かれてあるイエスは同情出来る方ではあるけど、憐れんでそこから脱出させて下さる方ですよね。お互いの傷の舐めあいなどはさせませんよね。
主の力がどんなものであるのか、初めに純粋に信じたときの、あのストンとしてポッカリとした感覚に戻りつつあります。