霊的領域の介入
- 2015/06/15 15:03
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
Salt氏の言についてはまた機会を改めた方がよいと思い、一度保留する。見えない世界に目を留めようと言っているので、時を待ちたいと思う(本音は、元々こういった絡みは疲れるから・・・。ごめんなさい)。結局のところ、マインドがこの世界のみで構成されているか、霊的領域のパラメーターも含めて構成されているかによるのだ。目に見えない世界は霊によって感知するしかないが、この霊の開かれ方は随分とスペクトルが広い。開かれていないとどうしようもない。リベラルでは聖霊すら認めない。福音派では聖霊は認めても、異言、癒し、預言などの賜物は認めない。聖霊派は御言葉をすっ飛ばして聖霊様、聖霊様の世界になる。が、今私が語られていることは-
クリスチャンたちよ、目を覚ますべき時が来ている。私小説的なマイワールドで自己実現と自己満足を追求する時は終わり。私も散々この世界を貪ったが、ある意味お腹いっぱい。何も生み出さないし、何も永遠には残らない。天のサブスタンスとその現出(信仰の実)のみが永続するのだ。自分の得ている権威を行使せよ。自分の得ている立場、天の座から地に向かって命じよ。自分は神の国の王であり、祭司であると知れ。自分が得ているパワーがどれほどのものか、信仰によって一歩を踏み出して、解き放ってみよ。自分が得ている富がどれほどのものか、その栄光がいかなるものか。パウロは知恵と啓示の霊を送ってもらえと勧めている。自分はまだ水の上を歩くつもりはないと言われて開き直るのもそれで結構。神は人材には事欠かない。弟子たちはイエスの招きを受けるや、ただちに従ったのだ。物理的時空間もさほど残されてはいない。主よ、来りませ!