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老子五十六章-五感によるカプセルに閉じ込められるな

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読み:
知る者は言わず、言う者は知らず。その兌(あな)を塞(ふさ)ぎて、その門を閉し、その鋭(えい)を挫(くじ)いて、その紛(ふん)を解(と)き、その光を和(やわら)げて、その塵(ちり)に同(おな)じくす。これを玄同(げんどう)と謂(い)う。故に得て親しむべからず、得て疏(うと)んずべからず。得て利すべからず、得て害すべからず。得て貴(たっと)ぶべからず、得て賤(いや)しむべからず。故に天下の貴きとなる。

意味:
物を真に知る者は語らない。語りたがる者はまだ知らないのだ。知る者は五感を塞いで、あえて敏感な感覚を鈍くし、意識のもつれを解きほぐし、自分の知才を抑えて、塵と一体となる。これを玄妙なる同一と言う。この同一を得た者は、近づいて馴れ馴れしくもできず、敬遠して疎遠にもできない。利を与える事もできなければ、害を与える事もできない。敬して尊ぶ事もできなければ、卑めて侮る事もできない。かくして彼はこの世で最も貴い存在となるのだ。

まことに、何かを知っていると思う者は知るべきことも知らない(1Cor 8:2)。義人は目に見えるところによらず、見えないものによって歩む(2Cor 5:7)。自分のプライドを離れるならば、つまりセルフに死ねば、チリとひとつになる(1Cor 4:13)。このような者は世の価値観によって縛らないゆえに、人間関係ものめり込むこともなく、利害や、尊敬や貶めに影響されることもない。肉によって人を知ることがないからだ(2Cor 5:16)。イエスも世の君がつけこむ要素は何もなかった(John 14:30)。こうして世にいるが、世の者ではない者として神の栄光に与るのだ。

ポイントは何か、自分が何者であるか(アイデンティティー)、自分がどこにいるのか(スフィア)。自分が何をなし得るのか(アビリティー)。これらを五感で判断するな、と言うこと。五感はわれわれを欺く。そしてその中にわれわれを拘束する。五感のカプセルによってすっぽりと覆われてしまうのだ。五感に基づいて、世の物差しを用いるならば、世の神を主とすることになる。そのとき、世の神はわれわれに対する権威を有することになる。否、本来、なんの権威もないのだが、われわれが彼に同意するからだ。

自分にどのような物差しを適用するか。それは、御言葉。その啓示。五感をあえて閉ざし、霊の奥深く、すなわち至聖所に入るのだ。そこにはすでにイエスの血が注ぎ出されている。そこはポータル、時空間を超えた霊の世界。その世界のサブスタンスをこの物理的時空間に現出させること。これがわれわれの信仰。霊の世界に生き、フェイスを使え。

まことに門(ポータル)であり、真の道(タオ)はイエスなのだ。

わたしは門であり、道である。-Jesus

 

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