五感のマトリックスからの解放
われわれが世界を認識するのは体に備えられた五感というフィルターを通している。視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚と。これらの感覚器官は対象となる物理的サブスタンスに触れると電気信号にコード化し、大脳のそれぞれの感覚野に送り、そこで再度デコーディングされて、各感覚として意識に登る。それを感知する「私」はどこにいるのか、これはホムンクルス問題と呼ばれているが、未だ未解明。とにかくその「私」はそれらの感覚に基づいて世界を認識し、世界がこうこうであるという世界像(モデル)を構築する。これをわれわれはいわゆるリアリティーと思い込んでいるのだ。David Ickeはクリスチャンではないが、このマトリックスの構造を明確に指摘してる。
が、今回のノーベル賞にテーマであるニュートリノはわれわれの体を1秒間に1兆個が通過している。もしわれわれがニュートリノを感知する感覚器官を備えていたら、われわれの見る世界は今とまったく異なったものとなるであろう。ニュートリノなる物理的サブスタンスは存在するが、生まれつきのわれわれには感知できない。物理学ではこのようなサブスタンスを次々に発見し、五感の領域に現出させることが可能となってきた。同様に霊のサブスタンスも五感では感知できない。が、感知できないからといって存在しないとは言えない。霊がアクティベーションされるとき、その世界は「私」の意識の領域に明確に現れるようになる。さらにわれわれはその霊のサブスタンスを操作することが可能なのだ。これが信仰である(Heb 11:1)。
霊の世界を離れた人間の生活とは所詮五感の領域における活動であって、その「感」を快適にすべく努力しているに過ぎない。人間社会も歴史もこれらの「感」に仕えるものなのだ。どんなに人生を楽しんでいるとか、自分は自由を満喫しているとか言っても、所詮は五感の中。お釈迦様の手の平の孫悟空のようなもの。霊的世界のリアリティーにアウェイクンするとき、それらの五感の領域の活動に埋没することの虚しさを改めて感じるのだ。ましてやそれらをこれ見よがしに誇るなど、特にクリスチャンの場合、自分の盲目さを自分で証明してしまっている。
そのような場合、五感に基づいてのみ、自分のアイデンティティーと能力を確立することになる。いわゆるセルフイメージが低いとか高いとか、それらは所詮五感の領域の現象に過ぎない。われわれの真のアイデンティティーは何か。イエスはこの五感の領域に生きてはいなかった。彼は自分のアイデンティティーを明確に知っていた。わたしはこの世のものではない、と。神のサブスタンスが私たちと全く同じ肉体をまとった存在であるが、それは彼にとっては仮のもの(仮庵)。彼は自分のアイデンティティーが霊的なものであり、霊的世界のサブスタンスを見据え、その世界を自由に操作し得たのだ。彼は五感の世界ももちろん知っていたが、シックスセンスである霊によって霊の世界に生きていたのだ。
そしてわれわれもイエスと同じようにこの世のものではなく(John 17:14)、かつご自分と同じ生き方が信じる者にも可能であると主は言われる。否、ご自分のわざよりもはるかにおおいなることをなし得るとさえ言われるのだ(John 14:12)。われわれの真のアイデンティティーは霊にこそ存在する。私たちが五感の世界にのみ生き、その世界を大事にし、その世界を尊ぶのであれば、所詮その世界から離脱することは不可能。自らを五感のリアリティーに幽閉してしまう。聖書はもともと五感で読むものでも、理解するものでもない。そもそも聖書は普通の書物ではないのだ。ところがキリスト教では五感の世界のみで、特に知性を用いてアレコレやり出す。こうしてそれぞれのキリスト教ができるのだ。特に各言語によってまったく異なる「信仰」のリアリティーを弄り出してしまう。西洋は西洋キリスト教、韓国はカンコク・キリスト教、アメリカも、ニッポンも・・・。
聖書をキリスト教から解放せよ!そのためにはわれわれがまず五感から離脱する必要があるのだ。フェイス・アウェイクン!今、終わりの時代において、それが求められているし、それができずにキリスト教の宗教レベルに留まるのであれば、振い落されてしまうであろう。偽りの時代、マトリックスはわれわれの五感に訴え、フェイクがあらゆる領域を覆い尽くそうとしているからだ。
追記:われわれのアイデンティティーは、要するに、醜いアヒルの子なのだ・・・。わたしはこの点、大きな勘違いをしていた。今はイモムシであるが、体の変貌の時、美しい蝶として羽ばたくのだと。ノー!!!今、ここで、私たちの真のアイデンティティーは白鳥であり、蝶なのだ。かの日まで待つ必要はない。主は言われたであろう、わたしがこの世のものではないように(同じ程度に)、あなたがたもこの世のものではない、と。このアイデンティティーと自分の居場所(天の座)、そして能力に覚醒するならば、イエスのわざが再現される。ARE YOU WITH ME?