1960年代って・・・FBにて
- 2016/06/08 09:58
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:独白, 書籍
この本、実は、教会のメンバーの奥様からいただいた。歴史の証言。1968年、ほとんど教科書の世界になりつつあるが、私にとっては微妙な時代。まだ自我にはっきり目覚めていない中で、どこかで何かが起きているといった感覚で思い起こされる。しかし、その現場では人が何人も死んでいた。
その後、ぼくも中学校の窒息感漂う環境に発狂しそうになっていた。自分でモノした『檄文』を放送部に持ち込んで全校放送させたりもした。自分の書いた文章がスピーカーから流れるのを、何か他人のものであるかのように呆然と聞いていた自分を覚えている。
アレは何だったのか?三島は今の自己保身と、食うためには何でもありのニッポンを透視して、そこにぬくぬくと生きることに耐えきれなかったのだろう。彼は鍛えぬいたあのボディを何かに捧げたかったのだ。ただ、彼は空転してしまった。
ぼくもジーザスとの出会いがなかったら、腹を切ていたかもしれない。無意味にただ生を浪費することは耐えられないのだ。人は自分のためにだけ生きることはできない。自分を捧げる対象をつねにサブコンシャスのレベルでは求めているのだ。問題はそれは何か? それは誰か? だ。
あなたがたは自分の体を生ける供え物として神に捧げなさい。-ローマ書