前線を守れ-イニシャル・ステージを奪われないこと
ダニエルの3人の友人はネブカデネザルの像を拝む要求に対してこう記録されている-
シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。
「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。-Dan 3:16-19
かつてのニッポンキリスト教では、天皇の臣民として、自己を否み、自分の十字架を負って、八紘一宇、大東亜共栄圏の建設に邁進すべしと日基の統理がアジり、柏手を打って、ご丁寧にゼロ戦まで奉献した。表向きは世に倣っても、心では主を信じていればよいではないか、との姿勢だ。これはもっとも敵が好む自己欺瞞。敵のアクセスポイントとなる。
この3人のユダヤ人は明確に否定した、言葉を発音して。これがカギ。病気に対して、我々は医学の診断をいわば信仰するほどに現代人は医学を奉っている。だから医師の診断が怖い。いわゆるインフォームド・コンセントと称して、丁寧に説明してくれる医師が良い先生だとの見方が万延しているが、これがワナとなる。知識などはネットを探せばいくらでも得られる。逆にそんな知識を得たところでどうするわけ?医師の診断と説明をそのまま受け入れることにより、偶像礼拝を行うことになるのだ。
その場面で、医学的事実は事実として聞くが(それを否定するとクリスチャン・サイエンスの罠に落ちる)、同時に明確に言葉によって「イエスの傷によって癒された」と語り出すこと。これがイニシャル・ステージの防御線だ。ここを捕られると後がけっこう大変になる。その奪われた霊的領域をゲットバックするのが困難になるのだ。医者に向かってそんなことを言えば、不興を買うかも知れない。それは敵の幻惑。
人を恐るならば恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。-Prov 29:25
ここを守る必要がある。はっきり言えば、医師の歓心を買ったところで彼らは助けてはくれない。彼らは単にルーチンの仕事をしているだけ。だから彼らは保険を掛ける。深刻な診断を出しておいた方が彼らにとって安全なのだ。かくしてこの前線をイエスの血と証の言葉によって勝ち取ること(Rev 12:11)。語り出された言葉は霊的領域のサブスタンスを変化させるパワーがある。霊的雰囲気を一変するのだ。
それは戦場のフロントライン。言葉を出すこと、語り出すこと。「心で信じていれば・・・」は足りない。告白すること、これは必須(Rom 10:9)。今回のメッセでも語ったが、保険をかけないこと。逃げ場を用意しておかないこと。ただ神のみ!これがこの3人のフェイスだった。そして真実な神は彼らを七倍の火からも救い出したのだった。Glory be to God!
■注意:私は医学を否定・拒絶せよと言っているのではない。それは一般恩恵であり、フェイスの有無とは関係なしにそのメリットを享受できる。それに服するな、むしろそれを利用せよと言っている(⇒参考)。世のものは、カネも含めて、すべて神の栄光のために利用するのである。ただし、それに埋没し過ぎるな、誤用するな、とパウロは警告している(1Cor 7:31)。(⇒参考:ガン健診結果の読み方)また医学的診断のみでなく、マインドに去来するアイデア、思いなどもすべて同じ。御言葉に反するものを入口で拒絶すること、すべての思いをキリストに服させること(2Cor 10:5)。