マイワールド生きた劉備
- 2016/08/20 17:45
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:異見
- Tag:三国志, 劉備
ついに劉備が死んだ。関羽と張飛の死を呉の孫権のためとし、諸葛亮の進言にも耳を貸さず、70万の大軍をもって呉に攻め入る。動機は復讐。この時点で天は劉備を見放していた。彼の真の敵は曹魏だったのだ。そして己の心。
初戦は順調であるが、それが劉備の慢心を起こし、呉の陸遜の見立てどおりに、森の中に駐留して、火攻めを受けて壊滅(夷陵の戦)。兵法の定石を無視した結 果。動機が彼の心の目を盲目にしたのだ。かくして趙雲らにより救出され白帝城に逃げるが、そこで病死する。享年63(223年)。
劉備は漢室の末裔ゆえ『演義』では英雄扱い。だが、その忠義によるマイワールドに生きる資質ゆえ、全体が見えない。遺言もそのマイワールドに影響されるものであり、国家を治める皇帝としては相応しくないと言われている。
彼は己のマトリックスの中で生きていた。そのマトリックスに共鳴というより、絡め取られる形で人材が集まったのだ。ゆえに逸材が多かったのに、イマイチ能力を発揮しつくすことができなかった。また漢という亡霊に拘ったことも彼の脳内リアリティのゆえである。
曹操はかつてこう言った:敵に怒ってはならん、モノが見えなくなる。敵を恨んではならん、判断が狂う。対する劉備は結局のところマイワールドにあって生き、その中において没するのだった。
ちなみに白帝城にまつわる李白の有名な詩:
朝(あした)に辞す白帝彩雲の間
千里の江陵一日にして還(かえ)る
両岸の猿声啼いて住(や)まざるに
軽舟已(すで)に過ぐ万重の山