イザヤと老子-大路を歩む

大道は甚(はなは)だ夷(たい)らかなるも、而(しか)も民は径(こみち)を好む。-老子第五十三章

ぼくも思い返せば色々な道を覗いて回ったものだな~。あ、今もか((笑))道草は小学生時代からの得意技。大道から逸れたこといくばくか・・・。

老子はこう言う:

全文:我をして介然(かいぜん)として知有らしめば、大道を行くに、ただ施(ななめ)なるをこれ畏(おそ)れん。大道は甚(はなは)だ夷(たい)らかなるも、而(しか)も民は径(こみち)を好む。朝(ちょう)は甚だ除(きよ)められ、田は甚だ蕪(あ)れ、倉は甚だ虚しきに、文綵(ぶんさい)を服し、利剣(りけん)を帯び、飲食に厭(あ)き、財貨は余り有り。これを盗の夸(おご)りと謂(い)う。道に非(あら)ざるかな。

イザヤも嘆く:

大路は嘆き、荒れ果て、道行く者は絶える。人は契約を破り、証人を退け、人を人と思うこともない。イザヤ33章8節

エレミヤは:

主はこう言われる、「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ。・・・」-エレミヤ6章16節

まことに神の大路を歩むことは幸いなのだ。

そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ/汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ/愚か者がそこに迷い入ることはない。
そこに、獅子はおらず/獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み
主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて/喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え/嘆きと悲しみは逃げ去る。-イザヤ35章8-10節

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