ロゴス×フェイス=レーマ=スピリット=ゾーエ

命を与えるのは”霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉(レーマ)は霊であり、命(ゾーエ)である。-John 6:63

肉とは五感の領域の存在。聖書も白黒の文字として捉えるとき、いわゆる”Dos&Don’ts”のマトリックスに過ぎなくなる。あたかも六法全書のように。

神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。-2Cor 3:6

ジーザスは律法によらずいのち(ゾーエ)の力によりメルキゼデク系大祭司として立てられ、われわれのためにとりなしをして下さっている(Heb 7:16)。律法に基づくレビ系とは一切関係がないのだ。ここで再建主義は根本的に考え違いをしていることが分かる。

主はアダムとエバが摂り損なったゾーエを分与するために、われわれの肉と同じ様で来られ、罪を知らなかったにもかかわらず、罪とされ、ご自分の体を裂いて、その肉において罪を処罰された(Rom 8:3;2Cor 5:21)。

そして死と復活を経て、いのちを与える霊となられ(1Cor 15:45)、聖霊により私たちのうちに住まわれる。このとき、父も子も内住される。

わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。・・・わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。-John 14:21-23

かつて旧約では単なる神の霊と言われていた聖霊は、今やキリストの霊(Rom 8:9)、イエスの霊(Acts 16:7)と呼ばれる。なぜか? ジーザスご自身をわれわれに現わされるからだ。このゆえに、ジーザスが栄光を受けられるまで、その霊はまだなかったのである(John 7:39、原文)[1]田川訳ではさらに徹底して、「存在していなかった」とする。

聖書の表向きの言葉はロゴス、何かを記述する言語。その聞いたロゴスにフェイスを混ぜるとき、それは生きる(Heb 4:2)。単なる日本語あるいは英語としてその言語の意味を理解するだけでは、それはいのちにならない。フェイスを混ぜることが必要なのだ。

そしてフェイスも霊(スピリット)である(2Cor 4:13)。それはうちなる聖霊が息吹かれる。その霊と共に御言葉を受けるとき、それはレーマとして、またゾーエとして私たちを生かす。私はこれを表題のとおり定式化している:

ロゴス×フェイス=レーマ=スピリット=ゾーエ

かくして霊のことは霊によって知り、霊の言葉を語り出すとき(1Cor 2:13)、それはゾーエを解き放つ(John 6:63)。そのとき、人間の言語の裏に存在する霊のサブスタンス、主の意志にタッチするのだ。それは霊のバイブレーションを共有すること。そのためにはマインドのトランスフォームが求められる。

あなたがたはこの世と同じ姿かたちにさせられてはならない。むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって形造り直され、〔その結果〕何が神の意思であり、善きことであれ、そして〔神に〕喜ばれることであり、完全なことであるのかを、あなたがたは吟味するように〔しなさい〕。-Rom 12:2(岩波訳)

すると魂の一機能であるマインドの中にスピリットが浸透する。

And be renewed in the spirit of your mind; –Eph 4:23 (KJV)

ここは邦誤訳では「心の底から新たにされて」などとされるが、誤訳である。「思いの霊において新たにされる」が正解だ。思いは霊から単独で機能することなく、霊が沁み込み、霊の働きに服するのだ。このとき、YHWHエロヒムのマインドが伝達される。なぜなら、すでにわれわれはキリストの思い(マインド)を有しているからだ(1Cor 2:16)。サブコンシャスのレベルまでキリストのマインドで再構成されるのだ。

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1 田川訳ではさらに徹底して、「存在していなかった」とする。

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