三国志:歴史に if はなく、学問に解はない

主はエサウを憎みヤコブを愛した(ロマ9:13)。ヤコブ、まさに狡猾さの極みの男。なぜだ?

三国志でも天は劉備ではなく曹操を選んだ。彼ら亡き後、諸葛亮の計略により胡盧谷で火に囲まれる司馬懿、亮が「司馬懿は炎の中で死を免れぬ。先帝よ、ついに大漢再興の時が来た!」と感涙の声を上げるも、なんと豪雨が。天は諸葛亮を退け、司馬懿を選んだ。なぜだ?

諸葛亮は言う:事を謀るは人にあるが、事を成すは天にある、と。

ソロモンも言う:人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。-箴言16:9

もしあの時雨が降らなかったなら、その後の歴史はどうなっていたのか? 歴史に”IF”はないのだが、つい考え込んでしまう。しかし往年の司馬懿は諸葛亮恐怖症に陥る。

ことわざにいわく:死せる孔明、生ける仲達を走らせる、と。

かくして常に思うのだ、俺はエサウとヤコブ、劉備と曹操、そして諸葛亮と司馬懿のどちらだろうか? なぜだ?

なぜ?という問いにはサイエンスは答えられない。否、哲学も、神学も、あらゆる学問も答えられない。そもそもなぜ自分が生きているのか?という原点の問いにも解答はないのだから。

かくしてソロモンの箴言に戻るのだ:すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。

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tathuya
tathuya
3 years ago

神を畏れ戒めを守る為に人は生きると言う事を肝に命じたいと思います。しかしながら、神を畏れるというのは、神と交流し、神の圧倒的な創造力や知恵といった諸々の御性質を直覚的に知った方でないと本当にはできないように思います。学問に秀で、真理に通じ、なおかつ神と霊的に交流でき、人生経験の豊かな方は羨ましい。

瀬川哲史
瀬川哲史
3 years ago

唐沢先生

毎回有益な情報提供ありがとうございます。

神を畏れ、その戒めを守れとする御言葉自体は否定しようもない真実です。

しかしながら、御言葉そのものは良くても、ユダヤ人を警戒するもう1人の自分がいます。

不謹慎ですが、ホロコーストの件も含めて民族一括りにユダヤ人は迫害されて可哀想だとは一概に思えません。ら私の間違いかもしれませんがユダヤ人を嫌う人や国家が一定数以上あるのは
ユダヤ人にも問題があるのではないかと思えてしまいます。

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