三国志:歴史に if はなく、学問に解はない
2020-12-02



主はエサウを憎みヤコブを愛した(ロマ9:13)。ヤコブ、まさに狡猾さの極みの男。なぜだ?
三国志でも天は劉備ではなく曹操を選んだ。彼ら亡き後、諸葛亮の計略により胡盧谷で火に囲まれる司馬懿、亮が「司馬懿は炎の中で死を免れぬ。先帝よ、ついに大漢再興の時が来た!」と感涙の声を上げるも、なんと豪雨が。天は諸葛亮を退け、司馬懿を選んだ。なぜだ?
諸葛亮は言う:事を謀るは人にあるが、事を成すは天にある、と。
ソロモンも言う:人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。-箴言16:9
もしあの時雨が降らなかったなら、その後の歴史はどうなっていたのか? 歴史に”IF”はないのだが、つい考え込んでしまう。しかし往年の司馬懿は諸葛亮恐怖症に陥る。
ことわざにいわく:死せる孔明、生ける仲達を走らせる、と。
かくして常に思うのだ、俺はエサウとヤコブ、劉備と曹操、そして諸葛亮と司馬懿のどちらだろうか? なぜだ?
なぜ?という問いにはサイエンスは答えられない。否、哲学も、神学も、あらゆる学問も答えられない。そもそもなぜ自分が生きているのか?という原点の問いにも解答はないのだから。
かくしてソロモンの箴言に戻るのだ:すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。

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