主の主権と我らの応答

神の選びと人の自由意志の関係はいわゆる「カルバンVSアルミニウス論争」として知られているが、われわれサイエンティストから観るとナンセンスであることをすでに何度も指摘している。そもそも自由意志なるものが幻想であることも(☞参照)。われわれは聖霊のプロンプトに応じただけなのだ。

アダム系人類
キリスト系人類

ここで想起するのがエサウとヤコブの選びであり、諸葛孔明と司馬懿の選びである。

主はエサウを憎みヤコブを愛した(ロマ9:13)

ヤコブ、まさに狡猾さの極みの男。なぜだ?

三国志でも天は劉備ではなく曹操を選んだ。彼ら亡き後、諸葛亮の計略により胡盧谷で火に囲まれる司馬懿、亮が「司馬懿は炎の中で死を免れぬ。先帝よ、ついに大漢再興の時が来た!」と感涙の声を上げるも、なんと豪雨が。天は諸葛亮を退け、司馬懿を選んだ。なぜだ?

諸葛亮は言う:事を謀るは人にあるが、事を成すは天にある、と。

ソロモンも言う:人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。-箴言16:9

もしあの時雨が降らなかったなら、その後の歴史はどうなっていたのか? 歴史に”IF”はないのだが、つい考え込んでしまう。しかし往年の司馬懿は諸葛亮恐怖症に陥る。ことわざにいわく:死せる孔明、生ける仲達を走らせる、と。かくして常に思うのだ、俺はエサウとヤコブ、劉備と曹操、そして諸葛亮と司馬懿のどちらだろうか? なぜだ?

なぜ? という問いにはサイエンスは答えられない。否、哲学も、神学も、あらゆる学問も答えられない。そもそもなぜ自分が生きているのか?という原点の問いにも解答はないのだから。

人は、何故?と問う故に苦しむのだ-Dr.Luke-

まことにわれらは陶器、主は陶器師、かくしてソロモンの箴言に戻る:

すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。

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