フェイスと如=”as-i-am-ness”

今回のメッセで語った、believe into、それは主の霊と私たちの霊がひとつになること。主はもはや客体ではない。私となられるお方だ。パウロは言った、I am what I am today. そして私と共にある神の恵みが働いたと。

仏教、特に禅においては礼拝対象はない。それは徹底した実存的認識論。すなわち、如(ニョ)。鈴木大拙はこれを、”AS-IT-IS-NESS”と訳した。黙想はブレインのネットワークを書き換える。調息、調身、調心。まずは息を整えること。生命の本質は息にある。

如。それは主体と客体がひとつになること。鈴木大拙は”as-it-is-ness”と言ったが、I-AMとひとつにされたわれわれは”as-i-am-ness”と言おう。キリスト【を】信じるのではなく(対格)、御子【の】フェイスによって生きる(属格)。それはキリストの息吹きを呼吸することだ。

しかし、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。-1Cor 6:17

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