『1984』の世界-言葉を制覇されると思考を束縛され支配される-

霊的エンティティがわれわれのマインドにコンタクトできることは聖書の啓示するところである。

同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。-Gal 4:3

しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。-Gal 4:9

諸霊(ストイケイア)は私達のマインドに種をまき、それを思想に育て、実行化する。マルクスが使徒行伝(Acts 2:44-45)の記述からヒントを得て、共産主義を打ち立て、政治形態として実行し、1億近くの人々を虐殺したことは歴史が教えるところである。現在も一部の国々でこの政治形態は継続する。

昨日のTV番組で櫻井よしこさんが、中国は日本国内に警察を置き、諸々の情報を集めるとともに監視を行い、制空権、制海権のみならず、制情報権、そして制脳権を主張していると指摘していた。制脳権とは初めて知ったが、なるほどである。まさにジョージ・オーウェルの『1984』の世界である。

この世界ではビッグブラザーと呼ばれる独裁者が大衆を監視し、その統治下に素直に従えばいちおう食えるが、逆らうと、たとえそれが思考の領域においても、処罰される。

そのスローガンは『寡頭制集産主義の理論と実践』の各章の題名に従い-

  • 戦争は平和である
  • 自由は屈従である
  • 無知は力である

つまり為政者側にとっての価値観であり、大衆はこの矛盾した命題を否応なく飲まされるのだ。4つの省により大衆は思考まで監視され、支配されている。その構成はまさにピラミッド型であり、上位の2%の指導者が大衆をコントロールする。

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ここで注目すべきは、その支配の3つの手法である(以下WIKIより抜粋)。

  • ニュースピーク (Newspeak、新語法)は、思考の単純化と思想犯罪の予防を目的として、英語を簡素化して成立した新語法である。語彙の量を少なくし、政治的・思想的な意味を持たないようにされ、この言語が普及した暁には反政府的な思想を書き表す方法も考える方法も存在しなくなる。
  • ダブルシンク(doublethink、二重思考)は、「1人の人間が矛盾した2つの信念を同時に持ち、同時に受け入れることができる」という、オセアニア国民に要求される思考能力である。「現実認識を自己規制により操作された状態」でもある。
  • ダブルスピーク(doublespeak、二重語法)は、矛盾した二つのことを同時に言い表す表現である。『1984年』作中の例でいえば「戦争は平和である」や「真理省」のように、例えば自由や平和を表す表の意味を持つ単語で暴力的な裏の内容を表し、さらにそれを使う者が表の意味を自然に信じて自己洗脳してしまうような語法である。他者とのコミュニケーションをとることを装いながら、実際にはまったくコミュニケーションをとることを目的としていない。

ダブルシンクにより2+2が5にもなり、さらに、歴史(過去)が常に書き換えられることにより、現実認識ができなくなる。心理学的にはダブルシンクやダブルスピークは認知的不協和と言われる。ヒトは自分の世界モデルや価値観に相反する認知をすると、内側に落ち着かなさを覚え、不安と緊張を覚える。二つのものにより心(特にマインド)が引き裂かれる状態である。

この不安と緊張を解消するためには、自分の側に間違いがあるとするか、その認知の対象が間違いであるとするしかないが、しばしば自分の思い、意志、感情を書き換えることにより、不安と緊張から解かれようとする。こうして認知の対象に自分を合わせていく。これがフェスティンガーの唱えたカルトなどによるマインドコントロールの原理である。詳細はこの論文をどうぞ。

ワクチンや統一教会にハマル人々も同じ心理状態である。当初得体の知れないワクチンや文鮮明に違和感を覚えつつも、自分の内面を書き換えることにより、相手に合わせるのだ。かくして一度ワクチンを打つと、たとえどんな副作用や障害が生じようとも、それを認めることはできなくなり、何度も自ら打つことになる。統一教会に献金や奉仕する人々も同じである。彼らは一度そちらに自分を誘導したために、方向転換(メタノイア)ができない。

実は、このような現象はいわゆる「正統キリスト教」においても起きていることである。彼らは神学用語の中に神を閉じ込めようとする。特にニッポンキリスト教において、「信仰」、「教会」、「牧師」、「悔い改め」、「恩寵」、「聖化」、「敬虔」などの単語により、聖書のオリジナルな真理は隠蔽される。そしてこの日本語の意味に基づいて思考が誘導され、そこにある種の価値観(意義)が付与され、集団において共有されるとひとつの宗教体系としてのニッポンキリスト教が構築される。究極的にそのような集団が何をなしたかはWW2当時の日本基督教団を見ればわかる。

そしてその世界の中で生きるほどに、その体系(マトリックス)に即したアイデンティティを確立し、同時に自己努力を注ぐほどにプライドが育つ。自らそのマトリックスに自分を馴らしていくわけである。いわゆる教派とか宗派なるタコツボ・キ業界の中のサブ・ユニットも同様のメカニズムで形成される。それは全体の相似図形としての部分、つまりフラクタルである。

中国の提唱する制脳なる手法は、まず言葉を統制すること、それにより思考を誘導する。邦誤訳を後にして聖書の純粋な言葉へと常にターン・トゥする必要があるのだ。ヘブル人とは渡る人。古いものを脱ぐ捨て、新しい領域へと絶えず渡りゆく人である。そのためには言葉を改めること。

いわゆる「聖化」と言われるプロセスは、マインドのトランスフォームから開始される(Rom 12:2)。昆虫が脱皮を繰り返して、蛹になり、いったん内部が溶解して、新しい姿へと変態し、ついにあの蝶の姿へと変わる。うちにロゴスが撒かれ、内在化されたエロヒム属のうちにキリストが構成され(モルフォー)、同時に私達の魂(特に思い)のうちに霊が染み込み(Eph 4:23)[1]原語は「思いの霊において新たにされる」。、私達の魂もキリストのそれと同型化されていく。これがメタモルフォーシスである。

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1 原語は「思いの霊において新たにされる」。

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