紹介:日本人が学ぶべき西洋哲学入門-なぜ、彼らはそう考えるのか?

これは昨年の記事の補講です。

先のモーガン氏と茂木氏の対談本、いちおうキリスト教思想についても触れており、キリスト教は善悪二元論に落ちているゆえに、現代の病理を生み出していると。ルーツはアウグスティヌス、マニ教にハマった彼はゾロアスター教とカクテル化して、善悪二元論に基づくキリスト教世界観を構築したのだ。

人類は不従順の結果、善と悪を知るようになったのだから(Gen 3:22)。それは同一平面上にあるわけで、時に善と悪はひっくり返る。現代は裏返し、倒錯の時代だ。キリスト教は単なる宗教としてこの平面上のものに過ぎない。

しかしながらトマス・アクィナスはアリストテレス哲学と聖書を融合しつつ『神学大全』を執筆していたが、完成間近に「神は論理では説明できない」として筆を折った、「私の本は藁である」と。そう、理屈じゃないのよフェイスはハッハー。何かを経験してしまったのだ。

フェイスはその二元論の平面をZOEの領域へと跳躍することだ。次元を上げることにより不条理は解消される。これが霊と魂の分離(切り分け)である。善と悪はそのZOEのいのちから生じる感覚によって判断するのだ(ヘブル5:14)。それは理屈(理性)ではなく、霊的感受性。リクツつを超えている感覚である。

もちろん、彼らにはこの霊的視点はないが。彼らにとっては形而上学の問題になり、あえて言えば、プラトンのイデア論のレベルとして理解するのであろうが。いのちは理解するものではなく、経験するものだ

ついでに今回のチャーリー・カーク暗殺を巡ってはキリスト教徒の間でも判断が分かれている。総じて言えるのは左系では「彼はあのようなことを発言していたからやられても当然」といった論調であり、その死を悼むとか、遺族の気持ちに寄り添う姿勢はない。クリスチャン新聞においてもこのような報道姿勢だ。しかも読めない、読むにはカネを払えとのこと。嗚呼。つまり思想の分断としてしか理解していないのだ。

すでに紹介してる本書によると「リベラル左派は人間に対する理解が欠如している」とする。これはまことに同意。思想以前に人間の本性を忘れているのだ。

聖書にもこうある:愚者は左に、賢者は右にと(Eccl 10:2)。そして次のような名言がある。

極私的にはすでに述べた通り、カーク氏は政治家としてその思想に殉じたのではなく、クリスチャンとして主と真理のために殉じたと感じている。つまり殉教である。

思想なるものは、所詮善と悪の木の実に過ぎない。リベラル左派はこの木の実を食らった人類の象徴である。対してフェイスはいのちの木により生きる。いのちは共感を生み、いのちの喪失には痛みを覚える。キリスト教、とりわけニッポンキリスト教がいかに主の心から乖離しているか、この事件で明確になったと感じている。

まさに時代は善悪の路線(=宗教)からいのちの路線へとセコンド・エクソダス

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