iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ
カテゴリー: 社会

この詩は2016年の本日にFBで紹介した晩唐の李商隠の作。FBから再掲する-

登楽遊原 李商隠
晩くれに向(なんな)んとして意(こころ)適わず
車を駆(か)って古原(こげん)に登る
夕陽(せきよう) 無限に好し
只だ是れ 黄昏(こうこん)に近し
釈義:昏に心満たされぬまま、車を走らせて、古い山に登った。
夕日は限りなく素晴らしく美しい、が、もはや黄昏が近いのだ。
晩唐、あれほど栄えた唐ももはやその勢いを失い、滅びる予感が漂っている。そんな思いを夕日に投影した作品。極私的にもこの国の近い将来とダブるのだ・・・・。
この写真は山崎豊子原作の『沈まぬ太陽』(WOWOW)から拝借したが、あれほど盤石と見られていたJALも無残に滅びた。内部はすでに腐臭を放っていたが、その膿がJAL123便として溢れ出たのだ。そして311では・・・。安倍さんが辞めた時がヤバい。
そして本日、岸田はヤバいでしょう。バイデンに囲われてます。自分はどんなお手当をもらってるわかりませんが、国民からはひたすら搾取。ぼくの予言はまた的中した、とコメントした。
またこれも2016年の本日の記事:左派ポピュリズム指向のマインドはすぐにヒスる傾向が強い。いわく差別だ、エリート視線だと。彼らは根底に充足されない「何か」を抱え、それを彼らの「メシア」に投影している。その存在は神聖不可侵化されるのだ。ここに666なども出現する実に危険なメンタリティだ。
彼らはSDGsやマイノリティ―保護などの標語を掲げ、それを金科玉条として、ガス車よりもCO2を排出するEV化、自然を破壊してソーラーパネル、女子トイレもなくすLGBT法などの倒錯現象を生むのだ。LEVI’Sの主張のとおりまことに裏返しの時代。

次の記事も同日のもの。米国の干渉を受け、国民は六公四民であえぎ、昨年からの宗教二世問題などに現れる通り、まことにそのとおりである-
ニッポンの霊的城壁の弱さ。WW2で現人神がニンゲン宣言してしまい、騙されていたと傷ついた人々は、神とかGodは危ないとして、ひたすら物質論的価値観を奉じ、自由と民主主義、市場経済を追求。が、その行きついた先のバブルも微塵に崩壊。
それまで霊的なこと云々は迷信、カルト、妄想として抑圧していたが、満たされない人々がオウムに入れ込み、あの事件。で、ますます霊が云々言う人々はヤバイとなるわけ。が、そんな中で「○○の科学」や「○○学会」があれだけの隆盛を誇るわけで、霊的真空を何とか埋めるべく大衆はもがいている。日本の宗教法人の会員数は軽く1億を超えるらしい。伊豆の岡田さんによるMOA美術館とかぜひ訪れてほしい。宗教のパワーが分かる[1] … Continue reading。
とりあえず、深いことは考えず、自己実現、自己啓発などの形で紛れているのが現状。あるいは仕事や趣味、温泉や映画(おい、自分のことだろの声が・・・)、レジャーにセックスにグルメと。ところがカプセルの外ではもろ霊的な事件が続発。何が起きてるのか困惑したまま、あまり深いことは考えず、とりあえず今のところまともな国はニッポンだけになりつつあるわけ。ヘイワ、ヘイワ・・・と。
しかしイスラムも着実に日本に侵入している。彼らはトロイの木馬を潜らせるのだ。それを、世界平和、宗教に壁はない、人類皆兄弟とウエルカム。気がついたときはもう遅い。それがヨーロッパの現状。世俗化したキリスト教には対抗し得る霊的パワーはない。いわんやわが国をやだ[2] … Continue reading。これは放射線に対する無感覚さでも分かる。あなたのうちに着実にソレは蓄積しているのだ。ある臨界点を超えた時にソレは現れるが、その時はすでに遅い。
いや、みな何かが変と気がついてはいるが、見たくない。あえて目をそらして、人生ハッピーを演出しているだけかも。かつて芥川が漏らした「ぼんやりとした不安」の時代。いや、そんな辛気臭いことは言わず、楽しくいこうぜ、盛り上がろうぜ。といっても若者はそのパワーさえも枯渇しつつある。毎日を生き延びるだけで必死。
大衆が自分を全面的に任せられる対象を求めるようになるとこれがファシズムへの道を備える。繰り返すが、ソレは押し付けられるものではない。大衆が自らの魂をソレに売るのだ。かくして戦争は繰り返されてきたし、今も着々とその布石が敷かれている。なぜか?答えは簡単、最も有効な経済政策は戦争だから。ニンゲン牧場化したこの世では長いものには巻かれよ、法律に引っかからないようにうまく立ち回った者が勝ち。が、それも誰かが用意した舞台の上のオハナシ。ジョージ・オーウェルの世界がそのまま実現しようとしているのだ。
References[+]
↑1 | オウム事件の際、TIME誌が日本はスピリチュアル・ヴァキューム(霊的真空)により何でも吸い込むと論じていたが、まことにその通りである。超長期対日弱体化政策により、開国=政治的去勢、原爆=軍事的去勢、バブル崩壊=経済的去勢、原発事故=倫理的去勢と四回の去勢を受け、エディプス葛藤に挫折しているゆえに、自律することはすでにできない状態にある。その中で真のアイデンティティーを得るために、キ業界では日ユ同祖論、社会では保守派による皇統への回帰が唱えられている。確かに皇統が途絶えたら箱物国家だけが残るだけであろう。 |
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↑2 | ニッポン社会とニッポンキリスト教は合わせ鏡であると指摘している。確かにGHQにより飼い育てられたニッポンとニッポンキリスト教だから当然であろう(☞なぜ日本はこれほど歪んだのか)。 |

今回、維新からバッチをつけた金子道仁なるボクシが御言葉にではなく、党議決定に従ったという、既定路線の事態が起こったことはすでに知られている。私はこの人物については必ず後悔することになるとここに書いた。安倍の死をも予言したが、まあ、大平正芳の例もあるわけでして。
対して、いわゆる無教会主義の内村鑑三なる人物がかつていた[1] … Continue reading。天皇を拝することを拒否して旧制一高を追われた不敬事件で有名である。なんというコントラストであろうか。
あの「エホバ、モルモン、統一と関係ありません」は私が1983年の東大五月祭のシンポジウムの招待状で使った標語だが、今や全国版となっている。しかし「正統なプロテスンタトの教会です」などを付け加える向きがあり、「あなたの街のお気軽な教会へお気軽にいらしてください」と世に媚びを売る連中も多い。
さて、今回のメッセでも紹介したが、内村のことばを引用しておこう:
教会が社会と和するときに教会も腐敗し、社会また腐敗す。教会が社会と戦うときに教会も健全にして社会もまた健全なり。教会と社会とはもともと敵にして味方にあらず、二者はその本性において相和すべきものにあらず。
エクレシアとは「エク(from)+カレオ(called)」であり、呼び出された者たち、世から分離された者たちの意味である。教会なる単語はまったくハマルティアである。私は「召衆」と呼ぶ。その分離された者が世にへつらい媚びるとは・・・。世(コスモス)は敵であると内村は明確に述べている。今日、それはカルトだ~と叫ぶ向きもあろうが、世の物差しを当てることがそもそもの間違いである。
我かキリストか-我がなすのではない。キリストが我にあってなした給うのである。ゆえに我が事業ではない、キリストの事業である。
我は死んだものである、キリストが我にありて生きかつ働き給うのである。これは信仰ではない、また理想でもない、事実である、何よりも確かなる事実である。
それゆえに我はキリスト者であると言うのである。我がキリストを信じるからではない、我は死してキリストが我にありて生き給うからである。
このことを疑う者はキリスト者ではない。これは世の人から見れば大いなる秘密である、しかしながらキリスト者から見れば何よりも明らかなる事実である。ガラテヤ2章20節
私を通してキリストが生きる、キリストは父を100%現わされた。その方が私たちを通して現れる、すなわち肉において現れるYHWHである。これがエウセベイアの奥義である。ゆえに世の人には秘密である。
そして内村はこう結論する-
キリストの如くなるにあらず、キリストとなるなり。その手となり、足となるなり。われは己に死してキリストをしてわれにありて活かしむるなり。
さらばわれは欲せざるもキリストのごとくならざるをえず。われとキリストの関係は道徳にあらず、生命なり。キリストのわが教師にあらず、わが救い主なり。
わが生命なり、また復活なり。
エペソ5章1節(Eph 5:1)を「神に倣え」として偽善かクルシチャンに落ち込む者たちが多い。この原語の意味がエミュレートであることはすでに述べている。「神をエミュレートせよ」である。
内村にとっては「エロヒム」の概念はまだ開かれていないから、私たち(の霊)はエロヒムであるとまでは言っていないが、実質的には生命現象であるとすることから同じことを指摘している。
メッセでも語ったが、ソドム・エジプト化したいわゆるキリスト教とは分離せよ。
こういった先達がいたことを知り、やや孤独感を覚えていたDr.Luke的には大いなる励ましを受けたところである。

最近、世間で持ち上げられて落とされる有名人がやたらと多い印象だ。
一昨年、ジャスト1年前に安倍の末路を予言し、昨年そのとおりになったことはすでに書いた。
そして今年、まずはこの女。
端的に言って、幸せすぎる。 pic.twitter.com/3hJdaaZquX
— 三浦瑠麗 Lully MIURA (@lullymiura) October 15, 2022
かつては永田町で70万のオフィスだったそうだが、今や1万5千円のバーチャルオフィスだとか。
次に広末を巡る二人の男。どっちもどっちだ。
こちらはドラマだが、なかなか学びの多い作品だ。田宮二郎版ほどの迫力はなくても、唐沢版も現代的にアレンジしており、それなりにイケる。花森ケイ子も太一喜和子の妖艶さよりあっさり感が漂う黒木瞳だが、それはそれで


で、彼女のセリフがけっこうクルのだ。「五郎ちゃん」と呼ぶ彼女に、「その五郎ちゃんはやめろよ」と財前。すると、「だって、”あなた”と呼ぶのは奥様でしょ、”先生”と呼ぶのは患者さん、あたしはそのどっちでもないから、”五郎ちゃん”」と答えるわけ。女としての居場所と言うか、自己同一性とプライドをかろうじて保っている彼女の気持ちが切ない(とぼくは感じる)。
そして教授になって得意絶頂の彼に、「もう終わりましょう。五郎ちゃんが教授になったことはうれしいけど、頂点に登ったらあとは落ちるだけでしょ。こんな怖いことはないわ、あたし・・・」と。確かに女の直感は鋭い。この後、財前は佐々木洋平の誤診で裁判所に引きずり出され、ウソに嘘を塗り重ねて自滅するのだから。

田宮版では、田宮二郎は言うに及ばず(猟銃自殺)、愛人役の太一喜和子(酔って(?)車で海に転落死)、東左枝子役の島田陽子も孤独死を遂げた。ほんと何ゆえにこれほどに・・・と思えるほどではある。
芸能界で成功した彼等は言うに及ばず、世のシステムに乗る/乗せられるならば、在位記録を打ち立てて絶好調だった安倍にしろ、今回、主よりも党議に従ったニッポンキ業界の愚かなボクシしろ(名は忘れた)、その末路はなんと悲惨かつ哀れであることか。アイオーンの手法は乗せて、落とす[1] … Continue reading。
古今東西この霊的法則は不変である[2]陰の声:男って単純だから、乗せられるのだなあ、これが・・・。あ、自戒を込めて、ね!。

2016年6月9日のFBの投稿記事を採録しておく。
聖書の写本、これ、ヤバいことになっている。邦語訳は写本以前に、訳語自体が恣意的でとてもではないが、そのまま信用できない。写本もアレキサンドリアあるいはバチカン系列はアウト、どうもビザンチン系列がもっとも信用が置けそうで、私は基本的にe-SwordにKJVとStrongなどを組み合わせて調べている。ギリシャ語やヘブル語は白文では読めずとも、文法が分かれば、種々のツールで理解可能。この点、教養時代にドイツ語で苦しんでおいてよかった。英語だけではちょっと不十分。
例えば、ちょっと光る部分をひとつ―エペソ5:1。ここは普通、「神に倣うものとなりなさい」とあり、これでさんざん自力で頑張ってクルシチャン化する人が多いのだ。倣えるわけがない!それは犬が人間のフリをしようとするようなもの。いのちの階層が異なるのだから、元から無理。
が、ここに使われているギリシャ語を見てみると、「神の写し(要するに、コピー)になりなさい」といったかなり大胆な表現! WOW!!! われわれは新人類。神の種(DNA)をインヒュージョンされた存在。その霊的DNAが発現するのだ。神は肉を通して表現される(1テモテ3:16)。
かくして聖書は宗教の本ではない。道徳や倫理や人生論や神学の本ですらない。それはiPS現象などと同じ生命現象の書なのだ! 日本語の世界だけに閉じ込められるといわゆるニッポンキリスト教というかなりやっかいなマトリックスに生きざるを得ないことになる。霊的世界にアプローチする場合、言語による不公平は明らかに存在するのだ。が、先に紹介したようなツールを神は用意して下さっているわけで、まことに涙が出るほどに感激する次第。
さらに追記すると、プラットホームの選び方がカギとなることを指摘しておく。それはちょうど舞台のようなもので、PCやスマホで言えば、どのOSを選ぶかと言うことである。iOSかAndoroidか、はたまたLinuxか・・・。写本や聖書翻訳はこのプラットホームであり、その選び方でいわゆるキ業界で言う「信仰の歩み」が決まる。新改訳などの問題は思い入れ、つまり自分たちは純粋な福音主義に立つ者であるとして、彼等のマトリックスを原語よりも優先して、意訳するのだ[1] … Continue reading。

さらにさらに追記すると、いわゆるキリスト教会の活動の動機が問われる。今、いわゆる成功モデルとされるボクシの動機は何か? 彼らの動機は、表向き人々を地獄行きから救い出すとするものの、それはオブラートであり、内にあるのは、これだ。
さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう。-Gen 11:4
かくして会員数千とか、三千とかを誇り、高速道路からも見える高い会堂を建てることがボクシの実績となる。いわゆるキリスト教会の会堂の典型を見てみよ。彼らはとにかく高くしたいのだ(苦笑)。

エデンの園で人類が喪失したものは、アイデンティティ(Identity)、YHWHの供給(Provision)、保護(Protection)、そして委託(Assignment)だ。私はこれをIPPAの喪失と呼ぶ。これを主から分離されたまま自力で再獲得する営みが人の生であり、それが社会を、そして歴史を構成する。
ボクシたちも同様である。いわゆる伝道や牧会の動機がIPPAの再獲得になっている。その動機がプラットホームとなり、そこに乗せられる人々(信徒)もその動機に自ずと巻き込まれる[2]キリスト教界のみでなく、世の中そのものにも言えることであり、その意味で、世は浮世狂言であると言える。。彼等もIPPSの再獲得をそのプラットホームの上で行い、それが達成されているような疑似満足を覚えると、その教会の教勢は強まるわけ。そのためにリック・ウォレンの『パーパス・ドリブン』など、諸々の教えや手法が用いられる[3] … Continue reading。

しかし、真に聖霊の導きに繊細な感受性を有する者は、そのプラットホームのいかがわしさを覚え、そこにいることに違和感を窒息感を覚えるようになる。ここから本当の主ご自身と真理の探究が始まる。ニッポンキリスト教の現状にそのような感覚を覚えることは霊的に正常であり、幸いなことと言える。が、しばしば彼らは自分に問題があるからとして、自分をそのプラットホームに適合させようとする。これを認知的不協和の最小化と呼ぶが、カルトのマインドコントロールの原理である。真面目な人ほど苦しむのだ。
このようにして構成された偽りの要塞がニッポンキリスト教である。それはかの戦争時に目に見える形をとって表出した。
からし種は樹木化してはならない。
主は言われた、何をどう聞くかによくよく注意せよ。その聞いた言葉は種として、あなたの心の中に撒かれ、根を張り成長する。いずれ、小さなアイデアは思想や主義して体系化され、政治屋により社会において施行されるとき、共産主義国家がなしたような億単位の虐殺も行われるのだ。
人生は、そして社会は、そして歴史は、この撒かれた種としての言葉が成長した実である。われわれが内に育てる種はもちろん主のロゴス。そのロゴスから生み出された存在がニュークリーチャー。
このとき、喪失したIPPAはキリストにあってすべて得ていることが分かるであろう。あとはそのサブスタンスを発掘し、実体化し、経験、享受することである。これがフェイスだ。
いま、フェイスとは願われる実体(サブスタンス)、まだ見ていない事実(プラグマ=成し遂げられた事)の現出(エビデンス)である。-Heb 11:1

スーダンで暴動が起き、邦人が避難しているようだ。ロシアはスーダンでの作戦は展開していないと表明している。しかるに、同時にロシアがスーダンに海軍基地を設けたとのニュースが流れている。西側とは異なり、アフリカ諸国は親ロシアが多いが、このニュースは聖書的に見るとどのような位置づけにあるのだろうか? イザヤ書を見てほしい。
18:1 災いだ、遠くクシュの川のかなたで羽の音を立てている国は。
18:2 彼らは、パピルスの舟を水に浮かべ海を渡って使節を遣わす。行け、足の速い使者たちよ。背高く、肌の滑らかな国、遠くの地でも恐れられている民へ。強い力で踏みにじる国、幾筋もの川で区切られている国へ。
18:3 世界の住民、地上に住むすべての人よ、山に合図の旗が立てられたら、見るがよい。角笛が吹き鳴らされたら、聞くがよい。
18:4 主はわたしにこう言われた。「わたしは黙してわたしの住む所から、目を注ごう。太陽よりも烈しく輝く熱のように暑い、刈り入れ時を脅かす雨雲のように。」
18:5 刈り入れ時の前に、花が終わり、花の房が実となり、熟し始めると、主は枝を刃物で切り落とし、つるを折り、取り去られる。
18:6 それはすべて、山の猛禽と野の獣に与えられる。猛禽は、それを餌として夏を過ごし、野獣もすべて、それを餌として冬を過ごす。
18:7 そのとき、貢ぎ物が万軍の主にもたらされる。背高く、肌の滑らかな民から、遠くの地でも恐れられている民から、強い力で踏みにじる国、幾筋もの川で区切られている国から、万軍の主の名が置かれた場所、シオンの山へもたらされる。
クシュはエチオピアであることはよく知られている。その川のかなたで羽の音を鳴らす国とは? ここで地図を見てほしい。川とは青ナイル、現在大エチオピア再生ダムが建造されている。その向こうには? そう、スーダンがある。

それは船を浮かべて、背の高い、肌の滑らかな国、軍事大国らしき国、そして幾筋もの川で区切られている国に使者を送るのだ。それは? これも地図を見てほしい。そう、ロシアだ。見事に、幾筋もの川で区切られていることは明らかであろう。

かくして、ロシアとスーダンの結びつきはイザヤ18章に預言されていると考えられるであろう。ちなみに、17章にはシリアのダマスカスが廃墟となる預言、19章にはエジプトが裁かれる預言が書かれている。
そしてこのイザヤ18章のによれば、何かの合図があると、太陽よりも熱い熱と厚い雲が立ち上る情景が描かれている。これを現代的に見ると、そう、核爆弾の爆発の光景の様である。主により剪定がなされた後、最後に、その国からシオンに貢物がもたらされると予言されているのだ。
ちなみにイランに関しては、エレミヤ49章に、主がエラムの弓を折ると預言されている。エラムは現在の核開発の拠点ブッーシェヘルの辺りに相当するが、その「弓」とはやはり核がもっとも相当するであろう。そしてエラムは世界に難民となるが、ついにはエラムに主の御座が据えられ、その繁栄が復活するのだ(Jer 49:36-39)。

ロシアもイランもイスラエルに敵対する国として預言され、確かにそのような布陣が整いつつあるが、果たして、これらの預言はいつ成就し、何を意味するのだろうか。ロシアもイランも核を使うリスクが高いことはこれらの預言から容易に推測し得るわけだが。いずれにしろ、時代は煮詰まっており、われわれは聖書預言の成就を現実に目撃する世代と言えるのかもしれない。

本格的なイスラム教学者による本書、浅薄なメディアに対抗してディープな分析を与える。まずルーズベルトは千島列島を与える約束をして渋るスターリンに日本を攻め込ませた。しかもワシントン講和にソ連は参加しておらず、今も日本とロシアは戦争状態なのだ。ゆえに北方領土も、北海道すら彼らの統治の下にあるわけ。
プーチンの目的はロシア正教の復興によるスラブ民族主義国家の建立。ピョートル大帝がモデル。ロシアこそが正教の中心であり、皇帝教皇主義によって宗教と政治の権威を自分に集中する意図がある。対してキーフはロシア正教から独立し、カト化しているため、宗教的活断層が存在する。つまりロVSウ戦争はNATOの緩衝地を確保することはもちろんだが、本質は宗教戦争なのだ。

文科省教科書で規格化された公立学校教師の授業などはつまらん。対して規格化されていない予備校講師の講義はその個性が発揮されて、多少のバイアスはあろうが面白い。現在、無料で彼らの個性的な講義が聴ける。
G-Kidの通う東大に80名前後入る進学校では教師が独自のカリキュラムで自由に教える。方針は予備校や塾に行かずとも内部で十分な情報と訓練を提供すること。本人や親にとっても二重の通学や学費負担から解かれる。部活も課外活動も活発。かくして当たり前に東大に入る。今後、鉄緑会などの超進学校に特化した処以外の予備校や塾も淘汰されるだろう。
ニッポンキ業界もYouTubeなどで規格化されていないDr.Lukeのようなメッセに触れるチャンスが生まれている。これが迷惑なセンセイもいるだろうが、規格化された不味い説教を半強制的に聴かせる囲い込みの終焉の流れはもはや止められない。あとは情報を選択する視聴者のモチベーションとリテラシーの向上次第でいくらでも質を高めることができる。
さらにディープラーニングによるAIなども今後幾何級数的に性能を向上させ、対話してる相手が人間なのかAIなのか区別がつかなくなるだろう。公立学校の退屈な授業などに出る必要もなくなるし、ボクシのつまらん説教を聞くために礼拝に出るまでもなくなる。
ダニエル書に―
終わりの時が来るまで、これらの言葉を秘密にし、この書物を封印せよ。多くの者があちこち訪ねまわって、知識が増すであろう。-Dan 12:4(岩波訳)
とあるとおりだ。
では人間がメッセする意義はどこに担保されるのか。それはスピリットであり、ゾーエだ。善と悪の判断すらAIができるようになるだろうが、いのちはAIが置き換わることは決してできない。イエシュアは言われた、
わたしが話したレーマはいのちであり霊である。人を生かすのは霊であって肉は何の役にも立たたない。-John 6:63
YHWHのエコノミーとはZoeのいのちの分与と成長・増殖である。
エロヒムの成長を成長する。-Col 2:19(原文、田川と岩波訳は正確)



本日の二冊。『食べログアワード』は辞書として使うとして、『バブル金融秘史』は、85年のプラザ合意から燃え上がったバブル経済の現場の証言だ。ぼくも20代後半でバブル経済に参戦したが、崩壊後の90年代から低成長時代へと、極私的回想録にもなっている。
なにしろ当時は銀行からいくらでも「借りてくれ」と頭を下げて来るわけで、30歳の若造もちょっと舞い上がるわけ。で、4,300万を皮切りに、不思議なもので一度借りると怖くなくなり、さらに1,300万を追加融資で米国の不動産投資に参戦。これが広末の『バブルへGO!』のテーマになっている、例の大蔵省による不動産融資総量規制で見事にポシャった次第。
かくして東京地裁で千人の原告団を組織して8年戦い、最終的には総額38億の残債をすべて消して、7億5千万の和解金をゲットした。途中、オウム事件や池田先生のレイプ事件もありで、東京地裁も物々しい雰囲気に囲まれた。
●原告団のWebに乗せた事件の解説(英語です)
相手方の裏にいた三菱信託銀行、三菱商事、長銀、日商岩井などを訴え、その前でプラカードをぶら下げてシュプレヒコールなども経験。公安に目をつけられたり、その筋では泣く子も黙る総会屋がバックアップしてくれたりと、けっこうおもしろい経験をさせてもらった次第。バブル期、銀行がいかにブラックな事を陰でしていたか、すべて見た。広末の『バブルへGO!』で劇団ひとりが将来を預けるはずだった長銀もすでにない。
恩田氏は大和証券の常務取締役として証言しているが、読み易いがなかなか読み応えがある。ノーパンしゃぶしゃぶで有名になったMOF担もしていたらしいが、大蔵官僚の接待は事実だったのだ。ちなみに高橋洋一氏は一切接待は受けなかったと。だから彼は無傷でこれたのだ(ちんけな事件に巻き込まれたが)。
何故今のニッポンはこんな体たらく状態に落ちているのか。もちろん大蔵省、そして財務省が元凶であることは言うまでもない。が、その前に、外国がジャパンマネーを恐れて、銀行の自己資本比率を8%以上に決めたいわゆるBIS規制が転換点だったことが分かる。
銀行は融資する際、現ナマから貸すのではない。たとえば100万預かり金があれば、準備率の逆数倍まで融資ができる。準備率が1%なら、100万/0.01=10,000万、つまり1億融資できるのだ。もちろん相手に返済能力がなければ不良融資となるが(与信審査)。この時、銀行のB/Sは、<貸付金10,000万/預金10,000万>となり、自己資本率は、「自己資本÷資産」だから、この融資分だけ減る(貸付金は銀行の資産)。バブル期、恩田氏によると自己資本比率は2%程度だったらしい。それが8%を求められる。ということは貸し剥がしをして、融資を回収する要があるのだ。これで一気に信用収縮が起き、不良債権が発生した。
ゴッホの「ヒマワリ」を50億で買ったり、アメリカの象徴ロックフェラービルを2000億で買って、アメリカ人のプライドを傷つけた報復を受けたとも言えるが。極私的には、米の超長期対日政策による四回の去勢を受けたと解釈している。<開国=政治的去勢>、<原爆=軍事的去勢>、<バブル崩壊=経済的去勢>、<原発事故=倫理的去勢>と。これらすべてにシカケがあり、わが国はおめでたくも乗せられたのだ。かくして精神分析的には対米的にエディプス葛藤が挫折しているため、この国はもはや立てない、つまり自立できない。
現在「保守派」を訴える人々が「日本の誇り」を回復せんと努力しているが、極私的には手遅れあるいは無理であると診断している。事実、私がかつて書いた論文で予言した通り、分裂病末期の陰性症状状態に陥っており、生命力も枯渇し、コロナ禍もあって昨年度出生数は80万を切り、独身率もどんどん上昇している。当時の男子学生でも、リアル女子は面倒だから要らない、ぼくは2D女子でいいと言っていた子がいたくらいだ。ちなみに韓国はもっと悲惨、特殊合計出生数が0.8とか? わが国より先に蒸発するであろう。
という次第で、この失われし30年、多分、取り戻すことはもはや無理だろう。少なくとも財務省の解体ができない限りはこのまま増税と緊縮財政でジリ貧の道を辿り(現在社会負担率は50%近くに至っている)、40年、50年に至ることは容易に推測できるところだ。GDPもいずれ世界の下位に落ちる。
三島由紀夫はかつて「極東に空っぽなある経済大国が残る」と予言したが、半分的中し、半分は外れた。すでに経済小国である。なのに岸田は過去の幻想のお花畑モードのままゼレンスキーなどに乗せられてあちこちに大盤振る舞い。しゃもじまでもって、ほんとバカな男だ。こういった輩が過去の資産を食い潰しているのが現代日本。その合わせ鏡がニッポンキ業界なのだ。極私的にはすでに20年近く前からこの二つは廃墟になると予言しているが・・・。

ME:心の底から感動できる人生の本質を表現する演劇を紹介してください
AI:心の底から感動できる演劇は、個人の感性や好みによって異なるため、一概にどの作品が最も感動的かということは言いがたいです。しかし、いくつかの代表的な作品を紹介します。
1.『レ・ミゼラブル』 フランスの小説家ビクトル・ユーゴーの同名小説を基にしたミュージカルです。19世紀のフランスを舞台に、人間の愛と苦悩、そして希望を描いています。数多くの名曲があり、特に「星に願いを」という曲は非常に有名です。
2.『ハムレット』 シェイクスピアの代表作であり、古典的な演劇の中でも最も知られた作品の一つです。主人公ハムレットの苦悩や運命を描いています。言葉遊びや哲学的な問いかけが多く、多様な解釈が可能です。
3.『アラジン』 ディズニー映画『アラジン』を原作としたブロードウェイミュージカルです。アグラバー王国を舞台に、貧しい青年アラジンと魔法のランプをめぐる冒険を描いています。ディズニーらしいファンタジー世界が楽しめます。
4.『リトルマーメイド』 ディズニー映画『リトルマーメイド』を原作としたブロードウェイミュージカルです。海の世界を舞台に、人間の世界に憧れる人魚のアリエルが、王国を救うために人間の世界へ旅立つ物語です。ディズニーらしいキャッチーな楽曲が多く、子どもから大人まで楽しめます。
これらの作品は、それぞれ異なる魅力を持っています。観客は登場人物たちのドラマや音楽、舞台演出などを通じて、感情移入や感動を体験することができます。

インフレ率による制限について言及していない点以外は正しい。
ChatGPTの回答:
MMTとは、「Modern Monetary Theory」の略で、現代貨幣理論と呼ばれます。MMTは、政府の財政政策に関する新しい経済理論で、主に以下の3つの主張からなります。
1.政府は自国の通貨を発行する主権的な権限を持っており、財政赤字を続けることができる
2.財政赤字は貨幣供給量を増やし、経済活動を促進するために有効な手段である
3.通貨発行権がある国家は債務不履行のリスクがないため、政府支出に対する財源の制約はない
MMTは、従来の経済理論であるニューケインジアン経済学や新古典派経済学とは異なり、貨幣供給量を中心に捉え、政府の財政政策が経済活動に及ぼす影響を重視します。ただし、MMTは議論の的となることが多く、経済学者の間でも意見が分かれています。

こんな記事が流れてきた。

2011年の記事を以前の記事を採録しておこう[1] … Continue reading。そこで高校数学の復習を。ローンの考え方は等比数列の応用だ。かつてアメリカではいわゆるサブプライム問題が起きた。年収300万の者が5,000万とかの物件をローンで購入した(させられた)のだ。これがいかに無謀なものか、次の計算で確認してほしい。
今、N万の物件を購入するとき、銀行から全額n年ローンで借り入れたとしよう。銀行はもしこれをn年間、金利rで運用していれば、n年後には
$$N(1+r)^{n} ……①$$
となる。
一方、借り入れた側は、年にa万円ずつ年末に返済するとする。初年度返済するa万はn年後には $$a(1+r)^{n-1}$$ に増加しているはず。翌年度のa万円はn-1年後に $$a(1+r)^{n-2}$$ 万円、・・・最終年度にはa万のままだ。すなわち、もし預金で運用していたら、
$$a(1+r)^{n-1}+a(1+r)^{n-2}+・・・ +a(1+r)+a$$
$$=\frac{a((1+r)^{n}-1)}{(1+r)-1} ……②$$
になるわけ。
そこで貸し手側の①と借り手側の②がバランスするように返済額aを決めればよいから、
$$\frac{a((1+r)^{n}-1)}{(1+r)-1}=N(1+r)^{n}$$
をaについて解くと
$$a=\frac{Nr(1+r)^{n}}{(1+r)^{n}-1}$$
と毎年の返済額が決まる。ちなみに借入額N=5,400万、r=0.06(6%)、n=30年として計算すると、
$$a=\frac{5400\cdot 0.06\cdot (1+0.06)^{30}}{(1+0.06)^{30}-1}=392.3$$
これを月になおすと、なんと32.7万円だ!要するに5,400万に対して返済総額は392.3×30=11,769万円。つまり1億2000万近く!
実はこれ、バブルの時の私の状況だったわけ(その後、証書を確認したら、実際は金利7.5%、借入額は5,510万円だったことが判明した・・・💦)。あの頃はこれだけ返済しても、金利の上昇で、年度末には未払い金利が100万近く積もって愕然としたものだ。おそるべし、住宅ローン!幸い、その後は低金利がずーっと続いているわけで、楽になった次第。
考えてほしいのだが、もしこれだけの返済をして、物件がこの総額未満になると見込めば、人々は購入などしないだろう。これがいわゆる不動産不況だ。インフレ率をr’として5,400万の物件は30年後に $$5400\cdot (1+r{}’)^{30}$$ になるから、
$$5400\cdot (1+r{}’)^{30}>12000$$
を解くと
$$r{}’>0.02$$
となる。つまり2%以上のインフレがないと、不動産は動かないのだ。ところが今はデフレ! しかもどぜう首相は所得税を上げると・・・(2011年のこの決定で安倍も消費税上げに追い込まれた)。一言、バカだ。東北の復興資金をねん出するためになら、アメリカの国債が80兆程度あるし、その金利だけも2-3兆はあるはず。これがどこへ消えているのか分からないのだ(100年償還の国債を発行すればよい。国債は国民の借金ではなく、資産となる。詳細はこちらを)。いざとなったら、米国債を売れよ・・・・と言いたいが、これをすると橋本さんの二の前になることを彼らは知っているのだ。
かくしてニッポンは何もなし得ず、国民様から搾り取ることしか考えていない。これで終焉を迎えつつあるわけ。最近何と、わがマンションのJALの機長さんが引っ越ししてしまった。わがマンションにはJAL関係者がけっこういるのだが、まさかあのニッポンの象徴JALが・・・以下略。
銀行は信用創造というカラクリで、例えば100万あったら、s=0.1(10%)を残して(準備金)、90万を貸出し、次も10%を残して81万を貸出しと繰り返すと
$$100+100(1-s)+100(1-s)^{2}+\cdot \cdot \cdot+100(1-s)^{n}+\cdot \cdot \cdot$$
$$= \frac{100}{1-(1-s)}=\frac{100}{s}$$
すなわち準備率s=0.1のとき、100/0.1=1000万になるのだ。銀行家はつねに現ナマを見ているのではなく、それを1/s倍した幻想を見ている。現に日銀発行残高は75兆程度だが、個人金融資産は1,200兆。普通預金でさえも300兆ある(2011年当時。現在は紙幣残高は120兆、個人資産は2千兆を超え、普通預金も400兆、企業の内部留保も500兆くらいあるらしい)。が、これはあくまでも帳簿上の数字。みんなが預金を取り崩そうとすれば、たちまちパンクする。これが信用クラッシュだが、これがまもなく起ころうとしている。そのとき政府は銀行口座を凍結するであろう。
みなさん、もしかしたら、今のうちに引き出して現金化した方がよいかも知れない。そして来たるべき近未来では、国の借金1,000兆をチャラにするために、ハイパーインフレを目論むかもしれない。というか、これしか策はないのだ。カネで持つのではなく、何か資産価値のキープできるブツに変えた方がよいかもだ・・(2011年当時、私も藤巻氏などのようにザイセイハタン論者だった。しかし、今のデフレで価値を生み出す能力(供給力)が毀損すると、マジでジンバブエ状態になりかねないところに来ている。つまりマネーはあっても生産力がないから、マネーの価値が担保できなくなるのだ。こうなるとハイパーインフレもあり得るわけ)。
そして面白いことは、主イエスご自身が金利の話をされている(Matt 25:27)。土の中にタラント(1タラントは6,000デナリ、当時のローマ兵の年俸は300デナリだから、20年分だ!)を埋めておいて、あなたは撒かないところから刈り取る過酷な方だから、と主人を責めた愚かな僕に対して、主は銀行に預けておくべきだった、と叱責されている。当時はまだ信用クラッシュは考慮されていなかったのかもしれないが、現在、もし主イエスが地上におられたら、はたしてこの不忠の僕になんと言って叱責されることであろうか?
そしてローンの真実を語るが、借り手の全員が完済することは原理的に不可能なのだ。なぜか? 今、10人の人がいたとして、まだマネー流通はない状態とする。ここで銀行が融資することで10人の間にマネーが回る。つまり銀行は万札を貸すのではなく、それぞれの口座に100万と記入するだけ。これが互い口座を巡るのだが、その総計は1,000万だ。そしてこれを返済するには労働してその流通マネーを得る必要がある。仮に平等にそれぞれが100万を得たとしても、それは元本分だけ。金利分はそもそもない! つまり金利分は誰かが破綻した分を他の者で分けるのだ。要するに椅子取りゲーム。これが現実である。
まことにマネーとは幻想。大衆の頭の中でそれに価値があると信じ込んでいる間だけ機能する。例えばゴールドとリンクしていたとしても、ゴールドに価値があると皆が思っているだけだ。極論すれば、みんなが信じていれば葉っぱでもいいわけだ。昔話にあったと思う、賢明に集めた金も目が覚めたら葉っぱだったと。まことに世は浮世狂言でございます。

東京裁判が終わり対日講話がなされたのが1952年、その数年後ぼくは大森に生まれた。その頃の東京下町はまだ戦争の傷跡が残り、白い着物をまとった手足のない傷痍軍人があちこちに見られた。映画の『三丁目の夕日』や『20世紀少年』の世界そのものだった。

GHQの刷り込みで「アメリカは自由と平等にして正義の国;日本は天皇マンセーで断罪された国」、「アメリカいいもん;ソ連悪もん」の単純な二元論的世界観に生きていた。学校給食はパサパサのコッペパンとまずいマーガリンと味のない脱脂粉乳。アメリカ軍の残飯だと言われた。
TVは「ララミー牧場」、「ローハイド」、「名犬ラッシー」、「宇宙家族ロビンソン」、「コンバット」、「逃亡者」など、アメリカのドラマばかり、キラキラしていた。
その後、60年代のケネディ暗殺・安保闘争・ベトナム戦争・月着陸、70年代の荒んだヒッピー文化・しらけ文化;一方ではモーレツ経済成長、80年代の黄金期バブルで「ジャパン・アズ・ナンバーワン」、90年代のバブル崩壊・ゼロ経済成長・阪神地震・サリン事件、2000年代に入って911や311、緊縮財政による経済停滞少子高齢化社会。そして今コロナ騒動、ウクライナ戦争と。
まあ、こうしてみると昭和はボラティリティ(変動幅)が実に大きいが、平成はその名のとおり平板な時代、そして令和は「和を令」される時代だ。あらゆることがデフレ化し、縮小均衡へ向かう縮み志向社会。ちなみに最近の若者は風呂なしの築5,60年の家賃3万ほどのアパートを好むらしい

80年代にアングラで言われていたディープステイトなどのシカケが2000年代に入って911やワクチンで表に現れてきた。白い連中の国家と白いキリスト教のヤラセや欺瞞も暴かれている。極私的には20年くらい前からGHQのWGIPによる刷り込みに気づき始めたが、ここへきてようやく真相の深層が見えてきた。911以降は特にだが、当時、現代は壮大なフェイクを見せられているとブログに書いている。
一方でまことにソロモンが言う通り、知識が増すと憂いも増すとあるとおり、この国のゆくへはどうなるのかと思うところ。敵の仕掛けた舞台装置の上で踊らされているだけの国、一応主権国家とされるも、岸田のアホヅラで分かる通りアメリカのポチである。リバイバル音頭を踊りたいニッポンキ業界には何らの実質的影響力もなく、過疎化限界集落に落ちぶれている。これが四回去勢を受けた国家の現状である。
覚醒が必要だ。緊縮財政による経済停滞も主権喪失も真実を知らないことによる。知識の欠如によってわが民は滅びる、と聖書にあるとおり。GPS(God Positioning System)により自分の現在位置と向かっているベクトルを知ること。そのベクトルも必ずしも自由意志で選んではいないのだ。巧妙に誘導された結果、現在の様を呈している。
世は所詮浮世狂言であるが、その人生ゲームにおいて何に導かれるのか。聖書では諸霊(ストイケイア)とか時代の霊(アイオン)と呼ばれているが、これはいわゆる「世間の風」とか「社会の空気」(山本七平)として感知される。今のニッポンは糸の切れたタコ、風の吹くままにふらふらと、あるいは波に揺られるクラゲ、その象徴がポチ面の岸田である。対して安倍は一応自覚はあったのかもしれない。
かくして聖書予言的にはあらゆる領域で終わりの時代の兆候を見ることができる。ノンクリの方々には話が飛躍し過ぎで、ほぼ妄想話であると思うが、「イエシュアは戻る」というのがわれわれの信じるところだ。最終的にはその時に真の正義と平和が実現する。それまでこの国にはどんな存在意義があるのだろう。単なる生存舞台としての国家なのか、あるいは一部のクリが言うように、ユダヤの血を引く聖書的意義を持つ国なのか。正直これが今でもわからない。
・・・・が、とりあえず僕は今日も生きるわけで。

世事 都て訛たり 一石
當年 風貌 細腰(さいよう)多し
浮客 時を痛む 髪己(すで)に皤(しろ)し
何(なん)ぞ人生に耐えん 胡蝶の夢
今に到り識(し)る可(べ)し 事都(すべ)て訛(か)なるを
※訛=フェイク

東京裁判の法源は国際法ではなく、マッカーサーの「チャーター」に過ぎない(☞マッカーサー関連過去記事群)。その彼が朝鮮戦争でトルーマンに更迭され、対抗するために述べた自身の言葉で大統領への道も絶たれた。これは彼の最後の良心の吐露であったと思う。今、パール判事の判決が光る時代へと転機すべき時が来ている。
本書で渡部昇一氏は東京裁判は政治による復讐ショーであるとし、その理由は中世の騎士道を知らない新興国家アメリカ・プロテスタントの精神性の低さによると喝破している。現在でも福音がショービジネス化していることもむべなるかなである。根底にアメリカキリスト教の病理が潜むのだ。

かくしてマッカーサー自身、東京裁判の「二度と戦争を起こさないために裁く」という大義名分が無意味であることを認めるのだ。つまり法源である自身の判断の誤りを告白する。朝鮮戦争で骨身に沁みたのは、真の敵は日本ではなく、中国・ソ連であったのだと。これが”It’s doesn’t work.”の真意である。
しかし、日本の特に左系の連中はGHQにへつらい、その利権を得て勃興した者がいた。メディアもGHQによる統制により言論空間が歪んだことは江藤淳が『占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間』において分析している。近々の書としてはケント・ギルバードの『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』が読みやすい。日本基督教団なども姑息にもGHQに媚びて生き延びたわけ。現在もGHQによるMC(War Guilty Information Program)によってニッポン人の精神はマヒしている。その象徴がこのバカ面(ポチ面とも言う)である。

米の病理はインディアンを虐殺した事実を抑圧し、自己欺瞞を正義と自由平等の標語で隠蔽。これがマッカーサーのように自我分裂として表出する。ブッシュ親子の戦争でもウクライナへの干渉においても言える。「中東の春」なども米の病理的干渉で悲惨なことになっている。たいてい「正義」を唱えるところには国家においても個人においても自己欺瞞が潜んでいるものである。この時、同じような事を繰り返し行うが、これを精神病理的には強迫反復と呼ぶ。
東京裁判では戦勝国側の犯罪はキーナンにより一切不問とされた。A級戦犯は「平和に対する罪」なる事後法によって裁かれたが、もっとも問われるべきは罪なき一般人を30万人も核で焼き殺した米国、これこそが平和のみならず、人類に対する本質的な罪である。
東京裁判についてはマッカーサー以外にも次のような証言がある:
・マッカーサー-はい。太平洋において、我々は、彼らを回避して、これを包囲しました。(中略)・・・日本は産品がほとんど何もありません、蚕(絹産業)を除いて。日本には綿がない、羊毛がない、石油製品がない、スズがない、ゴムがない、その他多くの物がない、が、その全てがアジア地域にはあった。日本は恐れていました。もし、それらの供給が断ち切られたら、日本では1000万人から1200万人の失業者が生じる。それゆえ、日本が戦争に突入した目的は、主として安全保障(security)の必要に迫られてのことでした。
・ウィロビー将軍-この裁判は歴史上最悪の偽善だった。こんな裁判が行われたので、自分の息子には軍人になることを禁じるつもりだ。日本が置かれていた状況をと同じ状況に置かれたならば、アメリカも日本と同様に戦争に訴えていたに違いないと思うからである。
・レーリング判事-国際裁判所が正義に基づいて処罰を加えることを求められているにもかかわらず、自ら正義の法理を適用しているか否かを審査する機能や義務さえ与えられないで、単に戦勝国の最高司令官の定めた法規を適用しなければならない。かようなことを本裁判所が認めるとすれば、それは国際法のためにこのうえなく有害なことをしたことになるだろう。
・フーバー-もしわれわれが日本人を挑発しなかったならば決して日本人から攻撃を受けるようなことはなかったであろう。
・リンドバーグ-ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、われわれは太平洋でも日本人に行ってきたのである。・・・地球上の片側で行われた蛮行はその反対側で行われても、蛮行であることには変わりがない。「汝ら人を裁くな、裁かれざる為なり」。この戦争はドイツ人や日本人ばかりではない、あらゆる諸国民に恥辱と荒廃をもたらしたのだ。
・ライシャワー-軍事法廷はかく裁いた。だが歴史は、それとは異なる裁きを下すであろうことは明らかである。
・プライス(米陸軍法務官)-東京裁判は、日本が侵略戦争をやったことを懲罰する裁判だが、無意味に帰するからやめたほうがよかろう。なぜならそれを訴追する原告アメリカが、明らかに責任があるからである。ソ連は日ソ中立条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任ではなく、戦後に千島、樺太を譲ることを条件として、日本攻撃を依頼し、これを共同謀議したもので、これはやはり侵略者であるから、日本を侵略者呼ばわりして懲罰しても精神的効果はない。
そしてパール判事こうまとめた:
時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が虚偽からその仮面をはぎ取ったあかつきには、そのときこそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう。

これはかつてリバイバル新聞に書いた記事の再録である。この事件は戦後ニッポンの病理の象徴であったと思える。
傍観者の病理
今般、中国瀋陽の日本総領事館に五名の北朝鮮の亡命希望者が逃げ込もうとした際、中国側警官が治外法権であるべき敷地内に侵入し、五名を捕縛する事件が起きた。日本側職員は呆然とただ見ているだけであった。
北朝鮮のテポドンミサイルが日本の領空を横切った事件や、北朝鮮による拉致問題なども未解決のままである。これらの事件を見るたびに、つくづく日本は主権国家ではないことを認めざるを得ない。自国の主権の及ぶ領域において、相手方のやりたい放題を許している。何という体たらく・・・。
翻って国内でも政治家、企業、学校、病院、そしてキリスト教界においてすら、種々の情けない問題が起きているが、そこには当事者能力を失った、というよりは放棄した形での「傍観者の病理」が蔓延している。その本質はあなた任せの「受動性」である。
サタンの侵略方法
霊的領域では「受動性」は致命傷となる。神のかたちに造られた人間が罪によってその栄光を失って以来、サタンは人間の主権を侵害し続けている。私たちはすでに闇の支配から御子の支配に移された存在であるが(コロサイ一・13)、神の子としてのアイデンティティが脆弱であるために、主権と権威を行使しないでサタンの侵略を許している人々があまりにも多い。そしてサタンの罪定めや中傷に身を任せ、その脅しの「声」に怯えている。これらの人々の特徴はやはり「受動性」である。
カルト化の病理
彼らは自らの意志決定と主権の行使を放棄し、治外法権であるべき霊的領地内に敵の侵入を許し、呆然と立ち尽くしている。時には霊的な「声」ではなく、牧師や”預言者”の言葉を、御言葉や内的証しと照合することなく、無防備に受け入れ偽りに束縛されている。例えば「○○新聞は読まない方がよい」とか「□□師の教えは危険である」といった暗示的示唆を自ら吟味することもなく真に受ける人々は、自らの有する神の子としての主権を自ら放棄していると言える。パウロの言葉すら主体的に聖書と照合したベレヤ人に倣うべきである(使徒十七・11)。
今日看板は”正統”であっても少なからぬ教会がカルト化しているが、その初期の兆候に情報のコントロールがある。「ハリポタ論考」でも触れたが「認知的不協和の理論」を提唱したフェスティンガーは、カルトの方法として、行動の統制、思想の統制、情緒の統制をあげ、さらにハッサンは情報の統制をあげている。マインドコントロールの方法の基礎理論である。この際情報の統制に成功すれば残りの要素を統制することはきわめて容易である。たとえ”正統な教会”であっても何らかの形で情報の統制があれば、遅かれ早かれカルト化するのは明らかである。
こうして「受動性」を作り上げ、行動、思想、情緒を統制し、自ら責任ある自立した信徒としての霊的アイデンティティを脆弱にし、ついには主権を放棄させるに至る。これがカルトの方法である。
初期攻撃警戒網の確立
サタンのイニシャル・アタックは、今回の中国警官のように、不法かつ強引に敷地内に侵入し、私たちの霊的城壁に穴を開けることである。仮にその侵入が軽微なものであっても、それを許した事実は更に敵に付け込ませるスキと立場を与え、穴は徐々に広げられ、気づいたときには修復が困難になる。敵の軽微な違反と攻撃―イニシャル・アタック―を警戒し、主の血によって確実に阻止すること、これが霊的な戦場における要諦である。
加えて現在の日本の教界にあっては、神の御前における単独者としての自立した信仰者のアイデンティティと主権を回復することが急務である。神はつねに「あなたは」とニ人称で問いかける方なのである(ヨハネ二十一・22)。
今日のニッポンはGHQの仕掛けたWGIP(War Guilty Information Program)により、自責感を植え込まれ、自律して意思決定する姿勢を奪われている。すべての領域において「あなた任せ」の状況である。最近、ようやく国防費を増額する決定をしたが、それも増税によると[1]なぜ国債を出せないのか、これはGHQの仕掛けた「財政法」による縛りのためである。これについてはこちらを参照。。また仕入れる兵器もどうも賞味期限切れのシロモノのようでもある。
ちなみにかつての太平洋戦争はアメリカやイギリスの仕掛けに乗せられたものであって、東京裁判は事後法に基づき、管轄権なども無視した不当な裁判であったことが、すでにパール判事の判決をはじめ、多方面の証言から明らかになりつつある。
例えば、太平洋艦隊司令官セオボルト少将は、真珠湾は日本に最初の一発を打たせるためのオトリだった、とその著書で証言している。ルーズベルトはその前にすでに秘密命令で戦争司令を発令していたのだ[2]ルーズベルトはガリガリの社会主義者にして、人種差別主義者であった。。また東京裁判の法源である「極東国際軍事裁判所設立に関する特別宣言」を出したマッカーサー自身が、日本が戦争に突入した目的は、主として安全保障(security)の必要に迫られてのことでした。と証言している。
さて、様々な分野が食い荒らされているこの国ではあるが、このビデオはかなり衝撃的だ。自分自身、無知というか無関心だった領域だが、食料は国防の根幹であるにもかかわらず、国はこの分野を保護し育てる気はないらしい。食料自給率はすでにカロリーベースで38%だ。この現場の声が政府に届くのか?
その政府の長岸田は、インフレ率以上の賃上げをお願いしたいと。まことに高橋氏の苦言の通りである。
主体性、つまり主権国家としての体をなしていないのだ。以前より私は、日本は米の超長期的対日策(オレンジ計画とも言われる)により、<開国=政治的去勢>、<原爆=軍事的去勢>、<バブル崩壊=経済的去勢>、<原発事故=倫理的去勢>を受け、エディプス葛藤において挫折している故に、精神病理的に診て自立はできないと言っている。今回のコロナ騒動もその兆候の顕著な現れであるが、22年度の新生児数は80万を切る予測もある。
白人主導の世界の動きはノアの予言の成就とも言える。すなわちヤペテ(白人種の祖)はハム(黒人種の祖)を奴隷として、セム(黄色人種の祖)の天幕の覆いのもとでその領地を広げ、繁栄するのだ(Gen 9:27)。日本人はこの予言に挑戦しているとも言える。
ともあれ、この国が復活するためには、目先はまず経済の立て直しだ。そのためにはマネーの本質の理解を得る必要がある。今の国債は借金だ、財政破綻する、子孫にツケを残すなというPB黒字真理教の呪縛から解かれる必要があるのだ。そして本質的にはWW2の真実を知ること、GHQによるWGIPの刷り込み(罪責感)から解かれることが先決である。サタンの手法は人をして罪意識を持たせること、それにより人は無力化され、受動性に陥り、あなた任せ、アパシー状態に幽閉される。これはニッポン社会と合わせ鏡であるニッポンキキリスト界において顕著に観られる兆候である。

結局はプラトンが言う通り、リアリティーとの接点であるマインドが「リアリティー(=リアリティーのパーセプション)」を作り出す。マインドを変えれば、その「リアリティー」も変えることができる。すると意思決定も変わる、結果もついてくるのだ。スピリチュアルにもソーシャルにも、マインドのトランスフォーメーションがカギである。
References[+]
↑1 | なぜ国債を出せないのか、これはGHQの仕掛けた「財政法」による縛りのためである。これについてはこちらを参照。 |
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↑2 | ルーズベルトはガリガリの社会主義者にして、人種差別主義者であった。 |

天皇制は共産党の造語らしい。制度は変えることができる。が、馬渕氏などは天皇は憲法も超越すると。国家は憲法により規定されるが、天皇が総べる国体はいわゆる近代西洋思想的国家ではないのだ。天と地を結合する霊的存在だとも。この点、われわれのフェイスとコンフリクトが起きる。
すなわち馬渕氏らにとっては国家は単なる箱物としての地的機関であるが(憲法学者の宮沢は天皇機関説を唱えたが)、国体は霊的な存在なのだ。左翼は前者的スタンス、右翼は後者的と言える。精神病理的には国体は集合的無意識に基づくもの、それが日本神話だ。だから天皇がいないと国家は存立し得ても、国体は消失する。
ニッポンは国家のフレームで、日本は国体において定義され、成立する。極私的にもニッポンは嫌いだし、ニッポンキリスト教などはGHQの置いていった置物に過ぎない。だから日本人の精神性とは相容れない。なにがしかの嘘臭さを人々は感知しているのだ。興味はあるが遠巻きに見てるだけ。
が、ジーザスは日本人の深層心理には浸透し得る。だから僕もクリスチャンでいるのだ。要するに人工的なニッポン国家が生来の日本国体を覆い隠してきた戦後70年、国家のフェイク性が明らかになってきて、人々は国体に覚醒しつつあると言える。というか、自分が何者であるのか、自分のアイデンティティーとルーツ探しをせざるを得ない時代なのだ。そんな中で例の『日本国紀』などが爆発的に売れているわけ。
ニッポンキ業界の一部では、天照はジーザスのことであり、日本神話は聖書の書き換えであるとか、天皇家はダビデの血統であるとか、何とかクリスチャン・フェイスと国体を両立させようとするむきもある。これは日本人としての抑圧されている集合的無意識と霊的真理を妥協させんとすることだ。まあ、すでにニッポンキ業界をガチで相手するのもあほらしのだが。ご勝手にどうぞではある。
聖書ははっきりと言っている:血肉は何の意味もない。エクレシアはニュークリチャー、新創造であって、地のものではないのだ。さらに、魂(精神)のものでもない。だからクリスマスなどは騒ぐものではないし、ジーザスが地上に生まれたことを祝うのも極私的には違和感だ。大切なのは割礼の有無(=地的在り方)ではなく、新しく造られること。そしてこの法則によって生きることなのだから。
「このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。」-ガラテヤ6:14-16
クリスチャンは国体でもなく、国家でもない、別の権威の系統と領域に生きる存在である。

放射能汚染土の再利用:原発基準の80倍|まさのあつこ 地味な取材ノート @masanoatsuko #note https://t.co/Gf1aCNoJeX
— ふくしま30年プロジェクト (@info_fukushima) December 20, 2022
この状態で汚染土を薄く広くまいてしまおうと言うわけだが、大衆はもはや放射能にはほとんど反応しない。福島については私の調査結果を参照されたい。
一方、コロナウイルスはセオリー通り弱毒化して、致死率もインフルエンザよりも低くなっているのに、ワクワクと大衆は踊らされている。

その結果、超過死亡数は次のとおりである。


霊的エンティティがわれわれのマインドにコンタクトできることは聖書の啓示するところである。
同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。-Gal 4:3
しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。-Gal 4:9
諸霊(ストイケイア)は私達のマインドに種をまき、それを思想に育て、実行化する。マルクスが使徒行伝(Acts 2:44-45)の記述からヒントを得て、共産主義を打ち立て、政治形態として実行し、1億近くの人々を虐殺したことは歴史が教えるところである。現在も一部の国々でこの政治形態は継続する。
昨日のTV番組で櫻井よしこさんが、中国は日本国内に警察を置き、諸々の情報を集めるとともに監視を行い、制空権、制海権のみならず、制情報権、そして制脳権を主張していると指摘していた。制脳権とは初めて知ったが、なるほどである。まさにジョージ・オーウェルの『1984』の世界である。
この世界ではビッグブラザーと呼ばれる独裁者が大衆を監視し、その統治下に素直に従えばいちおう食えるが、逆らうと、たとえそれが思考の領域においても、処罰される。
そのスローガンは『寡頭制集産主義の理論と実践』の各章の題名に従い-
- 戦争は平和である
- 自由は屈従である
- 無知は力である
つまり為政者側にとっての価値観であり、大衆はこの矛盾した命題を否応なく飲まされるのだ。4つの省により大衆は思考まで監視され、支配されている。その構成はまさにピラミッド型であり、上位の2%の指導者が大衆をコントロールする。
ここで注目すべきは、その支配の3つの手法である(以下WIKIより抜粋)。
- ニュースピーク (Newspeak、新語法)は、思考の単純化と思想犯罪の予防を目的として、英語を簡素化して成立した新語法である。語彙の量を少なくし、政治的・思想的な意味を持たないようにされ、この言語が普及した暁には反政府的な思想を書き表す方法も考える方法も存在しなくなる。
- ダブルシンク(doublethink、二重思考)は、「1人の人間が矛盾した2つの信念を同時に持ち、同時に受け入れることができる」という、オセアニア国民に要求される思考能力である。「現実認識を自己規制により操作された状態」でもある。
- ダブルスピーク(doublespeak、二重語法)は、矛盾した二つのことを同時に言い表す表現である。『1984年』作中の例でいえば「戦争は平和である」や「真理省」のように、例えば自由や平和を表す表の意味を持つ単語で暴力的な裏の内容を表し、さらにそれを使う者が表の意味を自然に信じて自己洗脳してしまうような語法である。他者とのコミュニケーションをとることを装いながら、実際にはまったくコミュニケーションをとることを目的としていない。
ダブルシンクにより2+2が5にもなり、さらに、歴史(過去)が常に書き換えられることにより、現実認識ができなくなる。心理学的にはダブルシンクやダブルスピークは認知的不協和と言われる。ヒトは自分の世界モデルや価値観に相反する認知をすると、内側に落ち着かなさを覚え、不安と緊張を覚える。二つのものにより心(特にマインド)が引き裂かれる状態である。
この不安と緊張を解消するためには、自分の側に間違いがあるとするか、その認知の対象が間違いであるとするしかないが、しばしば自分の思い、意志、感情を書き換えることにより、不安と緊張から解かれようとする。こうして認知の対象に自分を合わせていく。これがフェスティンガーの唱えたカルトなどによるマインドコントロールの原理である。詳細はこの論文をどうぞ。
ワクチンや統一教会にハマル人々も同じ心理状態である。当初得体の知れないワクチンや文鮮明に違和感を覚えつつも、自分の内面を書き換えることにより、相手に合わせるのだ。かくして一度ワクチンを打つと、たとえどんな副作用や障害が生じようとも、それを認めることはできなくなり、何度も自ら打つことになる。統一教会に献金や奉仕する人々も同じである。彼らは一度そちらに自分を誘導したために、方向転換(メタノイア)ができない。
実は、このような現象はいわゆる「正統キリスト教」においても起きていることである。彼らは神学用語の中に神を閉じ込めようとする。特にニッポンキリスト教において、「信仰」、「教会」、「牧師」、「悔い改め」、「恩寵」、「聖化」、「敬虔」などの単語により、聖書のオリジナルな真理は隠蔽される。そしてこの日本語の意味に基づいて思考が誘導され、そこにある種の価値観(意義)が付与され、集団において共有されるとひとつの宗教体系としてのニッポンキリスト教が構築される。究極的にそのような集団が何をなしたかはWW2当時の日本基督教団を見ればわかる。
そしてその世界の中で生きるほどに、その体系(マトリックス)に即したアイデンティティを確立し、同時に自己努力を注ぐほどにプライドが育つ。自らそのマトリックスに自分を馴らしていくわけである。いわゆる教派とか宗派なるタコツボ・キ業界の中のサブ・ユニットも同様のメカニズムで形成される。それは全体の相似図形としての部分、つまりフラクタルである。
中国の提唱する制脳なる手法は、まず言葉を統制すること、それにより思考を誘導する。邦誤訳を後にして聖書の純粋な言葉へと常にターン・トゥする必要があるのだ。ヘブル人とは渡る人。古いものを脱ぐ捨て、新しい領域へと絶えず渡りゆく人である。そのためには言葉を改めること。
いわゆる「聖化」と言われるプロセスは、マインドのトランスフォームから開始される(Rom 12:2)。昆虫が脱皮を繰り返して、蛹になり、いったん内部が溶解して、新しい姿へと変態し、ついにあの蝶の姿へと変わる。うちにロゴスが撒かれ、内在化されたエロヒム属のうちにキリストが構成され(モルフォー)、同時に私達の魂(特に思い)のうちに霊が染み込み(Eph 4:23)[1]原語は「思いの霊において新たにされる」。、私達の魂もキリストのそれと同型化されていく。これがメタモルフォーシスである。
References[+]
↑1 | 原語は「思いの霊において新たにされる」。 |
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すでに主のからし種が育ってどんな野菜よりも巨大になり鳥が巣を作る樹木に至ることの意味を説いた。これは啓示録2-3章の七つのエクレシアが歴史的展開を予言していることとも関係することも指摘した。
軽く復習しておくと―エペソ(=好ましい)においてニコライ派(教団教職制度)の行いが入り、スミルナ(=苦難)で迫害を経験し、ペルガモ(=結合)で世との混合がなされてニコライ派の教えが確立、サタンの座が設定される。続くテアテラ(=香の祭事)でイゼベルが仕切る仰々しい儀式が確立、そこにはサタンの深みが存在し、サルデス(=残りの者)でいわゆる宗教改革がなされるも、実質は死んでおり、フィラデルフィア(=兄弟愛)においてわずかの力でも証しを守り、ラオデキヤ(=民衆の意見)では豊かになった、目が見えるとしつつ、実体はその逆であり、イエシュアを追い出している。
見かけは立派でも、そこには邪悪な鳥や獣が自分のよすがとして集まる場、まさに現在の世のひとつの組織・機関と堕したキリスト教の姿である。この様を私はエジプト・バビロン化していると言ってきている[1]バベルの塔の動機は「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」であった(Gen … Continue reading。その最期は次のように啓示されている:
天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。
すべての国の民は、怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、地上の商人たちは、彼女の豪勢なぜいたくによって富を築いたからである。」
わたしはまた、天から別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。
彼女がおごり高ぶって、ぜいたくに暮らしていたのと、同じだけの苦しみと悲しみを、彼女に与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『わたしは、女王の座に着いており、やもめなどではない。決して悲しい目に遭いはしない。』
それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。また、彼女は火で焼かれる。彼女を裁く神は、力ある主だからである。」-Rev 18:2-8
物を隠すのにもっとも発見しにくい場所はどこか? それは大衆の目が置かれる公衆の場である。サタンが隠れてその仕業をするには、まさかのキリスト教の中がもっとも適していることは分かるであろう。キリストはキリスト教なる宗教を作るためにロゴスが肉体を取られたのでもないし、聖書はキリスト教の経典でもない。キリスト教の偽善を告発したニーチェは、キリストとキリスト教を同一視したためにあのような最期を遂げたのだ。見事にサタンに騙された末路である。
これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。-2Cor 2:11
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。-Eph 6:11
この新改訳における「策略」とある原語は、前者はnoema、後者はmethodeiaである。noemaとは意図・動機・思惑であり、methodeiaは方法・手法・姦計である。つまりサタンはその意図や思惑を具体的手法や方法によりこの世界に実体化する。その拠点として、まさにキリスト教は絶好の場である。
怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。-Eph 4:26-27
この「機会」とある原語はtopos、それは足場・手がかりの意味である。サタンはこちらの心の中のtoposをフッキングする。つまりこちらに何か聖霊による以外の意図や動機や思惑がある場合、サタンはそれに応じたエサを投げてくるのだ。決して彼は無理強いはしない。そのエサに喰いつくときも、私たちは自由意志で選んだと思わされるのだ。カルトによるMCやセールスの巧妙なやり方も同様である。そもそも自由意志なるものは幻想である。
同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。-Gal 4:3
さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。-Eph 2:1-2
つまり諸霊が我々のマインドに働きかけ、それに応じて意思決定をさせられていたのだ。だから奴隷である。クリスチャンであっても、動機や意図に不純なものがあれば、そこにピンポイントで働きかけてくる。「自分は自分の人生を自分で選んで、誰にも縛られず自由意志によって生きている」などという錯覚に陥ることは致命的である。
イエシュアと物理的に接していたユダもなんの動機や意図だったのかはわからないが、サタンは彼のうちに裏切る「思い」を入れた(John 13:2)。マインドはストイケイア、アイオーン、さらにサタンなどの霊的エンティティとの接点である。それに従って意志決定した彼の末路は言うまでもない。

マルクスも使徒行伝の兄弟姉妹が物を共有し、資産を分かち合っていたとする記述から共産主義の着想すなわち種を得て、それを成長させて思想とし、共産党として政策により実行したのだ。その末路は人類史上最大の虐殺を行ったことは言うまでもない。
エペソでニコライ派の種がまかれ、ペルガモで育ちサタンの座が据えられ、テアテラで中世の暗黒時代、サルデスでその娘たちとも言えるプロテスタント諸教派が生まれたが、まさにキリスト教の巨大樹木化と共産主義の成長は同じプロセスを再現している[2]ニッポンキリスト教とニッポンが合わせ鏡であるように、キリスト教と共産主義も同じと言えるかもしれない。共産主義は立派な宗教である。。どちらもその中で自己の生存の担保(=生活の保障と食い扶持の確保)とアイデンティティおよびプライド(=自己価値の確立)のよすがとする。これが鳥や獣が集まる動機である。

この図はエクレシアの実質(野菜)が諸霊と人間の肉により修飾されて巨大化する過程を描いたものである。現在の問題はエクレシアが巨大化したキリスト教の中に幽閉されていること。キリストと聖書がキリスト教の専有物であるかのようにみなされていることだ。巨木は虚木である[3]これは善悪を知る知識の木の成長した姿とも言える。対してエクレシアはいのちの木の増殖であり(Col … Continue reading。主は「わたしが地に戻るときに地上に信がみられるであろうか」と言われるのだ(Luke 18:8)。

この意味で私は20年以上にわたり、キリスト教をエクソダスせよと訴えている。それはエレミヤ書16章においてイスラエルに呼びかけられているとおりである。啓示録の七つのエクレシアで言えば、フィラデルフィアである。彼らは力はわずかであったが、主によって御名と御言葉を否まなかったとして賞賛され、叱責の言葉はスミルナとともにまったくない。そして神の名と、神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、主の新しい名を書き記していだけるのだ(Rev 3:7-13)。
References[+]
↑1 | バベルの塔の動機は「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」であった(Gen 11:4)。まさに現代のボクシたちの切望するところであろう。サタンはこの自分の住処を暴かれることをもっとも嫌うであろう。ゆえに私の指摘にはキリスト教徒からの聖書の論理を無視した感情的反応がなされるであろう。 |
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↑2 | ニッポンキリスト教とニッポンが合わせ鏡であるように、キリスト教と共産主義も同じと言えるかもしれない。共産主義は立派な宗教である。 |
↑3 | これは善悪を知る知識の木の成長した姿とも言える。対してエクレシアはいのちの木の増殖であり(Col 2:19)、それはブドウの園であり、また一粒の麦の増殖である麦畑である。 |

すでに東北大の研究によるとCovid-19が人為的な要素によって遺伝子がいじられている可能性が出ている。
今回、さらに筑波大が次のような報告をしている。
これは、オミクロン株のスパイクタンパク質の変異が、人工的な遺伝子組換えなどの、自然界にない何らかのプロセスを経ている可能性を強く示唆しています。
よってこれに対するmRNAワクチンとは何?ってことを、たとえばこのグラフなどを見て考えるべき時であろう。


ワクチン接種数世界NO.1、マスク着用率世界NO.1、そして感染数世界NO.1。その意味は猿でもわかるでしょう。分からない人は分かりたくない人である(認知の選択的透過性という)。そしてなんと次のような論文が出ている(査読済み)。ワクチン未接種車よりもワクチン接種者の方が感染力価が高い、つまりウイルスをばらまき易いことのである!(図C)
かくして台湾では接種者死亡数がコロナ死亡数を超えたとのことだ。
🇯🇵日本で基礎疾患の男性死亡とニュースになっているが、お隣の🇹🇼台湾ではワクチンによる死亡者がウイルス感染による死亡者を上回っていると報道されている。pic.twitter.com/h08vghJZzf
— ワクチン後遺症の被害を防ぎたい (@Novaccinekita11) November 18, 2022
オーストラリアでは子供において台湾と同様の事態になっている模様。
🇦🇺オーストラリア
— ワクチン後遺症の被害を防ぎたい (@Novaccinekita11) November 18, 2022
⚠️ワクチンで死亡した子供の数がコロナウイルスで死亡した子供の数より多いことが判明
ワクチン後遺症pic.twitter.com/6qbuConzDz
本日、友人のワク接種者の御父上が心不全で逝かれたとの連絡が。ぼくより若い方だ。ご家族に慰めがありますように。

またバスの運転手が意識不明になると言った事故も多いし、スポーツ選手が心臓で逝くケースも増えている。極利的にも昨日、健診に行ったクリニック前の道路上で人が大の字に倒れていた。そこにはERがないために、救急車を呼んだがなかなか到着せず、なんと消防車が来たのだ。車を運転していると分かるが、とにかく救急車がよく走っている。
お互いのためにワク接種を~、で、かえってウイルス拡散。国の借金を減らすためPB黒字化~、で、みんなで貧困化。さあ、いつもニコニコボクシ顔。ニッポンもニッポンキ業界もバ〇と〇ホの絡み合い。この国、ほんとうに実にオメデタイ、というより、将来が消えつつある感じだ。
追記:当初言われていた通りだ。わが国のファクターX、これがワク接種で消去されたようだ。☞BCGが本物コロナワクチンです(@niko video)

このポストは先のこの記事の続編として具体的事例を紹介する。天下のニッポンキリスト教の象徴たる日本基督教団の歴史である。
ここで主はあえてどんな野菜よりも大きくなると指摘する。考えてみよ、なぜあえてどんな野菜よりもと言われるのか。比較対象として野菜はまことにふさわしくない。なぜなら野菜は決して巨大化はしないからだ。ここで主が指摘されたいことは巨大な木へと変質することである。その木には鳥が安全な場所、つまり自己の生存の担保を求めて集まるのだ。John Darbyは次のようにコメントする:
That which had been sown as a grain of mustard-seed becomes a great tree; a symbol that represents a great power in the earth. The Assyrian, Pharaoh, Nebuchadnezzar, are set before us in the word as great trees. Such would be the form of the kingdom, which began in littleness through the word sown by the Lord, and afterwards by His disciples. That which this seed produced would gradually assume the form of a great power, making itself prominent on the earth, so that others would shelter themselves under it, as birds under the branches of a tree. This has, indeed, been the case.
We next find that it would not only be a great tree in the earth, but that the kingdom would be characterised as a system of doctrine, which would diffuse itself — a profession, which would enclose all it reached within its sphere of influence. The whole of the three measures would be leavened. I need not dwell here on the fact that the word leaven is always used in a bad sense by the sacred writers; but the Holy Ghost gives us to understand that it is not the regenerative power of the word in the heart of an individual, bringing him back to God; neither is it simply a power acting by outward strength, such as Pharaoh, Nebuchadnezzar, and the other great trees of scripture. But it is a system of doctrine that should characterise the mass, pervading it throughout. It is not faith properly so called, nor is it life. It is a religion; it is Christendom. A profession of doctrine, in hearts which will bear neither the truth nor God, connects itself always with corruption in the doctrine itself.
(DeepL訳)一粒のからし種として蒔かれたものが大樹となり、地上の大きな力を表す象徴となったのです。アッシリア、パロ、ネブカデネザルは、このみことばの中で、大きな木として私たちの前に描かれています。主が蒔かれ、その後弟子たちが蒔いた言葉によって、小さなうちに始まった王国は、そのような姿をしていることでしょう。この種が生み出すものは、次第に大きな力を持つようになり、地上で目立つようになり、他の人々は木の枝の下に鳥がいるように、その下に身を隠すようになる。実際、このようなことがあった。
次に、この王国は地上の大木となるだけでなく、教義の体系として特徴づけられ、それ自体が拡散し、その影響力の範囲内にあるすべてのものを取り囲む職業となることが分かる。3つの対策全体が澱んでしまうのです。しかし、聖霊は、澱という言葉が個人の心の中にあって、その人を神のもとに連れ戻す再生力ではないこと、ファラオやネブカドネザル、その他の聖書の巨木のように、単に外側の力によって作用する力ではないことを私たちに理解させてくれるのである。しかし、それは大衆を特徴づけるべき教義体系であり、大衆全体に浸透している。それは、いわゆる信仰でもなければ、生命でもない。それは宗教であり、キリスト教である。真理も神も信じない心で教義を公言することは、常に教義そのものの腐敗と結びついているのです。
まことにこの指摘通りのことがニッポンキリスト業界に起きたのだ。すなわち戦中の日本基督教団である。ちょっと調べればわかることだが、その欺瞞の度合いは唾棄すべきレベルである。以下、WIKIからの引用:
その始まりは伊勢神宮への参拝からだ―
・1941年:6月24日に、日本基督教団が成立する。11月24日附で宗教団体法に基づく宗教団体として文部大臣より認可。教派ごとに部を構成して11部制を採る。
・1942年:教団統理、富田満が伊勢神宮に参拝して日本基督教団の設立を報告し、発展を希願する。12月15日、第1回日本基督教団総会にて部制廃止、皇軍将兵に対する感謝を決議。
まさに自己欺瞞の極み、精神分裂病である。その主義はなんとこうある!(よくもまあ、ぬけぬけと言えるものだが)
公会主義(こうかいしゅぎ)とは、いかなるキリスト教の教派にも属さないキリスト教無教派の理念、理想。日本基督教団は公会主義を継承する唯一の団体である。
いやビックリ。これで柏手叩いて、主にある兄弟を官憲に売ったのだ。自己欺瞞の極致。そして日本基督教団統理富田満曰く、「われら天皇の臣民は自己を否み、自らの十字架を負うて八紘一宇、大東亜共栄圏の建設に邁進すべし」と。柏手を打つ。


忌まわしき教団、戦後はGHQにすり寄って生き延び、靖国反対、九条改正反対と左傾化して自己欺瞞を正当化し、種々の利権を得て今日に至る。天皇制廃止、靖国反対、平和憲法維持、九条改正反対と振り子が左へ振れた。自我分裂の典型的症例、根底にあるのは自己欺瞞。自己欺瞞を隠蔽するために表向きは「正義」を掲げ、同じことを繰り返す強迫反復に陥る。まさに白い墓である。対して異端であるエホバの証人などは自身の信条にあくまでも忠実であったため迫害を受けたのだ。
一応彼らの言い訳を聞いてあげましょう―
そもそもニコライ派(教団教職制度)はイエシュアが憎みかつ自ら戦うと言われる。彼らの立つところは恐るべき場なのだが、無視するか、自己正当化するか、真にメタノイアするかが問われるわけ。彼らはすでに主の裁きの元に置かれている。重々しいガウンをまとい、キリストの名を盾に講壇に立ち、自分勝手な説教をする度に主の裁きの燃える炭火を自らの頭の上に積む商売人が牧師なる連中だ。
まことに現在われわれが見ているニッポンキ業界(のみならず世界的にも)の光景は、世において大きな木へと変質し、邪悪な(特に動機において)鳥が自己のアイデンティティやプライド、そして生存の担保を求めて集まる光景そのものである。
だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。-Matt 23:8
イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」-Mark 23:38-40
表向きの看板とその内実が見事に乖離している、まさに白く塗られた墓である。このふたつの絵がニッポンキリスト教の本質を表している。


岸田秀氏の指摘通り日本は自我分裂しているが、その集約的縮図がニッポンキ業界である。その病理については真のメシア・家シュアを否定して自己欺瞞に堕ちたユダヤ人と似ているが、詳細は私の論文を参照されたい。
現在、日本基督教団の牧師たちが嬉々としてワク接種を受けていることから、かつての事態が再現されるであろうことは容易に分かる。彼らは世との結婚(ペルガモ)により、世の価値観とシステムにはめ込まれているのだ。心ある兄弟姉妹よ、忌まわしき者からは自らを分離せよ。キ業界において分離主義者だとかラベルを貼られることは幸いである。なぜなら主はこう言われるからだ-
また、わたしにこう言った。「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。-Rev 22:10-12

現代では「キリスト教の会」はちんまりと社会化されて、無害無益なる世のひとつの宗教組織に堕している。「正統」なる看板を掲げて、ぼくのオリジナル標語「エホバ、統一、モルモンとは関係ありませーん」、「あなたの街のお気軽な教会へどなたでも歓迎します~」とね。
「そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった」(19:23)。
「さて、この男は、疫病のような人間で、世界中のすべてのユダヤ人の中に騒ぎを起している者であり、また、ナザレ人らの異端のかしらであります」(24:5)。
まことの福音を宣べるなら必ずただならぬ騒動を起こし、疫病のような人間、異端者の烙印を押される。今のように、いつもニコニコボクシ顔、なんでも愛して赦してみんなでおててつないで仲良くね~ってなものではない。
この点、かつての不敬事件を引き起こした内村鑑三などはその模範である。対して世に迎合した日本基督教団などは柏手を叩き、それにどころか主にある兄弟姉妹たちを官憲に売ったのだ。まことに主の目に忌まわしき存在である。
「人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ」。-ルカ16:15
時代も相当に煮詰まり、各分野において倒錯現象が起こり、善を悪、悪を善とする世相が当たり前になっている中で、真の福音を語るには官憲に売られるリスクすらあるのだ。
まことに腹をくくる時代である。