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A・ブレーク・・・

杏里のCat's Eye、このクリップ、Roppongiの匂いで*1私的に好みだ^^

*1:一部映像にピー的な場面があるので、そのつもりでヨロシク!

あなたの契約の代表者はだれであろうか

と題する記事を再建主義の富井氏が書いている。

われわれは、契約の代表者を変更しなければならない。
アダムが契約の代表者としてわれわれは生まれてくる。
だから、そのままだとアダムと同じ運命になる。
つまり、永遠の死と呪いである。
アダムからキリストに契約の代表者を変えなさい。
キリスト族になりなさい。
そうしないと、あなたは契約的身分はアダム族であり、キリストの救いにあずかれない。

まことにそのとおりだ。そう、救いとはアダム族からキリスト族への移し変えだ*1。表向き(経綸的に)は、ユダヤ人、異邦人、クリスチャン、時にメシアニックジューとかに分けられるが、神の目から見たら本質的に人類はこの二種類のみ*2。まさに二元論の世界だ。つまりどちらの系列のいのちを有するか、の問題である。以前にも紹介したがオブジェクト指向言語JAVAが福音の本質をよく説明するので、再度紹介する。

JAVA的にはClassを変更するわけだ。アダムクラスからは罪(Sin)が継承されて、罪々(sins)として実体化される。キリストクラスからは義が継承されて、義の行為が実体化される。これが十字架の切り分けによる信仰の実だ。このキリストクラスに働くのがいのちの御霊の法則だ(Rom 8:1-5)。対するアダムクラスでは罪と死の法則。かくしていのちの御霊の法則に乗るならば、モーセ律法は自ずと満たされる(Rom 8:6)。このゆえに、私はいのちの御霊の法則はWindowsのようなもので、自動的にMS-DOSに相当するモーセ律法を包括する、すなわち上位ヴァージョンであると富井氏にも申し上げたのだが、ついに理解されなかった。彼は次のように言う:

キリスト族になるには、「イエス・キリストが自分の罪のために死んでくださった救い主であり、人生の主であり、王であり、契約的規則を守り、一生服従する」と誓うことである。
保険契約に義務条項があるように、キリスト契約にも義務条項がある。

この契約条項が「超民族化されたモーセ律法」なのだろう。しかし聖書は言う、私たちは律法と肉に対しては何らの責任を負っていない(Rom 7:1-2;8:12)。律法に対しては死に、肉は十字架において抹殺されたとものだからだ(Gal 5:24)。ゆえにただ御霊に従って生きること(Gal 5:25)。これが新契約に生きる私たちの責任だ。肉に生きるならばそれは罪と死の感覚に支配される。御霊に従って生きるならば、それはいのちと平安だ。さあ、どちらを選ぶのか。これはキリスト教神学などとは何ら関係のないこと。いのちの問題だ。

聖書が神のことばではなく、人間が神について証しする書物だとするような者たちはすでに論外であるが、同じ聖書を読んでいても、どうしてこうも異なる説が出るのであろうか?富井氏の記事にいのちの御霊の法則が書かれるならば、それこそ教会を再建できるであろうに!目が開かれんことを祈る次第。

しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。
かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。
しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。-2Cor 3:14-18

追記:クリスチャンとキリスト教徒の定義の差がお分かりいただけると思うが、同時にエクレシアとキリスト教会の定義の違いもご理解いただけると期待する。エクレシアとはキリストの復活のいのちを吹き込まれた人々から構成される有機体、神の新創造である。対してキリスト教会とはイエス・キリストを教祖とし、聖書を経典とする宗教団体。その違いは天と地の差だ。私の言うエクソダスの意味もお分かりいただけると思う。それはキリスト教徒がどこのキリスト教会に属するかとか、転会するとかの問題ではないのだ。キリスト教徒はどこにあろうともキリスト教徒に過ぎない。キリスト教会はどれであろうとも、キリスト教会に過ぎない。そもそもがエクレシアではないのだから!それは単なる猿真似、フェイクだ。現在、エクシレアがキリスト教会の中に取り込まれて、窒息している。しかし神は同時にご自分の御体にして、花嫁であるエクレシアを個別に召し出されている。これがエクソダスだ。

*1これは人にはできない神の業だ。神以外の誰がいのちを取り扱うことができようか。これを勘違いしてガンバって聖化されようとか、リッパなクリスチャンになろうとする人々がクルシチャン(苦しちゃん)だ。彼らには一言、お疲れ様〜
*2いわゆる(ニッポン)キリスト教徒とは、この移し替えがない人々だ。単に知的なキリスト教の理解や伝統や儀式を歯を食いしばって行い、ある者たちは野心の実現のため、ある者たちはついにキレて、什一献金がどうのこうの、牧師がどうのこうのと狂気じみた告発をし合う輩である。サルが懸命にヒトの真似をしているわけで、まことに愚かというか、哀れと言うか、喜劇的な者たちだ。

背教の時代

カトリックによるInterfaith Movementを初めとして、『パーパスドリヴン』のRick WarrenらによるChrislam、すなわちクリスチャンとモスレムの神は同一であり、共にその神を礼拝する試みがかなり広がっている。時代は背教の時代。あの者の出現の舞台を整えている。

ニッポンキリスト教はすでに広範囲に浸食されているが、その欺瞞の束縛からエクレシアが解かれることを祈る次第。時代は、それぞれが神の前に単独者として立つべきフェーズに入っている。主イエスはペテロに対するように、「あなたはわたしに従え」と、直接に語りかけておられるのだ(John 21:22)。

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。-2Thess 2:3

追記:例の世界的OCCUPY運動は都市テロと認定されて、取り締まりが強化される。ここでも大衆は見事に墓穴を掘っている。これで警察国家への道筋ができたのだ。

【ジュネーブ時事】イタリアからの報道によると、マローニ内相は18日、ローマで15日にあったデモが大規模な暴動に発展した事態を「都市テロ」と断言、暴徒の取り締まり強化に向け法改正など新たな措置を講じる考えを示した。

 内相は議会で、米国で発生した経済格差への抗議に呼応したローマのデモ参加者はおよそ8万人で、このうち約3000人が覆面をした過激派グループだったと説明。暴動によるけが人は計135人に上ったことを明らかにした。

 現行法ではデモで暴動を起こす恐れがある参加者を事前に拘束・逮捕することができない。このため内相は、法改正などで警察当局の取り締まり権限を強化し、暴動の未然防止につなげる意向を表明した。 

[時事通信社]
[ 2011年10月19日07時17分 ]

追記の追記:Interfaith Movement、サウジアラビアが資金提供し、世界の宗教をひとつの屋根の下に集める。その目的は、世界平和だ。「愛と平和」をスローガンにするのがNWR(OWR)、「自由と平等」をスローガンにするのがNWOだ。共に神を排除した一致を目論む。終末のバベルの塔だ。

ファイル 2502-1.jpg

欺かれてはならない。

放射線について一言

紅葉がまだだが、森の中はすっかり秋模様だ・・・。

*  *  *

さて、今週の『週刊新潮』によると、世田谷のラジウム騒動で、年間30mSv/hを浴びた老女はガンになったか、と指摘。なっていないではないか、だから放射能問題は社会的ヒステリーだと論を張っている。やれやれ、この記者こそがヒステリーだろうに。

放射線の生体影響としては、急性障害と晩発性障害があり、後者には確定的障害(多量に浴びた時に出る)と確率的障害がある。低線量被爆については諸説混在で、いわゆる「ホルミシス効果」があるとする説がある。つまり低線量では生体にとってかえってイイ影響を与えるとするもので、ラドン温泉やラジウム温泉の効能の根拠となる。京大の小出氏によると、今回の世田谷の件はどうもこの流れの中で起きているようだ。つまりこの種の放射能物質が販売され、かつ普通の民家に当たり前に保管されているわけ。

本件の老女については、当然のことながら、確率的影響の問題であり、すなわち統計学的に論じられるべきことなのだ。要するに、この老女がガンに成らなかったゆえに、年間30mSvは安全である、と結論することは で き な い の だ。愚かなものだ。マスコミは常に右左とどちらに振れるにせよ、この手の煽りで大衆を操作する。踊らされる大衆もア○なのだが・・・。

ちなみにこちらにチェルノブイリのデータがあるので、参照してほしい。どう読むかは、それこそご自分で判断して欲しいところだ。

ファイル 2501-1.jpg

ファイル 2501-2.jpg

■出典:児玉龍彦、『チェルノブイリ原発事故から甲状腺癌の発症を学ぶ-エビデンス探索20年の歴史を辿る』、医学のあゆみ、Vol.231,No.4,pp306-310

■参考:低線量被ばくによるがんリスク:私たちが確かにわかっていることは何かを評価する

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