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トップ > 2013年04月20日

Dr.Lukeの一言映画評

午前はプールとサウナ。午後は映画の巡航モード。作品はスピルバーグの『リンカーン』。

ファイル 3551-1.jpg

南北戦争が膠着していた1865年、再選を果たしたリンカーンは奴隷解放の修正憲法法案を通過させようとする。その裏舞台の政治工作を描くのだが、リンカーン自身の妻や息子との確執という家族力学をも描いている。人類の崇高な目的を達すると言うよりは、かなり家族の問題が背景にあったことが分かる。

しかし、なぜこの時期にリンカーンなのだろうか?アメリカは共和国としての体制が綻びを見せつつあり、中には連邦政府からの離脱を宣言する動きもある。ボストンやテキサスなどの意味不明な爆発事件などは監視社会への動きを加速する。否、すでにアメリカは専制国家と言ってもよいのだ。私は以前から二重構造であると指摘しているが、表向き「自由と平等」を標榜するほどに、実は実態はそれと真逆であることを証明しているのだ。いずれマーシャルローなどの施行も予測される現在、あえてスピルバーグは何を訴えたかったのだろう。穿った見方をすれば、人類はみな平等にして兄弟、宗教もひとつ、差別や戦争のない世界を・・・的なスタンスなのだろうか。あのおフランシスさまはすでにOWR(One World Religion)への布石を打っているし、いずれNWO(New World Order)も到来する。そのための大義妙分を与えるためなのかも知れない。

*  *  *

寒い春の日、しのつく雨が冷たい・・・・七言絶句・仄起式で

A Blossom Fell

偽使徒パウロの唱える新しい法則

再建主義ではローマ書8章の「いのちの御霊の法則」を決して言わないことは前から指摘している。さらにニッポンキリスト教徒たちがこの法則に乗ること経験を知らないことも、昨今のこの業界の悲惨さを見れば明らかである。ところがこのような人々はニッポンキリスト教だけではないようなのだ。この記事を読んで驚いた。パウロは偽使徒であり、ローマ書7章の彼の経験的主張は、律法を守ることを回避して、「いのちの御霊の法則」なるものを唱えて、あたかも罪を犯すことを正当化していると言うのだ。

面白いものだ。この業界には「イエスの福音」と「パウロの福音」を切り離す者たちもいるが、彼らは自分にとって都合のよい聖書の箇所をピックアップして、自分を正当化しようとする。彼らの物差しは自己(セルフ)なのだ。そのセルフを「神」とし、聖書のある個所は偽りと断じる。恐るべき罪である。彼らは聖書に基づいて語ることを「聖書主義」と言う。おかしな者たちだ。ある国の法律体系を論じる際に、その明文化憲法を互いに認めないのであれば、意味のある議論は成立しない。同様に聖書を前提としない彼らとはそもそも土俵が異なるのだ。私たちは明文化された聖書はすべて神の霊が吹き込まれたもの、これに付け足しても取り除いても呪われるとの聖句を前提としている。御霊も決して書かれた御言葉に反する啓示は与えられない。偽りの霊に煽られて自己(セルフ)を「神」としつつ、聖書を弾じる者たち、御言葉を侮る者たちに警告するものである。

私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。
ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。
しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。-Gal 1:6-8

私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。-Rev 22:18-19

改めて言おう、ニッポンキリスト教、否、もっと広くいわゆるキリスト教は見かけは繁栄するかのようではあるが、その内実においては壊滅する/している、と。

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