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日々キリストにありて

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ニール・アンダーソンによる黙想


 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません(ローマ6:11,12)。

 罪はすべてのアダムの子孫がその中に生まれる状態です(ローマ5:12)。罪は神から独立して生きる様です。それはサタンによる偽りであり、人はいのちの創造主から離れて、神に従うことなく、人生の意味と目的を見出すことができると信じているのです(申命記30:19,20;1ヨハネ5:12)。ノンクリスチャンにあっては、罪は古い性質に浸透しており、古い私を支配し、肉の行いを誘発します。サタンはあらゆる罪の本質に潜んでいます(1ヨハネ3:8)。彼は人々を欺き、神に反逆するように嘘を信じこませ、また促します。
 あなたがキリストを受け入れたとき、あなたは罪に対して死に、またあなたを支配するその力は打ち破られました。サタンと罪は死んではいません。それらは依然として強くかつ訴える力があります。しかしあなたはもはや罪を犯す必要はないのです。なぜならあなたは罪に対して死に、キリストにあって神に対して生きているからです(ローマ6:11)。あなたがそうみなすから罪に対して死ぬのではありません。それはすでに成し遂げられているからそうみなすのです。キリストにあってすでにあなたは罪に対して死んでいるのです。
 パウロはさらに言います、私たちは自分の体を不義のためにもちいるべきではないと(13節)。もしそうすれば、私たちは罪が私たちの死ぬべき体を支配することを許します。例えば、自分の体を罪に支配に任せて、不義の道具として用いることなく性的な罪を犯すことはできません。主に対して自分の体をどう誤って用いているかを尋ね求めてください。特に性的な領域においてです。その誤った用い方を告白して捨て去り、生ける供え物として自分の体を神に捧げてください。「あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従」わないことはあなたの責任です(ローマ6:12)。

 愛する主よ、私は自分に対する罪の力が打ち破られたことを知っています。今日、その真理の光にあって罪を捨て去り、私の体をあなたに従うことができるようにして下さい。

まったりと冬の海を・・・・

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神の奥義なる嗣業

むしろ私たちは、奥義の中にあって〔今に至るまで〕隠されてきた神の知恵を語るのであって、それを神は、世々の〔創造〕以前に、私たちの栄光のために、あらかじめ定められておかれたのである。・・・
「目が見ず、耳が聞かず、人間の心に思いも浮かばなかったこと、そのことを神は、神を愛する者たちのために用意されたのだ」。
そして、まさにこの私たちにこそ神は、霊をとおして〔そのことを〕啓示されたのである。霊は、すべてを、神の深みをさえも、探り尽すからである。
・・・霊的なものによって霊的なことがらを判断しながら、そうするのである。・・・
しかし、自然的な*1人間は、神の霊のことがらを受け容れない。・・・しかし私たちこそは、キリストの思いをもっているのである。-1Cor 2:7-16(岩波訳)

御言葉(ロゴス)を魂の機能のひとつである思いによって理解することはひとつのことで、もちろん必要不可欠。知性による祈りもあるのだから(1Cor 14:15)。しかしこのレベルで満足して、ここで止まっては大いなる損失。霊によりその言葉が指しているリアリティにタッチしてゲットする必要がある。これは神が、私たちの栄光のために用意してくださったもの。よく「神っさまにすべての栄光をお返しします~っ」とかやるが、これは何度も言っている通り、臭い。神は私たちの栄光のために「人間の心に思いも浮かばなかったこと」を用意して下さっている。これは霊的領域に存在する。それを信仰は実体とする。すると地的領域に現出するのだ。神の国はロゴスにではなく、デュナミスにある。

神は何を用意して下さっているのだろうか?もちろん御子を下さった。彼のうちにこそ神性も霊的資産もすべてが存在する。信じる者はすでにそれを所有している。キリストの思いすら!が、これまで私の思いのキャパ、それはただちに信仰のキャパとなるが、により制限してきた。神の用意された富を経験化する度合いは各人のキャパに従っている。ここでマインドのトランスフォーメーションがきわめて重要となるのだ。これまでの自分の領域を脱すること、それには人間的(魂的)にはやや勇気も必要とされる。満々と流れるヨルダン川にまず足を突っ込むこと、セルフにとってのカンファート・ゾーンを脱することだから*2。それはセルフの終わり。が、霊的法則はこうだ:捨てれば、その何十倍も得る、と!

*1:脚注として、psycheの形容詞形・・・、要するに「魂的な」の意味。
*2:世から救い出される時は、まず紅海が割れてから足を突っ込んだ。救われた後のヨルダン川の経験ではその順序が逆になる。

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